- 投稿日:2025/01/05
- 更新日:2025/10/04

死ぬかと思った!私の『確率高・損失大』の体験談(教訓付)
学長の言う「近寄ってはならない確率高・損失大」とは、一体どのような状況を指すのでしょうか?
今回は、私が海外で経験した『確率高・損失大』の事例をいくつかご紹介します。
これらは、今思えばどれも「なぜ無事だったのか」と思えるほど危険な状況でした。
この記事を通じて皆さんには、私のような無謀な行動を避けてもらいたいと願っています。
『確率高・損失大』を避けることで、人生を長く楽しめます。
更に、「火災保険」「自動車保険」「生命保険」といった備えで、しっかりと金銭的予防をしてください。
1.事例1:天安門事件の直後の中国
私の初めての海外旅行は、リュックを背負った当てのない中国一人旅でした。
時期は1989年8月。同年6月に天安門事件が発生し、近年中国国内が最も不安定だった時代です。
日本の外務省は渡航自粛を要請していましたが、私は無謀にも渡航を決行しました。
結果、以下のような危険な目に遭いました。
(1) 上海で現地の若者に騙される
船旅で上海上陸後、わずか1時間で騙されました。
「日本語を学びたい」という若者に声をかけられ、一緒に食事をしたり、電車の切符購入を手伝ってもらいました。
別れ際に精算したのですが、後で計算してみると大幅にぼったくられていることに気が付きました。
別れ際に「後でまた会おう」と言われましたが、再度会っていたら、今度はどんな目に遭ったのでしょうか。
(2) テロリストによる日本人襲撃予告
その後、上海のテロ組織が「数日以内に日本人を殺す」と宣言しました。
現地にいた数少ない日本人の間で情報が広まり、私は慌てて北京へ移動しました。
噂を聴いてから、電車に乗るまで1週間ほどあり、その間は生きた心地がしませんでした。
(3) 天安門広場で兵士に銃口を向けられる
北京では観光気分で、天安門広場に立ち入ろうと思いました。
血痕が残る広場に入った瞬間、「あれ?」と思いましたが、時すでに遅し。
目が血走った人民解放軍兵士に小銃を突きつけられ(引き金に指がかかっている)、職務質問を受けました。
重厚をみぞおちにグリグリと押し付けられた感触は、今でも忘れることができません。
(4) ホテルで同室の日本人が襲撃される
北京の多人房間(ドミトリー)に滞在中、同室の日本人が地元の不良グループとトラブルになり、レンガで殴られる事件が発生しました。
私もこの不良グループに因縁をつけられたことがあり、恐怖を感じました。
犯人はすぐに捕まり、強制労働所に送られたそうです。
(5) ウイグル人に拉致されそうになる
人気のない露天での両替の場面でウイグル人に囲まれ、暗い路地へ連れ込まれそうになりました。
2メートル近いウイグル人数人に囲まれ、腕を掴まれ引きずられていきました。
とっさに腕を振りほどき、全力疾走で逃げ難を逃れました。
人生で一番早く走った瞬間だったと思います。
【教訓】政情が不安定な国には絶対に近づかないこと。
治安が乱れ、国民も殺気立っています。命を落とすリスクを避けましょう。
2.事例2:IRA(アイルランド共和軍)によるテロが頻発するイギリス
1991年2月、卒業旅行で訪れたイギリスでの出来事です。
当日観光予定だった私は、朝寝坊してしまい、予定より遅れてビクトリア駅に到着しました。
しかし、駅は封鎖されてており、消防車や救急車、警官でいっぱいでした。
話を聞くと、「IRAのテロリストが駅を爆破した」とのこと。
1名が死亡し、多くの負傷者が出ていました。
寝坊していなければ、私も巻き込まれていた可能性がありました。
虫の知らせがあったのでしょうか。
【教訓】先進国であっても安全とは限りません。
訪問前に政治状況や治安情報を必ず確認しましょう。
3.事例3:戒厳令下のチベット
1990年、中国放浪中にチベットに行きました。
当時のチベットは戒厳令が敷かれ、外国人の入境が厳しく制限されていました。
どうしてもチベットに行きたかった私は、現地旅行会社を通じて中国人ガイド付きという条件で、入境することができました。
首都であるラサは、人民解放軍が多く駐屯しており、物々しい雰囲気でした。
私は中心部の市場で買い物をしていたのですが、ふと気がつけば、いつの間にか靴に唾を吐きかけられ、カバンが切り裂かれていました。
即座にその場を離れましたが、一見和やかな市場にも殺意を持った人が潜んでいる事実に恐ろしさを感じました。
【教訓】政情が不安定な地域では、最悪の事態を常に想定し、安全を最優先に行動すること。
日本人だから安全とは限りません(他のアジア人と間違われることもあります)。
4.事例4:ロサンゼルスのスラム街
1991年のロサンゼルスのことです。
ディズニーランドで1日を満喫した帰り、私はバスを乗り間違えてしまいました。
気がつけば、バスは暗く汚い街へとどんどん入っていきました。
そこは、ロサンゼルスでも犯罪率が最も高い、スキッド・ロウでした。
路上には虚ろな目をした、ゾンビのような麻薬中毒者が徘徊していました。
道路の端では、横転した車が燃えています。
このまま、バスを降りれば、強盗に遭うことは明らかでした。
私は冷や汗をかいていたのですが、幸運にも主要通りでバスが停車し、飛び乗ったタクシーで無事ホテルへ戻ることができました。
【教訓】海外では危険な地域や時間帯を事前に調査すること。
夜間の移動や無計画な行動を避けましょう。
5.事例5:クーデター前年のタイ
1990年、タイのビーチリゾートでの出来事です。
この年のタイは、翌年軍事クーデターが起きる直前で、国全体がピリピリしていました。
その日は、終日、ビーチでのんびりと過ごしたのですが、日本語が巧みな現地の若者に話しかけられました。
しばらく世間話をしていたのですが、いよいよ帰ろうかと言う時に、「車でホテルまで送る」ことを提案されました。
私は深く考えることなく車に乗ったのですが、途中で「私達の家に行こう」としつこく誘われました。
危険を感じたため、やや強引に「用事がある」からと、途中で降車して難なきを得ました。
あのまま車に乗っていたら、どこに連れて行かれたのでしょうか?
【教訓】見知らぬ人を安易に信用しないこと。
特に海外で日本語で話しかけてくる外国人には注意が必要です。
6.最後に
当時は、若気の至りで、自分の命をあまり大切にしていませんでした。
もしあの時死んでいたら、いま自分が手にしている家族や友人に出会えなかったと思うと、今更ながら恐ろしくなります。
人生における最大の「損失」は、命を失うことです。
安全第一で行動することで、人生を長く楽しむことができます。
『確率高・損失大』に近寄ることなく、楽しい人生を送ってください。