- 投稿日:2025/02/18
- 更新日:2025/02/19

期待しすぎることがもたらす苦しみ
私は2010年に歩けなくなり、それ以来車いすを使って生活しています。
当初は、私自身や周りの人々、さらには社会に対して、大きな「期待」を抱いていました。
たとえば、「段差やスロープなどは、いつでも完璧に整っているはずだ」と考えていました。
車いすユーザーや身体に障害をもつ人たちのためにさまざまな場面でちゃんと配慮がされていると、漠然と思っていたのです。
また、「助けが必要なときは、周りが必ず手を貸してくれるはずだ」とも感じていました。
しかし、現実はそう甘いものではありません。
社会のバリアフリーが進んだとはいえ、外出した先々で段差が多くて移動が難しかったり、トイレの数が少なくて不便だったりすることは少なくありません。
さらに、たとえ周囲の人が手助けしようとしてくれていても、その気持ちが伝わりにくく、結果的にサポートがスムーズに受けられないこともあります。
こうしたギャップを感じるたびに、「バリアフリーって言うけど、こんな程度なのか?」といった不満のようなものが、知らず知らずのうちに湧いてきていました。
しかし、この思いは、「私が勝手に思い描いた期待」であって、相手や社会にとっては「当然のこと」ではなかった。
実際、自分が健常者だった頃は、車いすの人なんて全く目に入っていなかったのを思い出しました。

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