- 投稿日:2025/06/29
- 更新日:2025/06/29

「夜ちょっと見えにくくなってる気がする」と念のため受診した眼科の先生に、「先天性で進行性の眼の病気で、現時点では治療法のない難病です。」と診断され、青天の霹靂だった30歳。
「まさか、こんなに見えてるのに?」と、当時は事務の仕事をしていたり、車の運転もできていたので驚きでしたが、徐々に宣告通り視力が落ちて文字が見えづらくなっていきました。
視野も欠損していき、37歳で視覚障害者となり、望まない転職を余儀なくされました。
転職を繰り返さざるを得ない状況に苦悩
障害者雇用の枠で、大手保険会社の内勤事務や、病院での患者誘導、デパートでの電話交換など、その時々の見え方でできる仕事に転職することを繰り返していましたが、いよいよ45歳で難しい状態になってきました。
「私にはまだ早い、まだやれる仕事が他にある」と言い聞かせてた気持ちにようやく終止符を打ち、不器用なためずっと敬遠していた、視覚障害者の最後の砦とも言える、あん摩マッサージ指圧師・はり師・きゅう師を目指すことを前向きに検討し始めました。

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