- 投稿日:2025/07/05
- 更新日:2025/09/29

はじめに
高齢ドライバーの事故がニュースで取り上げられるたびに、私の頭をよぎるのはいつも実家の父のことでした。
田舎の高台にある実家では、スーパーまで3キロ、最寄りのコンビニでも2.5キロ離れています。バスは平日に3本だけ。母は免許を持たず、兄家族も転勤で家を出て、両親は二人暮らし。車がなければ生活がままならない環境です。
父は慎重な運転をする人で、スピードを出すようなことはありません。でも、母から「目的地を間違えた」「踏切で止まったまま動かないので声をかけたら、信号が変わるのを待っていた」など、少しずつ不安になる話を聞くようになりました。
帰省のたびに父の車を確認し、傷がついていないかをチェック。遠まわしに運転のことを尋ねても、「問題ない」と言われるだけ。でも、もしものことを考えると、不安は消えませんでした。
「車がなければ生きていけない」
父が75歳になったころ、思い切って「そろそろ運転は〜」と伝えました。
返ってきた言葉は、「車がなかったら生きていけない。死ねって言うのか。お前が一緒に住んで面倒みるのか」と。
今すぐ実家に戻ることができない私は、引き下がるしかありませんでした。それでも、「何かが起きてからでは遅い」という思いはずっと心の中にありました。
その後も帰省のたびに「心配だから」と免許返納を促す私に、ついには父が「もう来るな」と言い出すほどに。
娘(父にとっての孫)にも相談し、「おじいちゃんの車、就職したら譲ってほしい」と説得してもらいましたが、受け入れてはもらえません。
生活の不安を解消するために
父と話をする中で、一番のネックは生活の不安だと感じました。
そこで、免許返納後にどんなことが不安なのかを紙に書き出しながら話し合いました。
まずはお買い物。私が帰省して手伝えるのは二ヶ月に一度。日用品や日持ちがするもの、冷凍食品などをまとめ買い。日々の食料品等はバスやタクシーを利用するようにすすめました。また、すぐに必要なものはLINEで連絡すればAmazonで届けることができると説明。
遠くへのお出かけは私が運転するから、県内だけの運転にしてほしいとお願いしました。その後も少し期間をあけてから、市内だけにしてほしいと徐々に運転範囲を縮小するようにお願いしていきました。
否定せず感謝の気持ちを伝える
父と話し合いを重ねるなかで、わかってきたことがありました。
私は「運転が心配」「咄嗟の判断ができなくなる年齢になってきている」「万が一のことを考えてほしい」「これまで真面目に生きてきたのに、最後に加害者になって欲しくない」と自分の気持ちばかり押し付けるような言い方をしていました。
父にとっての車がどんな存在かを考えるより先に、自分の不安ばかり主張していたため、父も頑なに返納を拒否していたのだと思います。
これまでたくさん家族の送り迎えをしてくれた父。国産の大衆車だけどいつもピカピカに磨いて大切にしていました。家族で車で出かけた思い出もたくさんあります。
毎朝神棚に手を合わせ、家族の健康と安全を願う父。いつも時間に余裕を持って出発する父。「あわてて出かけるんじゃない。安全運転は心のゆとりから」と昔はよく注意をされました。
そんな話をするうちに、私も感謝の気持ちの方が大きくなり、父には父なりのタイミングがあるのかもしれないと、私の焦りも少し落ち着いていきました。
電動自転車の導入
父の移動手段を確保するために、電動自転車を試乗してもらいました。便利さを感じてもらいつつ、娘の就職を機に「車は孫に、代わりに電動自転車を」と交換の形を提案。しぶしぶ受け入れた父でしたが、「やっぱり自転車は恥ずかしいからいらない」と。
それでも私は父に内緒で電動自転車を購入し、実家に乗り付けました。少しカッコいいデザインで、さわやかな水色の自転車です。前後にカゴをつけ、カバーとヘルメットもそろえて。
そして電動自転車導入から3ヶ月後。80歳の誕生日を前に、「孫に譲るなら」と車を手放すことを決意してくれました。
「免許は返さない」
車は手放したものの、父は「免許は返さない」と言い張りました。
更新まであと1年ちょっと。返納はしたくないという父の気持ちも理解できます。
大きな一歩を踏み出してくれたこと。それだけでも本当にありがたかったので、「免許返納は、また次のステップで考えればいい」と思うことにしました。
そして…突然の出来事
それから数ヶ月後、父が突然、明け方に倒れたのです。頭を強く打って出血し、意識もなく失禁。救急車で搬送されました。
幸い大事には至らず、今は日常生活に戻っています。でも「高齢になると、いつ何が起きてもおかしくない」ということを、家族全員が痛感しました。
搬送先の病院で医師に「まだ運転はされていますか?」と聞かれ、「車は手放し、免許は持っているだけです」と答えると、「それはいい判断でしたね」と言っていただきました。その言葉に、どこか救われた思いがしました。
卒業の日
81歳誕生日のひと月前。父は「更新はせず、返納する。もう卒業だ」と自分で決断しました。
私は「卒業式をしよう」と提案。警察署へ送迎し、免許を返納。市役所で返納特典の手続きを終えた後は、家族でドライブの思い出話をしながらお祝いの食事をしました。
そして現在
父は膝が弱ってきており、もう電動自転車はこげません。代わりに母が電動自転車を使い、お買い物に行くようになりました。父はゆっくり歩いて近くの公民館まで書道を習いに行っています。
「バスはほとんどない。タクシーは贅沢だ。」と言っていた父ですが、「車の維持費を思えば大差はない」「公共交通を使うことは地方の交通インフラを守る社会貢献にもなる」と伝えたところ、少しずつバスやタクシーを利用するようになりました。
最後に
運転免許の返納は、単なる「手続き」ではなく、人生の大きな節目です。
高齢の親にそれを伝えることは、思っていた以上に難しく、苦しく、時に家族の関係を揺るがすことにもなります。
もっと早い段階でやがて訪れる免許返納について話し合っていたら、初めから父の気持ちに寄り添った声のかけ方をしていたら、もっとスムーズに進んでいたかもしれません。でも、父と向き合い、何度も話し合いを重ねた時間は、未熟な私にとって必要な経験だったと思います。そして、最終的には父が自分で「返納する」と決めてくれたことが、何より嬉しかったです。
私の経験が、同じように悩んでいる方の参考になれば幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。