- 投稿日:2025/11/11
- 更新日:2025/11/11
☑️ はじめに
私の父親は40歳のころに腎不全を患い、20年以上、週2〜3回の頻度で透析のため通院しながら仕事をする生活を送っていました。
その後、ドナーが現れ腎臓の提供を受け、術後、透析のない生活を送っていましたが、手術から約3年が経過したころ、肺炎を発症して60代の若さで亡くなりました。
私は父親の通夜葬儀で喪主、その後、相続手続きなどを経験しましたが、この経験を通じて感じた「お金のこと」や「人生観」について、今後、同じような体験をされる方の一助になればと思い、投稿することにしました。
☑️ 通夜・葬儀
● 葬儀会社
私は父親が倒れたと報告を受け病院に掛けつけた時、父親はすでに病院のICU(集中治療室)に入っており、私達家族と一度も言葉を交わすことなく、その数日後に息を引き取り帰らぬ人となりました。
悲しみも束の間、すぐに通夜・葬儀の流れとなりました。
父親からは生前「俺が亡くなったら、お母さんを頼むぞ」ということを言われていたため、私は障害を患う母親のために、私が中心となって通夜葬儀を段取ることにしました。
まず、始めに私がしたことは通夜葬儀をするうえでの軸「目的」を決めることでした。
当時、私が時間のない中で決めたことは2つ、
🌀父親がお世話になった人が、故人(父親)と最後のお別れができるような場を設けること
🌀父親が残したお金(資産)は、残された母親の生活資金となるので、葬儀場の見栄や見映えにこだわらないこと(父親の性格から、そう言うはずだと思ったため)
でした。
私は「小さなお葬式」という葬儀社仲介型のサービスを利用して、通夜葬儀を行うことにしました。
ウェブで上記サービスに予約すると、すぐに地元の葬儀会社から連絡があり、通夜葬儀の日程等について担当者と話すことになりました。
葬儀会場で、まず私と母親が見せられたのは祭壇でした。
別の方の葬儀前の祭壇でしたが、見事なほどに組み上げられた木製の祭壇は生花や供物で装飾され、その中央の高い位置に故人の顔写真が飾られた特別な空間に、私も母親も「すごい」の一言、、
値段を聞くと祭壇だけで、なんと30万円、、
担当者が作成してくれた見積書には、祭壇のほか、霊柩車関係や返礼品が加わり、総額約90万円、、
その見積書には、お坊さんに渡すお布施代(お金)や火葬代等は入っておらず、総額といっても葬儀代の一部、、、
当初、私は「そんなものなのかな〜、プロにお任せしよう」と、全てを葬儀会社にお任せするつもりでした。
ただ、すでにリベに出会っていた私は、普段、物を売り買いする時にしていたはずの相見積もりや相場を調べていないことに「本当に、これでいいのか?」と違和感を抱くようになりました。
その一方で「葬儀という人の死に関することで、相見積もりや相場を調べることは不謹慎ではないのか?」という感情も芽生え、両者で頭を悩ませました。
それでも、当初の軸(目的)があったため、ネットで検索したり、人に聞くなどして相場観を身につけていきました。
そして、相場を把握し、不要と思われるオプションを調べあげると、担当者とやり取りを繰り返し、祭壇は別の代替案(祭壇の骨組みはシンプルに、生花→造花、果物→食品サンプル)をお願いするなど料金の見直しを行いました。※祭壇自体は当初の半額に
料金の見直しを行う中で、葬儀会社の方から言われた言葉が印象的で、今でも忘れられません。
それは、返礼品(香典返し)を決める時のこと、葬儀会社の方立会いで、私と母親が葬儀会社から見せられたパンフレットの中からハンドタオルを選んだ際、葬儀会社の方から「○○地域(私の地元)の方は、皆さん、これにしていますが、本当にいいんですか?(※私と母親が選んだ物より高価で全国的に有名なブランド物)」と強い口調で言われたのです。
それまで、丁寧な口調だった葬儀会社の方の一言に、私も母親も驚き、一瞬言葉に詰まりましたが、葬儀会社も商売としてしている以上、事情はわかったので、感情的にはならずに一通り話を聞いた上で、私と母親は自分たちの意見を通すことにしました。
● お坊さん
前述の通夜葬儀の段取りの一つとして、お坊さんを呼ぶということも通夜葬儀を進める上で必要になります。
そのお坊さんには、お布施というお金を渡すことが一般的です。
ただ、困ったことにお布施に表示価格はなく、ネットに記載された金額も地域によってまちまち、、、
相場が分からず調べるていと「直接、お寺に問い合わせても失礼にはあたらない」ということが分かり、お寺へ問い合わせることにしました。
すると、お寺の代表者の方から「お気持ちで結構ですよ」という返答をもらったため、私は母親とも相談のうえ、5万円を包んでお渡しすることにしました。
通夜当日、葬儀場に来られたお坊さんは、電話で話した方とは別の方で、私と母親は別室で待機していた、そのお坊さんに、お布施を手渡して部屋を離れました。
しかし、すぐにお坊さんに呼び戻され部屋に入ると、お坊さんから「この額では足りない、お布施はいわば税金のようなもの、、支払う義務があるので、最低でもあと1万円は貰わないと困る」と強い口調で言われたのです。
私たちは、お坊さんに言われるがまま、追加で1万円を支払いました。
当然、事前に確認していた話と違い、納得はしていませんでしたが、その勢いに圧倒され支払ってしまったのです。
最終的に、全ての葬儀代は頂いた香典(お金)と、ほぼ同額に納まり、家計への負担はなかったかのように思います。
しかし、今も香典を頂いた方々に不幸(通夜葬儀)があれば、母親は当時の帳簿(父親の葬儀の時に貰った香典代)を元に通夜葬儀に出席しては香典を支払い続けています。
そう、つまり私達はお金を前借り(表現が不適切かもしれませんが)していただけなのです。
☑️ まとめ
3年前の父親の通夜葬儀を通して、私は多くのことを学びました。
人の死を通して、学ぶという表現が適切かはわかりませんが、「お金に関すること」や「人生観」など、人として成長したことは間違いありません。
当時の経験を通して総じて言えること、それは「通夜葬儀は前触れもなくおとずれ、限られた時間の中で大きな判断を求められる」ということ。
多くの人が通夜葬儀の段取りを得意としている人は少ないでしょうし、どの地域にも、その道のプロ(葬儀会社)と呼べる方がいるため、プロにお任せすれば、それなりの通夜葬儀は段取ってくれると思います。
ただ、プロに任せると、それなりの料金がかかります。
多くの人の場合、葬儀後に残ったお金は、残された家族の生活資金になるはずです。
では、どうすべきなのか?
私はこの経験を通して
🌀葬儀会社には明確に意思表示をすること
🌀家族(遺族)間で話し合いをすること
が大切さだと感じました。
葬儀会社は葬儀のプロです。
祭壇を始め、葬儀の規模や方針、料金の削減について相談すれば、何らかの代替案を提案してくれます。
葬儀会社は通夜葬儀を商売としている以上、当初、それなりのサービスやオプションをつけて、遺族側に提案してくるでしょう。
何を重視して、どのような通夜葬儀にするのか?(家族葬か一般葬など)
そこをいかに家族(遺族)間で話し合い、葬儀会社に対して、しっかりと意思表示をするのかが大切です。
できれば、生前に親から子、その配偶者らに声を掛け、自分自身が亡くなった場合の意向を伝えておくことが望ましいと思います。
私の個人的な意見ですが、父親の通夜葬儀を経験して、通夜葬儀をしないというのも、選択肢の1つとして、あってもいいと感じました。
当初の軸(目的)を達成するのに、人が集まれ、故人と最後のお別れができる場所であれば葬儀場にこだわらなくてもいいのではないかと、、、
私が父親の通夜葬儀を通して1番強く感じたことは、故人に関する通夜葬儀を始めとする決まり事があまりに多く、そのどれにも、お金や時間を要するということ、、、
故人には戒名が必要で、お坊さんを呼んで、墓石を造って納骨などなど、、、
私は妻に「私が先に亡くなった場合、通夜葬儀は必要なく、散骨してくれ」と伝えてあります。
故人を思う気持ちは大切ですが、亡くなられた方に必要以上にお金や時間を使うより、今を生きる者たちで使ってもらえればと思います。
☑️ 余談
父親の死に際に立ち会えたこと、今振り返っても、私が40年生きてきた人生の中で一番の出来事でした。
人によっては「仕事が忙しくて死に際に立ち会えなかった」というエピソードが美談のような形で語り継がれているのを耳にしたことがありますが、決して、そのようなことはないと思います。
私は幸いにも、目の前で父親を看取ることができ、その体験は、私の人生に大きな変化(特に「時間は有限」だということ)をもたらしました。
「人はいつか死ぬ」という当たり前の事実させ、私を含め皆様も人事のように感じているのではないのでしょうか。
私が最期に父親と話したのは、父親が亡くなる2週間ほど前のこと、仕事の合間に地元に帰り、役場に立ち寄った際、父親から「今日は寄らんのか?」と連絡を受けました。
この時、私は「仕事が忙しいので実家には寄らずに帰る」とだけ伝え電話を切りましたが、それが父親と交わした最後の言葉となりました。
役場から実家までは距離にして数キロ、時間にして数分、、父親の死後、母親に聞けば、私が役場に立ち寄ったあの日、すでに父親には肺炎の予兆があったとのことでした。
あの時、私が実家に立ち寄っておけば、何かしらの異変に気付き、状況が変わっていたのではないか、、、
その後悔は、今もあります、、
その時から「自分は何のために仕事をしているのか、、家族とは何なのか、、」ということを深く考えるようになりました。
私が最近読んだ、とある本に「人生は一瞬のまたたき」というフレーズがありました。
本当にその通りだと思います。
限られた時間の中で自分自身が本当にしたいこと、大切なことは何なのか、私はそのことを「父親の死」を通して考えるようになりました。
一度きりの人生、皆様も悔いなく、主体的に生きていただきたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。