- 投稿日:2025/11/19
- 更新日:2025/11/19
学長が紹介していた、ウォーレン・バフェットの手紙の話。
あの学長マガジンを読んでから、しばらく頭の中に残り続けた言葉があります。
「見なくて良いものは見なくて良い。」
「比べなくて良いものは比べなくて良い。」
どちらもシンプルでまっすぐな言葉です。
けれど、日々の生活の中ではつい忘れてしまうことでもあります。
今の私たちは、他人の収入や資産、成果といった情報が少し意識するだけでたくさん目に入ってくる時代にいます。SNSを開かなくても、コミュニティの中でも、自然と「他人の数字」に触れるタイミングは増えました。
もちろん、それが悪いわけではありません。
誰かの成功体験を見て「私も頑張ろう」と前向きになれる日もあります。
数字があるからこそ具体的にイメージできることもあります。
でも一方で、こういう声も見かけます。
「頑張っているつもりなのに人の投稿を見るたびに気持ちが沈む」
「すごい数字を見ると自分のペースが全部間違っているように感じてしまう」
これを読んでいるあなたはどうでしょう。
まったく平気な人もいれば少し胸がざわつく人もいるかもしれません。
でも一つだけ確かに言えることがあります。
他人と比べる義務はどこにもない。
そして、
他人の数字を知る義務もどこにもない。
それでも、私たちは「知ろうと思えば知れてしまう」時代に生きています。
そして、知ってしまったあとでモヤっとする。
そのループにハマることがあっても、それはあなたが弱いからではありません。
人間は、見えると比べてしまう生き物だからです。
だからこそ、学長はあの言葉を選んだのだと思います。
「見なくて良いものは見なくて良い。」
「比べなくて良いものは比べなくて良い。」
ここで大事なのは、「気合で耐え続ける」ことではありません。
そもそも、見に行かない選択をしてもいい。
その自由を思い出すことです。
たとえばリベシティの中でも、「他人の数字」が多い場所と日々の小さな実践、成功を淡々とシェアしている場所があります。どちらを見る時間を増やすかは、あなたが決めて良いのです。
前者を見て前向きに心に火がつくなら積極的に見れば良い。
逆に見たあとに気持ちが重くなるならそっと距離を置いても良い。
その判断は、弱さではなく「自分に合った環境づくり」です。
比べ方にも種類があります。
たとえば自分を傷つける比べ方。
「同い年なのにあの人の資産は何倍もある。」
「私だけ遅れている気がする。」
こういう比べ方には学びより先に“痛み”が来ます。
そこから生まれる行動はどうしても無理な背伸びや焦った決断になりがちです。
一方で、「過去の自分」と比べる方法があります。
「去年の自分より何ができるようになったかな。」
「半年前の自分より習慣が一つ増えているかな。」
これは傷つけるための比較ではなく、自分の歩みを確認するための比較です。
ウォーレン・バフェットの例は、CEOや投資家など桁の大きな世界の話に見えるかもしれません。
でも学長があの話を取り上げたのは、きっと「嫉妬」や「比較」はその世界だけの特別な話ではなく、今を生きる私たちにも普通に起こる現象だからだと思います。
だからこそ大切なのは“メッセージそのもの”ではなく、そこから受け取る姿勢だと思います。
この記事を読んでいるあなたに提案があります。
比べる前に一度だけ立ち止まってみませんか?
何かすごい数字を目にしたとき。
だれかの成果が耳に入ったとき。
その瞬間にこう問いかけてみてほしいのです。
「これはいまの私に本当に必要な情報?」
必要だと思ったらそこから学びを拾えばいい。
モヤっとするだけなら今日は見送ってもいい。
比べないという選択は逃げではありません。
自分を守るための立派な選択です。
今日の学長マガジンには、明るい語り口の中に静かな警鐘がありました。
「嫉妬と貪欲が手を取り合うと人生が少しずつズレていく」
だから見なくていいものは見ない。
比べなくていいものは比べない。
その自由を取り戻そう——そんなメッセージに感じました。
情報があふれる今の時代だからこそ、
「何を見るか」「何と比べるか」を選ぶことが、心の余裕にもお金の余裕にもつながっていくのだと思います。
誰かの数字に追い立てられそうになったときは、どうか思い出してください。
比べなくていい。
あなたはあなたのペースでいい。
その選択がいちばん静かでいちばん強い一歩になるはずです。