- 投稿日:2026/03/03
- 更新日:2026/03/03
『てこちゃは妻を愛しすぎていた』
私が初めて作ったTikTokのアカウント名がこれだった
私の妻は障害者だった
22歳の時、バイクの事故で脳挫傷による前頭葉の損傷、急性硬膜下血腫、くも膜下出血、左大腿骨骨折、etc
2週間の昏睡状態から一命をとりとめた
でも、負った障害はとてつもなくでかかった
後の妻は言っていた
「私の人生はあの時で終わった、その後の人生は全てオマケの人生だ」と
事故から3年、彼女とデートした
向こうから歩いてくる彼女は足を引きずっていた
その時私が思ったのは
「あぁ、きっとこのこと結婚するんだろうな」
だった
その日の彼女は階段は手すりがないと昇り降りできず
信号が変わろうとする横断歩道はもちろん走れない
顔には顔面麻痺が残り、右手足にも麻痺があった
それから、半年の交際期間を経て私からプロポーズした
1年後、新婚旅行に行く頃、妻は走れるようになり、自ら5kmのランニングに出かけるほどだった
仕事も短時間の範囲で就業できた
結婚式も挙げた
海外に新婚旅行も行けた
翌年、娘が生まれた
妻の脳の治療もあり別居婚を選んだ結果…
彼女の念願の一人暮らしが叶った
その翌年は再びバイクに乗れた
その4ヶ月後
妻が死んだ
2歳の娘をこの世に残してくれた
TikTokのきっかけは、別居婚を選択する時、妻に何か生きる力をつけようというのがきっかけだった
当時、まだYouTubeにはショート動画がなく、 TikTokには収益化がない時、TikTokでバズらせて、YouTubeに誘導して収益化
これが、私のYouTubeの最初の一歩だった
別居する妻に言った
「なんでもいいから動画を撮って送って、全部僕が編集して必ず収益化するから」
その後、たまに動画を送ってくれた。一緒にいる時はあまり動画を撮らないけど、日常のなんの変哲もない動画を送ってくれた
数少ない動画と、写真とテロップと音楽
動画の編集は全てスマホの無料のアプリ(In shot)
動画の発信を続けて2ヶ月が経とうとした頃
妻が死んだ
その頃、TikTokの登録者は約3万人、YouTubeは登録者は約2000人
活動をやめた
今もTikTokを続ける友人(青年さん悩める人の味方)が私に言った
「他の人が体験しなかった事、てこちゃにしか出来なかった事は、きっと誰かの興味をそそり、需要がある、何かの意味となるんじゃないかな?」
妻が死んで3年経った
急に発信を再会した
「母親との記憶のない娘にママの生きた人生を残そう、銀の盾を取ろう」
そう思った
その日から毎日、投稿した
その頃はもうYouTubeにショート動画機能があった
たった15分で作った動画が500万回再生される時もあれば
2時間かけて作った動画が1桁万再生で止まることも、、、
そんな動画が2ヶ月後に急にバズり200万再生になることも
毎日、チャンネルという畑に種を撒き続けるような気持ちで投稿を続けた
1ヶ月で2万人を超えるペースで登録者が増えた
登録者が10万人になった時
伝えたいことが尽きた
もういない人のことを伝えてもしょうがない
それと同時に、
僕の妻にしてあげられる事は全て終わった
そう思った
ここまで読んで下さりありがとうございます。
