- 投稿日:2024/11/08
- 更新日:2025/11/05
日記をつけはじめて28年目になります。
今、3年日記が10冊目。
あと2年で30年間に到達します。
我ながらあっぱれ!でしょうか?(笑)
子どもの頃にも日記をつけていた時期があり、いまだに2冊は手元にあります。

中途半端に終わっていますが、どうやら三日坊主ではなかったようです。
小学校6年生の私(左の日記)、中学生から高校生の私(右の日記)、そして29歳から現在にいたるまでの私。
手元にある日記で自分の人生を振り返ることができます。
すべて“私自身”が書いた、にまちがいはないけれど、成長とともに書く文字も成長し、特に小学生の私の日記には、まるで自分の娘が書いたかのような愛着さえわいてきます(笑)
気付けばもう57歳。
もう還暦も意識し始めたお年頃です。
おかしいな・・・🤔
小学校6年生の私が書いた、1月15日の成人の日(当時は1月15日が成人の日でした)の日記には、
「私はあと9年(まだまだ先の話、というおそらくワクワクした気持ち)」
と書いてあるのですが、いつの間に通り過ぎたのでしょう??(笑)
と言うくらい人生って、あっ😲❗という間に過ぎていくものなのです。(ホントにホント)
そんな私が、
❓29歳から何をきっかけに日記をつけ始めたのか
❓28年間日記をつけ続けて、だんだん気付いてきたこととは
これらを自分なりに振り返り、人生の過去から未来へのつながりを考え、「日記をつけることも悪くないよー!」ということを、この記事を読むことを選んでくれたみなさんにもお伝えできればと思い、この場につづってみることにしました。
✒️日記をつけ始めた理由
私が日記をつけ始めたのは、1998年1月1日から。
29歳の時です。
1997年9月に離婚をした私は、出戻っていた実家から1997年10月に引っ越し、就活をしながら都会での初めての一人暮らしを満喫していました。
時は20世紀から21世紀へと移り変わる頃。
「自分がどのように世紀またぎをするのか書き残したい!」
これが私が日記をつけ始めた理由です。
✒️20世紀から21世紀への「世紀またぎ」に何をしていたか
かと言って、その後「世紀またぎ」の気持ちを意識することなく過ごしていました。
2000年は20世紀の最後の年であり、21世紀のスタートは2001年ですので、その頃私がどうしていたかと言うと、2000年、いわゆるミレニアム婚と呼ばれた年に再婚し、今にいたっています。
その経緯からすれば、私の世紀またぎは、
「再び結婚する道を選択し、新たな人生を歩み始めた」
ことになります。
✒️日記につづる人生のストーリー
自分で書いてきた日記とは言え、読み返すことはめったにありません。
と言いますか、多すぎて読み返せません(笑)
一旦読み始めると止まらなくなるという、場合によっては"時間のムダ使い"にもつながりますから😓
「書いてて良かった!」と思う時は、“あのときどうしていた”を探すことができて、今に役立つ時です。
28年間の日記には、
🌼自分がその時どこで何をし、何を思い暮らしていたのか
🌼ダンナさんと出会った日から今日の日のまでのこと
🌼父が病に倒れ亡くなるまでのことや、伯父伯母(叔父叔母)や大切な人が亡くなりお別れしたこと
🌼甥や姪が生まれ、その成長や、また同時に親兄弟も歳を取っていく過程がわかること
🌼その日の天気
🌼その日食べた物(作った料理も)
などなど、ありふれた日々のほうが多いのですが、のちに振り返れば楽しかった思い出や、苦しく終わりのないように思えた日々もたくさん詰まっていて、その時々の心の状態を知ることができます。
✒️日記には頭の記憶だけでは忘れていることも残っている
頭の中だけで人生を振り返る時、
「自分って中途半端なことばかりで何にもやってこなかったなぁ」
って思うのです。
頭の中の、これまで生きてきたことのすべての記憶を引っ張り出すことはできませんからね。
子供のころから不器用で賢くもなく、運動音痴の上に人とのお付き合いも苦手な私は、生きづらさで自分自身とよく葛藤(かっとう)してきました。
ものすごい劣等感のかたまりで自分に自信なんてかけらもなかったです。
(ちなみに、今も葛藤してますし、自信もないです(笑))
今、日記を読み返しても成長が感じられず、いつまで経っても目標が変わらずいまだ成し遂げていないとわかり、思わず苦笑いです😅
日記の中には、幸せな経験もたくさん書き残してあるのですが、人生の中で消してしまいたい経験も現実のものとして残っています。
そのことを読み返すことは、当時のつらさを思い出すことになり、ものすごく胸を締め付け、嫌な気持ちにもなるものです。
実際、書いて残すこともつらくて、自分の正直な気持ちを自分の胸の中だけに押し込んでいることもあります。(そういう出来事は残念ながら書かずとも忘れないのです)
忘れている良い出来事も思い出せるけど、悪い出来事も思い出してしまう。
日記のメリットでもありデメリットだと思う点でもあります。
✒️日記の中に自分の価値を見出す
しかし、年月を積み重ね、日記に書きつづってきたことが、だんだん“自分を奮い立たせ、後押ししてくれる”ようになったと感じています。
「今まで生きてこられたのだから、なんとかなる!」
今や、この言葉がモットーの一つです。
💪「今きついけど、あの頃よりもマシ」
💪「あの頃を乗り越えられたのだから、今度もきっと大丈夫」
そして
💪「今まで生きてこられたのだから、なんとかなる!」
と、過去の自分が今の自分、そして未来の自分を励まし、背中を押してくれるのです。
『「私の人生恥しかない」が自分なりのキャッチフレーズですが、年齢を重ねるに連れ、あらゆる経験を重ねることが自分の価値になると思えるようになりました』
私のリベシティでのプロフィール、後方の一文です。
「人生に無駄はない」
このことを私は日記をつけてきたことで知り、劣等感の強い自分の人生を受け入れられるようになってきたのかもしれません。
そして、「人生で日記をつけ続けることも悪くない」と思えてきたことは、日記の中に自分の価値を見出してきたからではないでしょうか。
✒️気負わず続けることの大切さ
この歳までになってくると、一つのことをコツコツとやり続けてきた周りの人がどんどん腕を上げ、結果を出してきていることが目に見えてわかります。
一本の木で例えるなら、急成長した木は十分な根を張ることができていないため雨風に弱くすぐ倒れてしまいますが、ゆっくりと確実に成長してきた木は力強く大地にしっかりと根を張り、たいていの雨風では倒れることはありません。
私が日記をつけ続けてきて、このようなことを意識したことはもちろんありません。
意味が違うかもしれませんが、私の場合、どこかの地点である種の“現状維持バイアス”が働いて、それがずっと続いているのかもしれません(笑)
【つらい、面倒くさい、もうやめたい】
自分が好きであることにしても、こういうマイナスな気持ちはだれでも持つものでしょう。
しかし、続けられるということは、根本的に“好き”なことだと思います。
自分の“好き”という気持ちを大切に、マイナス思考を【自分は成長している!】と置き換えられるようになれば、つらい時期であってもそれを乗り越えられる。
そして、きっとそのことが未来の自分を助けてくれる。
ゆっくり、遠回りしてもいい。
素直に好きだと思えることを見つけたら、気負わず続けてみてください。
ちなみに私の場合、日記をつけ続けていること、ぼちぼちとですがブログを止めずに書けていること、またこうしてノウハウ図書館へ投稿出来ていることは、“書くことが好き”だからなのかな、と感じています。
✒️日記をつけてみませんか?
私がつけている3年日記は1日が8行です。
5年日記や10年日記もあり、行数が6行、4行と少ない日記などさまざまあるようです。
「日記を続けてみたいなぁ」と思うのなら、同じシリーズでそろえると統一感があり管理するのにもいいかと思います😊
日記をつけることに自信がない人は行数が少ない日記を使っていいですし、「書くことがない!😣」と思ったら「今日はいい天気だった」とか「〇〇食べた、おいしかった!」だけでもいい。
そんなたわいのないことでも、数年後に役に立つことだってあるのです!
「去年(数年前)と同じ日に同じことをしている!」こともあります(笑)
「今日は誘惑に負けずお金使わなかった、自分えらいぞ!」などと、自分をほめることもどんどん書きましょう(私も自分で自分をほめていますよ😉)
書けない日があればムリして書かなくてもいいのです。
そのかわりそこで止めずに、日にちを飛ばしてでも続けてみましょう。
続けていると、きっと書かずにはいられなくなりますよ😜(笑)
『継続は力なり』
この言葉は、続けてこそ理解できる言葉です。
『日記は未来の自分の糧(かて)となる』
未来の自分へのプレゼントとして、日記をつけてみませんか?
みんな毎日、自分の人生にひとつひとつ種をまいているのです。
きっといつか、きれいな花が咲きますよ🌸
その過程をいつか、振り返ってみましょう。
最後までお読みいただき ありがとうございました😊