- 投稿日:2025/07/08
- 更新日:2026/03/02
はじめに|「ちゃんと相談したはず」だったのに
「ちゃんと家族に相談して決めた」
そう思っていたのに、あとから
「なんで止まれなかったんだろう」
と、自分でも分からなくなることってありませんか😌
私はありました。
しかも一度ではなく、何度も。
高額な学びへの投資も、働き方を変える選択も、大きな金額が動く決断も、その都度、夫に話し、了承を得ていました。
それでも、止まれなかった。
この記事では、
・なぜ「相談していたのに」止まれなかったのか
・なぜ「納得して決めたはず」の判断が、あとから崩れていったのか
当時の自分を責めるのではなく、ひとつの“構造”として振り返ってみたいと思います🍃
私が選んでいたのは「高額なスクールや師匠的存在に頼る学び方」だった
振り返ってみると、当時の私は高額なスクールや師匠的存在に頼る学び方を選んでいました。
「ちゃんと学ばなきゃ」
「導いてくれる人が必要」
「一人でやるのは遠回りな気がする」
そんな思いが強く、答えや正解を、自分の外に求める形の学びに自然と惹かれていったのだと思います🌀
相談していた。でも、もう傾いていた
最初のきっかけは、起業や働き方を学ぶために、高額なスクールを契約したことでした。
在宅でできる副業で月に30万円!
そんな言葉に代表されるような、将来への期待を感じさせる説明に惹かれ、「本気で取り組めば変われるかもしれない、そう思うようになりました。
「高額だけど、本気で学びたい」
「このまま終わりたくない気がする」
そんな気持ちを、私は夫に伝えました。
夫は少し考えたあと、「そこまで言うなら、やってみたら?」
そう言ってくれました。
反対されなかったことが、当時の私にはとても心強かった。
でも今振り返ると、そのやり取りは「相談」というより「決意の共有」に近かったのだと思います😌
私はすでに、心の中で「やる」と決めていました。
夫の返事がどうであっても、きっと同じ選択をしていたはずです。
話し合いは、いつの間にか「報告」になっていた
その後も、私は外部の学びやサポートにお金をかける場面がありました。
その中には、退職時の手続きや社会保険給付金の申請を支援する、民間の退職サポートサービスも含まれていました。
その都度、夫には話していました。
「制度を使えば結果的にプラスになりそう」
「計算してみたけど、損ではないと思う」
夫はお金の話に詳しいタイプではなく、普段から「任せるよ」と言ってくれる人でした。
私自身もFP資格を持ち、家計管理を担ってきた立場です。
だからこそ、話し合いは少しずつ“一緒に考える”から、“説明・報告する”形に変わっていったのだと思います🍃
今思えば、この頃から夫の「意見を聞く」よりも「理解してもらう」会話になっていました。
判断基準が、静かにズレていった
最初は「高いな」と感じていた金額も、一度大きな支出を経験すると、感覚が少しずつ鈍くなっていきました。
「せっかくここまで来たのだから」
「中途半端にやめるより、きちんとサポートを受けたほうがいい」
そんな言葉が、自然と頭に浮かぶようになっていました🌀
「まずはスクール紹介で成果を出してみましょう」
「成果が出ないのは、商品ではなく“マインド”の問題」
「会社員はハードモード。時間もエネルギーも奪われる。自由になるには、起業しかない」
同じスクールで学んでいる人たちが、こうした考え方を実践しているように見え、その姿が「本気で取り組んでいる」「覚悟がある」と評価されていました。
そうした言葉や評価に触れ続けるうちに、違和感を覚えること自体が、「自分の甘さ」や「覚悟不足」なのだと感じるようになっていったのだと思います。
気づかないうちに、役割が決まっていった
自分で考えて選び、行動しているつもりでしたが、実際には、スクールの方針に沿った行動を取ることが前提になっていきました。
学びを深めることよりも、
・スクールを誰かに紹介する
・成功事例として発信する
・同じ流れに人を乗せる
そうした行動が評価される空気の中で、私自身も、その役割を担う側に回っていったのだと思います😌
「止まれなかった」のではなく「止まり方がわからなかった」
今振り返って思うのは、私が特別に弱かったわけではない、ということです。
誰かに強く何かを押しつけられた、という感覚はありませんでした。
でも、気づかないうちに「選んでいるつもりで、選ばされている」そんな状態になっていたのだと思います。
だから「止まれなかった」のではなく、気づいたときには、どう止まればいいのかわからなくなっていた、そんな状態だったのかもしれません😌
「やってみたい」は悪いことじゃない。でも…
変わりたい。
学びたい。
今のままでは終わりたくない。
そう思う気持ちは、とても自然で前向きなものです🍃
ただ、その気持ちが強いときほど、誰かに導いてもらう形の学びに安心を感じやすくなることもあります。
「お金を払えば近道できる」
「この人に任せれば大丈夫」
そう思い始めたときこそ、一度立ち止まる余白が必要だったのだと、今は感じています🧭
真面目な人ほど、委ねすぎてしまうことがある
・素直に話を聞ける人
・自分の努力不足を責めてしまう人
・家族のために、何かしたいと思っている人
こうした人ほど、
「もっと頑張ればうまくいく」
「まだ足りないだけ」
という言葉を、まっすぐ受け取ってしまいやすい。
それは欠点ではなく、まじめさゆえだと思います😌
まとめ:だからこそ、伝えたいこと
もし今、「少し高すぎるかも」「なんとなく不安だな」
そんな直感があるなら🍃どうか無視しないでください。
信頼できる人に話してみる。
時間を置いて考えてみる。
第三者の視点を入れてみる。
それだけでも、判断は少し変わるかもしれません。
今の私は、高額なスクールや師匠的存在に必ずしも頼らなくてもよかったのかもしれない、そう感じています。
この記事が、誰かが立ち止まるための、ほんの小さなきっかけになれたなら。
そう思いながら、書きました。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました🦊🍵