- 投稿日:2025/09/02
- 更新日:2025/10/11
こんにちは。元大手大学受験予備校職員の”たけいし”といいます!
私はこれまで大学受験予備校で多くの受験生、保護者と関わってきました。
「大学受験に成功するにはお金をより多くかけないといけないのかな…」と悩む受験生や保護者の方とも多く出会ってきました。
確かに多くのお金を払うことで「より高い質」を得ることもできます。
一方では、多くのお金を払ったからといっても、あまり身になっていない受験生も多くいました。
そんな私自身の知見を踏まえて、受験生や保護者にも読んでほしい成長の鍵をお話しします。
はじめに
タイトルのように、「コストを払うことが大事だ」と聞くと、お金の話をされていると感じる人が多いかもしれませんが、ここで言う“コスト”とはもっと広い意味を持っています。
ここでいう「コスト」の定義とは、「自分の有限な資源を差し出すこと」です。
例えば
●お金:模試や講習・授業にかける費用
●時間:SNSを閉じて机に向かう一時間
●労力:面倒でも参考書を1ページ開くこと
●精神的エネルギー:緊張しても質問をしに行く勇気
●意志決定の責任:何を信じ、何を選ぶかを自分で決めること
「成長」とは、誰かが用意した正解に乗っかることではありません。
“自分の資源”を“自分の意志”で差し出すこと
そこに成長のきっかけがあるのだと思うのです。
「親や学校に報いるために頑張る」は悪いことなのか?
悪くはありません。
親が高い授業料を払ってくれたから・・・
学校の先生が親身にサポートしてくれたから・・・
それに報いるべく頑張れたという人もいるでしょう。
しかし、ずっと「他者」からの起点だけで頑張っていると、その人たちの存在や応援がなくなったとき、自分の足で立てなくなるかもしれません。
大事なのは、最終的にその努力が「自分自身に報いるもの」であることです。
つまり
他者起点 → 自分起点へと移行できれば◎
他者起点 → 他者依存で固定されれば✕
このように考えてほしいと思います。
「自分で選べ」と言われても難しいという声について
当然です。
最初から正解が見えるわけではありません。
しかし、適切に情報を得て自ら選択するために、自分の労力や時間というコストをかけることはできます。
自分から詳しい他者に事情を説明してサポートを求めるといったこともできます。その行為は、「支援を受ける=依存」ではなく、主体的なものです。
ただし、ただ正解を与えてもらおうという姿勢ではなく、サポートをもとに自らが責任を持って選択するという姿勢があることが前提ですが。
お金も時間も出せない人は、成長できないのか?
そんなことはありません。
誰もが同じ量の時間やお金を持っているわけではないのは当然です。
家庭の事情や体調、置かれた環境の中で「出せるもの」が限られている人もいます。
突き詰めれば、これはもう、本人の努力でどうにかできる話ではなく、福祉の領域に関わる社会的課題です。
だから「多くのコストを払えた人が偉い」とは一切思いません。
大事なのは、「自分の出せるものを、自分の意志で差し出すこと」です。
たとえば、
●学校のプリント1枚でも、自分の意思で本気で取り組む
●10分でも、スマホを置いて集中してみる
●人に相談しに行く、その一歩の勇気を出す
出せるものは人によって違います。
でも、その中から「これは自分で差し出した」と言えるものを持つことは、誰にでもできるし、そこにしか成長は生まれません。
まとめ:自己責任論ではなく、“自分の舵を握る”ということ
ここで伝えたいのは、「頑張れない人は自己責任だ」という話ではありません。
環境や状況によって、払えるコストには違いがあります。その違いを否定したいのではなく、「自分が出せる範囲で、何かを差し出して選ぶ」という姿勢が、成長につながるということを伝えたいのです。
自己決定がもたらす“実感”の瞬間
模試の結果が上がったときではなく、
受験直前にふと、こんなふうに思えたなら、それは本物の成長だと思います。
「あのとき、自分で決めて、やると決めたからこそ、今ここにいるんだ」
親がすすめた講座ではなく、自分で選んだ参考書。
学校の先生に言われたからではなく、自分で決めた自習時間。
その一つひとつが、自分の意志で差し出したコストです。
それが、後から必ず自分の中に“手応え”として返ってきます。
おわりに
この記事をここまで読んでくれたことこそ、まさに「時間」というコストを払ってくれたということです。
受験生としてのあなたが、
「自分の意思で何を差し出して、何を選んできたのか」を見つめ直すきっかけになったらうれしいです。
そして、この記事が親御さんや教育者の方に届くなら、
子どもが自分の意思で選ぶ、自分でコストを払うという経験を、どのように支えるかを考えるヒントになればと願っています。