- 投稿日:2025/11/12
あなたは「劣等感」ってありますか?
誰かと比べて、自分は劣っているような感覚になることを
「劣等感」と呼びますね^^
アドラー心理学では、
「こうなりたい」「こうありたい」という
仮想的目標と現状との間のギャップに基づく
マイナスの感情のことを「劣等感」と呼びます。
この「劣等感」って、
「感」なので、自分が主観的に感じるものです。
例えば、100人中成績が5番以内だったとしても
本人が「1番をとれなきゃだめだ」と
思ってしまうと、本人は劣等感を感じます。
「かっこいいですね」と伝えても、
男性自身が「わたしは顔のここもここもいやで、こんな醜い自分が嫌い」と
思ってしまえば、それも劣等感になります。
自分に自信のもてない、
劣等感という感情は一見不要に思えますが、
実は必要な感情なんです^^
アドラー心理学のアドラーは、
劣等感を「健康で正常な努力と成長への刺激」と言っています。
劣等感があるからこそ、
「乗り越えよう」「がんばろう」と努力して、
人は成長できるんです。
劣等感は、「どう活かすか」が重要なんです。
アドラーは「共同体感覚」という感覚を
最重要のコンセプトとして掲げています。
「共同体」とは、「人間の複数体」のことで
家庭や会社、地域社会、国家のことなどを指します。
人間は、個体(一人)では
限界があるけれど、共同体をつくり
協力し合うことで、大きな目標を達成してきました。
人と協力するという社会性があるから、
人類は発展することができたんです^^
そして、
この「共同体感覚」には「劣等感」が
深く関係しています。
アドラーはこう言っています。
===========
社会に適応するということは、
劣等という問題と表裏一体だ。
一人の個人は弱く、劣っているために人間は社会を作るのである。
つまり共同体感覚と社会的な協力は、
個人を救済する役割を果たしているのだ
===========
劣等感を抱えて、自分はダメだと思う気持ちがあり
そこから「よりよくなろう」という上昇志向が生まれる。
そして、そのための手段として
「人と協力」することを選ぶ、ということ。
チームや組織で、
自分の苦手をさらけ出して、
人に頼ることは、何も恥ずかしいことではないんです。
得意を発揮すればいいだけ。
「共同体感覚」とは、
共同体にいる仲間の人間に関心をもち、
仲間を信じるという信頼感、仲間の幸せや成長に、
できるだけ役に立とうとする貢献感を指します。
また、所属する共同体に対して
「居場所がある」「ここにいれば安心できる」と
感じられる「所属感」や「感情」を含むんです^^
そう考えると、
「チームにとって、◯◯した方がいい」
「会社にとって、◯◯した方がいい」
「社会にとって、◯◯した方がいい」
という感覚はとても大事なことがわかります^^
自分一人の利益だけ、自分の都合だけ考えていたら
チームはうまく回りません。
「チームにとっての最適解」を考えることは
有益で、建設的な視点なんです^^
でも、ここで大事なポイントがあります。
「共同体感覚」と「仲が良い」はちがう
ということ。
共同体感覚の定義は
「信頼関係やパートナーシップがお互いにあるうえで
お互いの共通の目的のために、
それぞれが『何ができるか』を考えること」
です。
仲が良い、悪いではなく
共通の目的に向かって、互いを信じて、
それぞれが最大限できることをする。
そして「ここが自分の居場所だ」という所属感がある。
これが共同体感覚なんです。
一人ひとり、違う人があつまる共同体の中で、
そこにいる仲間に信頼感をもち、
「自分の役割はなにか」「共同体のためにどうすべきか」
という貢献感を持つことが重要なんです。
そして、「自分の居場所はここだ」と
所属感を持つことで
自分の力を発揮しやすくなるんです^^
いいチームは、メンバーがみんな
「共同体感覚」をもっています。
現代では、特に必要な感覚だと思っています。
横並びの個性無視の画一的な時代から
「個」の時代になっている今、
互いを認め合って、信頼し合う
「共同体感覚」をもったチームが、
「よいチーム」と言えるとわたしは思います^^
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