- 投稿日:2025/11/19
- 更新日:2025/11/19
インドで5カ月間働いた僕が衝撃を受けたのは、「ドアを開けるだけの人」や「お茶を運ぶだけの人」が実在したこと。
この極端な職務分担の背景には、14億人の人口と今なお根強く残るカーストがあったのです。
この経験を通じて、日本で自由に夢を追える環境がいかに恵まれているかを痛感しました。
インドでインターンシップ

インドでは日系企業の現地法人で、5カ月間のインターンシップを経験しました。
参考:銀行で鬱になり訓告処分に…人生に絶望した自分が民泊にたどり着いた軌跡
僕が派遣されたチェンナイ支店はまだできたばかりで、日本人マネージャー1人にインド人従業員が7人という少人数の構成です。
そのためか皆が仲良く、僕は比較的スムーズに職場に打ち解けることができました。
チェンナイは南インドにある大都市で、近年は日本企業の進出も増えている地域です。
自動車産業を中心に製造業が発展しており、「南インドのデトロイト」とも呼ばれています。
この地で働けることは、成長するインド市場を肌で感じる絶好の機会でした。
インドでの仕事は壮絶

インドでの仕事は、思っていた以上に壮絶でした!
電力不足のために1日2回の計画停電があるばかりか、突発的な停電も頻繁に起こります。
オフィスには自家発電機がありましたが、切り替わるまでの数分間はパソコンも照明も使えません。
強制的に仕事が中断され、また集中力を取り戻すのに苦労しました。
また道路の状態が悪くて常に渋滞しており、アポがあっても約束の時間にたどり着くことができません。
10キロ移動するのに1時間以上かかることも珍しくなく、日本の感覚で予定を組むと必ず遅刻します。
インドのビジネスパーソンは、「インディアン・タイム」という概念を持っていました。
約束時間から30分~1時間遅れることは、当たり前とされていたのです。
街は水はけを考えて作られていないのか、雨が降ると必ず次の日は洪水になります。
モンスーンの時期には水に浸かりながら通勤することもあり、サンダルが必需品でした。
どれもなかなか、日本ではできない貴重な体験です。笑
極端な職務分担という現実

働き始めてすぐ、僕はインドの職場環境に違和感を感じるようになりました。
なぜか、従業員の仕事が極端に分担されているのです!
受付・事務・営業などで分かれているのはもちろんのこと…
「ドアを開けるだけの人」や「お茶を運ぶだけの人」なんてのも存在していました。
これには主に、以下2つの理由があります。
理由1:膨大な人口と雇用創出
まず一つは「人口が多いこと」です。
インドの人口は2023年に中国を抜いて世界第1位となり、14億人以上もの人が住んでいます(執筆時点)。
若年層の割合も高く、毎年大量の若者が労働市場に参入してくるのです。
多くの人が少しでも仕事にありつけるよう、インドでは細かく仕事が分かれているようです。
たとえば公共事業ではあえて重機を使わず、多くの人を雇用してほぼ手作業で工事を進めていました。
道路工事の現場では、数十人の作業員がスコップとつるはしだけで作業している光景をよく目にしたものです。
インドのインフラ整備が、なかなか進まない理由がわかりました。
しかしこれは単なる非効率ではなく、膨大な人口を抱える国の雇用政策という側面があるのです。
理由2:根強く残るカースト
もう一つは「カースト」です。
「カースト」とは、ヒンドゥー教における身分制度のこと。
インドにはその意識が、今でも根強く残っています。
カーストは紀元前から続く、伝統的な社会階層システムです。
大きく分けて、以下の4つの階層(ヴァルナ)があります。
ブラーフマナ(司祭階級):宗教的指導者
クシャトリヤ(王族・武士階級):統治者、軍人
ヴァイシャ(商人階級):商人、農民
シュードラ(労働者階級):職人、使用人
さらにこの4階層の外に「ダリット(不可触民)」と呼ばれる人々が存在するのです。
自分がどのカーストに属しているかによって、結婚できる相手や就ける仕事が限られます。
「ドアを開けるだけ」や「お茶を運ぶだけ」というような仕事は、カーストにおける身分の低い人が担っているようでした。
インド憲法では1950年にカーストが法的に廃止され、差別も禁止されています。
しかし社会の慣習として、特に地方や伝統的なコミュニティでは今なお強い影響力を持っているのが現実です。
カーストがもたらす日常の不平等

僕にとって、この「カースト」は本当に衝撃でした!
この現代社会において、身分制度なるものが今だに存在していることが信じられなかったのです。
カーストが低いという理由だけで会議に参加できなかったり、集合写真に入れなかったり…
そういうのを見ると、僕は何とも言えない寂しい気持ちになりました。
現代のインド、特に都市部では状況は徐々に変わりつつあります。
IT産業などの新興分野では実力主義が浸透し、カーストに関係なく出世できる環境も生まれているのです。
政府も留保制度(アファーマティブ・アクション)を通じて、下位カーストの人々に教育や就職の機会を保障する政策を実施しています。
それでも社会の深層に根付いた意識を変えるには、まだまだ時間がかかるでしょう。
インドで知った自国の価値

日本は本当に幸せな国です。
皆が平等に、どんな人生でも歩める権利を持っています。
生まれた家や環境によって、多少の優劣はあるものの…
努力すれば、自分の人生をどのようにでも変えられるのです。
農家の子どもが医者になることも、中小企業の社員が起業して成功することもできます。
もちろん日本にも、格差や不平等は存在するでしょう。
しかし少なくとも、制度的・宗教的に人生の選択肢が制限されることはありません。
インドでは自分の親から受け継いだカーストは、死ぬまで変えることができないそうです。
個人の努力ではどうしても乗り越えることができない、理不尋な壁がそこにはあります。
才能があっても夢があっても、カーストによってそれが実現できない人々が数多く存在しました。
インドから得た人生の教訓

「やりたいことができる環境にいるにもかかわらず、それに挑戦しないのはもったいないこと」
僕はインドに行ってから、そう考えるようになりました。
日本に生まれて教育を受け、自分の意志でキャリアを選択できる。
これは決して、当たり前のことではありません。
世界には生まれた環境によって、人生の選択肢が限られている人が何億人もいるのです。
インドで出会った若者たちの中には、カーストの制約がありながらも必死に勉強して人生を変えようとしている人たちがいました。
彼らの努力する姿勢を見て、日本の恵まれた環境を最大限に活用する責任も感じるようになったのです。
最後に
もしあなたが今なにかに挑戦したいけれど一歩を踏み出せないでいるなら、ぜひこの話を思い出してください。
・転職したいけど面倒
・起業したいけど失敗が怖い
・新しいスキルを学びたいけど時間がない
こうした悩み、確かによくわかります。
しかし世界の多くの人々が直面している「生まれによって選択肢自体が存在しない」という状況とは根本的に異なるのです。
私たちには失敗する自由があり、やり直す機会があり、何度でも挑戦できる環境があります。
この恵まれた環境を前に「できない理由」を探すのではなく、「できる可能性」に目を向けてみませんか?