- 投稿日:2025/09/17
- 更新日:2025/09/29

自分がなぜ宿泊業をやろうと考えたのか、これまでの人生を振り返ってみました。
その根底にあるものは銀行員時代の絶望と、海外へ出たことによる人生観の広がりです。
あまりにも紆余曲折した人生で恥ずかしいですが、思い切ってさらしてみます!
銀行で鬱になる
僕は新卒で入った銀行で、鬱になりました。
当時の僕は、以下のような感じです。
・職場にいると常に腹痛に襲われる
・何でもない時にふと涙がこぼれる
・社用車で交通事故を連続で起こす
もともと注意散漫な僕ですが、鬱によってさらに注意散漫になりました。
そして業務上のミスが増え、ついには訓告処分を受けるまでに。
この訓告処分を受けたとき、とても嬉しかったことを覚えています。
なぜならこれによって、やっと辞める踏ん切りがついたからです。
「ああ、神様が辞めるキッカケを作ってくれた!」と本気で思いました。
「少なくとも3年間は続けよう」と踏ん張ってきた銀行での仕事。
最終的にはあと少し、2年10ヶ月で僕はギブアップしたのです。
「自分は仕事ができない人間だったんだ」と心の底から落胆しました。
留学で心が癒される
その後、僕はオーストラリアへ留学に行きます。
留学に出た理由は色々とありましたが、いま思えばすべて銀行を辞めるための口実でした。
「留学へ行きます」と言えば、誰も止めないだろうと思ったのが本音です。
そんなマイナスな理由で出た留学ですが、これが僕の人生を好転させます!
色々な人たちとの出会いが少しずつ、僕の心を癒してくれたのです。
僕が行ったメルボルンという都市は「移民の街」と言われています。
文字通り五大陸、色々な国から移住してきた人たちが住んでいました。
↑メルボルンの街並み
人種のるつぼなので、そこで出会った人も以下のように様々です。
・事業を成功させ大金を稼ぎ、毎日遊ぶように暮らしている人
・半年間休む間もなく働き、残りの半年はバカンスで過ごす人
・まったくお金を稼がず、完全自給自足でゆっくり生活する人
日本の片田舎で育ってきた自分にとって、これらは本当に衝撃でした!
「学校を出て、会社に入って、結婚して、定年まで働いて・・・」
そんな人生しかないと思っていた自分。
会社で働くことに挫折してからは、もうまともな人生は歩めないと考えていたのです。
それが大きく覆され、人生には色々な選択肢があることを知りました。
興奮した僕は「もっと色々な国を見てみたい!」と思うように。
様々な国へ移り住む
留学から帰った後、僕はフィリピンへ短期ボランティアへ行きました。
そして長期の海外インターンに参加し、香港やインドへ移り住みます。
これらの国でも以下のような人たちと出会い、僕はショックを受けました。
・生まれたときから親がおらず、ゴミをあさって暮らす子供
・世界中で治験を受け、お金を稼ぎながら旅を続けている人
・生まれつきのカーストで、ドアを開く仕事しかできない人
中でも最も衝撃だったのは、インドのケララで出会ったドイツ人です!
ケララは「南インドの桃源郷」と呼ばれるビーチリゾートで、多くの外国人が滞在していました。
↑ケララで最も有名なコバラムビーチ
彼女はそこで「ノマドワーカー」として働いていたのです。
翻訳の仕事をネットでやりながら、物価が安く雰囲気の良いケララで暮らしていました。
今どき、リモートワークなんて珍しくないでしょう。
しかし当時(2012年)そんな働き方をしている人を僕は知りませんでした。
「こんな仕事のスタイルがあったのか!」
「これなら働きながら世界中へ行ける!」
「これこそ僕が望んでいた生き方だぞ!」
色々な人生の選択肢を知り、どう生きるか迷っていた僕の心が決まった瞬間です。
ノマドワーカーを目指す
海外インターンを終えた後、僕は香港の金融会社で働き始めます。
僕のこれまでの経験から「金融と英語の能力を伸ばすべき」と考えたからです。
これらの能力を磨きつつ、ノマドワーカーを目指そうと考えました。
香港で働き始めてすぐ、金融トレーダーとして働いている先輩に出会います。
そして彼から色々と学んだ結果、金融トレードでノマドワーカーを目指すことに決めました。
↑香港の金融街セントラル
金融トレーダーとしては正直、長い間伸び悩み続けます。
しかし転機がおとずれたのは、勉強として毎日つけていた金融トレードのブログです!
いつの間にか多くの人に読まれるようになり、そこから広告収入が入るようになりました。
「こんなお金の稼ぎ方もあるのか!」
おもしろくなった僕はWebマーケティングの勉強も始めます。
そして自分のブログだけでなく、企業のホームページやオウンドメディアも請け負うように。
当時のコンテンツマーケティングの波にうまく乗れた僕は、そこである程度のお金を稼ぎました。
扱える資金が大きくなれば、金融トレードも楽です。
取引はほぼ機械に任せるようになり、さらに株式や仮想通貨の長期分散投資も始めます。
気づけば「Webマーケティング」「トレード」「投資」と、ネットで完結する収入源を複数確保していました。
そして夢だったノマドワーカーとなるべく、海外放浪の旅へと出かけます。
ノマド生活を始める
僕は1か月に1都市と決め、色々な国にノマド滞在しました。
当時は海外移住を検討していたので、どこが自分にあった国かを調べるためです。
日本から近く、物価の安い東南アジアの国々を中心に巡りました。
最初はすべてが刺激的で、とても楽しかったです!
1か月住みながら、その都市の物価・食事・治安など10項目を独自に採点。
移住に適した国かを評価し、ブログで報告したりしていました。
↑一番好きになったインドネシアのバリ島
しかし半年も経つとノマド生活に慣れ始め、だんだんと飽きるように。
留学やインターンのときは仲間がいましたが、ノマド生活はずっと一人。
夢を叶えた達成感からか、Webマーケの仕事もほとんどしなくなりました。
誰とも会わず、何も生み出さず、ただ異国の地を転々とする日々・・・
「今ここで自分が死んだとしても誰も気づかないだろうな」
「もしかして自分はこの世にいなくてもいい存在なのでは?」
そう考えると、胸が苦しくなって眠れませんでした。
そうこうしているうちに2020年、新型コロナウイルスが世界を席巻。
僕の海外ノマド生活(後半からはセミリタイア生活)は強制終了となったのです。
次のステップを探す
海外でのセミリタイア生活を経て、僕は下の結論にたどり着きます。
「人間にとっての生きがいは、働いて他人に価値を提供することだ!」
そこで自分にとっての生きがいを見つけるため、次のステップを探し始めました。
最初は旅行系のサブスクサービスでWebマーケティングの仕事に就きます。
やっぱり旅は好きだし、Webマーケの技術も磨きたいと考えたからです。
しかしフタを開けてみれば、やることは今までと同じ「旅行へ行って記事を書く」こと。
自分の経験は生かせますが耐えられず、試用期間の3ヶ月で辞めてしまいます。
ただその3か月間、国内を旅して気づいたことがありました。
それは「一棟貸切型の宿が目に見えて増えた」ということ!
おそらくコロナで「他人と接触したくない」というニーズが出てきたのでしょう。
実際に泊まってみると、非接触であること以外にも以下のようなメリットがあり快適でした。
・家にいるような感じでくつろげる
・子供がさわいでも気にならない
・キッチンで好きな料理が作れる
↑家族でお世話になった島根の一棟貸し宿
またこれを見て、海外には「コンドミニアム」がたくさんあったことを僕は思い出します。
コンドミニアムとは、キッチンや洗濯機など生活するための設備が備えられた宿泊施設です。
↑バンコクの長期滞在で使ったコンドミニアム
「生活するように滞在できる貸切型の宿」はきっと、世界的にもニーズがあるのでしょう。
ではこの一棟貸切宿、地元の鳥取市にはあるのか?
軽い気持ちで調べてみると、まったくありません。
「これはチャンスなのでは?」
そう思った僕は真っ先に、一棟貸切型の民泊をやることを決意します。
民泊を始める
ちょうど使われていない空き家が家の近くにあったので、それを改装して民泊を始めます。
実際に運営してみるとビックリ、開始1週間で66泊の予約が入るほどの需要の高さでした。
これについて、詳しくは以下の記事を読んでください↓
【半年で完成】民泊の知識ゼロから田舎の空き家で月20万円!不動産の素人が成功した全記録
「これはイケる!」と考えた僕は、さらに件数を増やすことを考えます。
しかしそんなに体よく、手ごろな空き家が転がっているわけではありません。
僕は身の回りの人に片っ端から声をかけ、使えそうな空き家がないか聞いて回りました。
最初のうちは声をかけても、「そのうち考えるわ~」と断られることばかり。
しかし最初の宿の実績が積みあがるにつれ、少しずつ状況が変わり始めました。
「意外とうまくいっているらしい」という噂が広まり、徐々に声をかけてくれる人が増えてきたんです。
今では複数の地域の方々と、空き家活用のプロジェクトを並行して進めるまでになりました。
↑2件目に民泊の許可を取った物件
まさに一歩ずつ、着実に夢を形にしていく過程を実感しています。
自分の原体験
振り返ってみると、自分の人生で最も大きかった痛みは「銀行で鬱になったこと」でした。
そして、それを解決してくれたのが「海外へ飛び出したこと」です。
色々な国を旅したことで多くの人と出会い、狭かった自分の視野を広げることができました。
だからこそ自分は旅が好きで、昔からずっと続けています!
留学→インターン→海外就職→ノマド→家族旅行と形は変わっていますが、今も変わらず見知らぬ地へ出かけているのです。
宿泊事業をやり始めたのも「自分を救ってくれた旅を自分の生きがいにしたい」という思いからでしょう。
この気持ちを大切に、今の事業を進めていきたいです!