- 投稿日:2025/11/21
オーストラリア留学中、僕は引きこもりになり極貧生活を送っていました。
ボロ部屋で絶望していた僕を救ったのは、ネパール人大家の優しさです。
絶望の底から這い上がった僕が学んだ、人生で本当に大切なこととは何だったのか?
オーストラリア留学で引きこもりに

僕はオーストラリア留学中、引きこもりになっていた時期があります。
参考:銀行で鬱になり訓告処分に…人生に絶望した自分が民泊にたどり着いた軌跡
理由は語学学校を卒業後、仕事探しがうまくいかなかったからです。
しかし、引きこもりでも生きていくにはお金が必要です。
ある程度の貯金はあったものの、オーストラリアの物価は自分が予想していたよりもずっと高く…
このままでは、生活が立ち行かなくなることは明白でした。
最底辺の生活が始まる

そこから、僕の極貧生活がスタートします。
まずは家賃を少しでも減らすために、僕はネパール人の夫婦が住む家の一室に転がり込みました。
そこは家賃が激安であるかわりにボロくて汚く、どこにいてもカレーの臭いがするようなところです。
部屋に家具は1つもなく、床に直敷きのマットレスがあるだけ。
窓はあるがフレームが歪んでいるため、開けることはできません。
まるで、独房にいるようでした。笑
そんな部屋で引きこもり生活を続けたので、心はどんどん荒んでいきます。
働ける所を探さなければと思っていても、体を動かす気力がない…
嫌なことを忘れるためにひたすら眠り、目が覚めるたびに絶望に落ちる…
「僕がこんな無意味な時間を過ごしている間にも、同期のみんなは仕事をこなして日々成長していってるんだ」
そんなことを考えたら、内蔵がえぐり出されるようでした。
毎日リンゴとクッキーを食べて、「ただ生き延びるだけ」の生活が続きます。
僕はいつの間にか、オーストラリアで最底辺の生活におちいっていました。
ネパール人の夫婦と仲良くなる

この極限状態から僕を救ってくれたのは、引っ越した家のオーナーでした。
一緒に住んでいた、ネパール人夫婦の旦那さんです。
ある日、旦那さんが古びた机と椅子を持って、僕の部屋にやってきました。
僕が留学でオーストラリアに来ていることを、彼は知っています。
「机がなければ勉強もできないだろう」と、外から使えそうなものを拾ってきてくれたのです。
僕が住んでいた地区には、いらなくなった家具などを家の前に放り出しておく習慣がありました。
不法投棄というわけではなく、「欲しいものがあれば持って帰ってください」という一種のリサイクルシステムです。
「Curbside Collection」または「Council Cleanup」と呼ばれる、オーストラリア独特の文化とのこと。
僕が部屋から出てこないのでコミュニケーションが取れず、僕が新しい部屋に満足しているか旦那さんは心配していたようです。
少しでも居心地よく過ごしてもらいたいという思いで、日頃から使えそうな家具がないか近所を探し回ってくれていたとのこと。
僕はその心遣いに深く感謝すると共に、そこまで心配をかけていたことを大いに反省しました。
その出来事がきっかけで、僕は家の中でそのネパール人夫婦とよく会話をするようになります。
彼らも僕のことを快く受け入れてくれて、伝統的なネパール料理をよく振る舞ってくれるようになりました。
一緒に地べたに座って「モモ」というネパールの蒸し餃子を作ったことは、僕の一生の思い出です。
旦那さんの言葉で再起

あるとき台所で旦那さんと話をしていたとき、僕は思いきって今の自分の状況を洗いざらい話してみました。
仕事探しがうまくいっていないこと
何もする気が起きないこと
絶望を感じながら生きていること
旦那さんは大きくうなずきながら、「お前ならきっとうまくやれるさ」と励ましてくれました。
そして、僕に向かってこう言ったのです。
「でもお前はラッキーだよ!」
「ここで仕事が見つからなくても、日本に帰れるじゃないか」
「知ってるか?」
「オレらの国、ネパールはとても貧乏なところだ」
「治安は悪いし、仕事はない」
「それでも家族を養わなきゃいけないから、みんな海外へ出稼ぎに行く」
「オレも、その一人だ」
「ネパール人には、国に帰るっていう選択肢がないんだよ」
世界の移民労働者の現実

旦那さんの言葉を聞いて、僕は初めて自分の恵まれた立場を理解しました。
世界には経済的理由で、故郷を離れざるを得ない人々が数億人います。
移民労働者が直面する問題は、以下のように様々です。
・言語の壁によるコミュニケーション問題
・低賃金労働への従事
・家族と離れて暮らす孤独
・ビザや滞在資格の不安定さ
・外国人に対する差別や偏見
・母国への送金のプレッシャー
ネパールからの出稼ぎ労働者の多くは、家族を養うために中東諸国やマレーシア、オーストラリアなどで働いています。
彼らにとって、「うまくいかないから帰る」という選択肢は存在しません。
帰国することは、家族全員の生活が立ち行かなくなることを意味するからです。
「帰る場所がある」という特権

僕は「このまま日本に帰ったら負け犬だ」と思っていました。
なのでそれまで、「日本に帰る」という選択肢を頭の中から意図的に外していたのです。
しかし旦那さんの話を聞き、「僕には帰れる場所がある」ということをあらためて考え直しました。
すると、何か思い詰めていたものがフッと解けて、体が軽くなったような気がしたのです。
「どうせ半年後にはビザが切れて、日本に帰るんだ」
「だったらせめて、それまでの間は精一杯やってみよう」
こんな気持ちが、フツフツと沸き上がってきました。
これもすべて、旦那さんのおかげです!
僕はこうして、再び外に出るようになりました。
留学で学んだこと

僕はこのオーストラリア留学で、人生で大切な教訓をいくつも学びました。
・異なる境遇の人々への共感力
・自分の恵まれた立場への気づき
・逆境での人間関係の大切さ
・完璧主義を手放す勇気
・小さな親切の持つ大きな力
留学の価値は、語学力の向上や学位の取得だけでは測れません。
人として成長し、世界の多様性を理解し、自分自身を見つめ直す機会こそが留学の本当の意義なのかもしれません。
もしあなたがいま困難に直面しているなら、それは決して無駄な時間ではありません。
その経験は必ずあなたの人生の糧になります。
そして僕がネパール人夫婦に救われたように、あなたにも必ず助けてくれる人が現れるはずです。
大切なのは心を開き、助けを求め、一歩ずつ前に進むこと。
それだけです。