- 投稿日:2025/12/19
- 更新日:2025/12/20
小確幸とは
小確幸(しょうかっこう)とは、小さくはあるが確固とした幸せ。
日常の中でふと味わう、ささやかで現実的な幸福感。
この言葉は、村上春樹が1985年のエッセイで用いた表現として知られています。
小確幸は、例えば、
- 朝のコーヒーがちょうどよくおいしい
- 予定が一つ早く終わった
- 天気がよく、洗濯物が気持ちよく乾いた
- 好きな本の続きが読める時間ができた
といったものです。
「人生を変える大きな幸せ」ではなく、今ここで確実に感じられる幸福である点が、小確幸のポイントです。
小確幸と大きな幸せ
小確幸は、大きな幸せや大きな目標と両立できます。
それらを捨てる必要はありません。
ただし、次の理由から小確幸は必須となります。
大きな目標の達成は「非日常の頂点」をつくるが、人生の大部分はその後の「日常」であり、その日常の幸福度を決めるのが小確幸だからだ。
なぜFIREを目指す人ほど小確幸が重要なのか
FIRE後の幸福は「支出額」より「満足の感度」で決まります。
年間支出300万円でも満足な人もいれば、年間支出1000万円でも不満な人もいます。
違いは「小さな幸せを感じ取れるか」。
小確幸の感度が高い人ほど FIRE でも幸福度が高いのです。
小確幸なきFIRE
- FIRE後も「もっと増やさないと不安」
- 常に資産額をチェックしてしまう
- 他人のFIREと比較して焦る
- 社会通念上の派手なFIRE像を追いかける
自由を得たはずなのに、落ち着かない。
小確幸のあるFIRE
- 朝ゆっくりコーヒーを飲める
- 平日に空いている場所へ行ける
- 好きな作業だけを少しやる
- 「今日は何もしない」を肯定できる
FIREは「幸せになる権利」を買うこと、小確幸は「幸せを感じる能力」。
FIRE後における小確幸の乱発による弊害
FIREを達成すると、お金や時間の余裕が生まれます。
その結果、小確幸を得る機会も増えます。
それによる弊害はあるのでしょうか。
例えばこんな疑問が浮かびます。
ラーメンにちょっと高めなトッピングをするという小確幸。FIRE前だとなかなか難しかったが、FIRE後だと毎回できてしまう。毎回できると、慣れてしまって幸せと感じなくならないか?
大前提として、FIRE後に小確幸を得る機会が増えること自体が、すでに大きな幸せです。機会が増えることで幸福のピークは下がりますが、その一方で幸福の「底上げ」は起きています。
そのうえで、 次の2つのパターンを考えてみます。
小確幸が消耗するパターン
- 毎回フルトッピング
- 意識せず機械的に注文
- 「これが普通」と思い始める
小確幸がコスト化し、感情が伴わなくなります。
小確幸が持続・進化するパターン
- あえて毎回はしない
- 「今日はつけよう」と意識的に選ぶ(自分を労う時など)
- 状況や気分で変える
小確幸が儀式化し、意味を持ち続けます。
つまり、小確幸は「消費」すると減るが、「選択」すると続きます。
FIRE後であっても、小確幸を意識的に扱い続ける必要がある、ということなのです。
おわりに
大きな目標は、人生を大きく動かす力を持っています。
けれど、それらがもたらす「特別な瞬間」は、長くは続きません。
その先にあるのは、結局いつもの日常です。
その日常の質を決めるのが、小確幸です。
小確幸は贅沢でも妥協でもなく、自分の感覚に目を向けるための、ささやかな技術。
FIREを目指す人も、すでに達成した人も、最近どんな小確幸を感じたか、少しだけ思い出してみてください。
その中に、これからの日々を静かに支えてくれる答えがあるはずです。