- 投稿日:2025/12/22
- 更新日:2025/12/22
はじめに
「またか……」
去年の夏、中学2年生の息子の担任の先生から電話がかかってくるたび、 胸の奥がぎゅっと締め付けられました。
「息子くん、今日も学校に来ていません」
職場の上司に頭を下げ、 往復5時間かけて自宅へ戻る電車の中。
「何があった?」 「何か言えない理由があるのか?」
同じ言葉が、ぐるぐる頭を回り続けていました。
でも、息子を救ったのは、私の「立派な説教」ではなく、40年間封印してきた”一番情けなくて、一番痛かった過去”の告白でした。
1. 息子から言われた、忘れられない一言
家に帰ると、いつも息子は布団の中で眠っています。
理由を聞いても、返ってくるのは 「お腹が痛い」という言葉だけ。
正直、私は 「中学校へ登校することが必須」だとは思っていません。
でも、解決できる悩みなら、助けてやりたい。
部活のこと。 友達のこと。 言葉を変え、何度も問いかけました。
そんなある日、 息子が静かに放った一言。
「父さんに言ったって、どうせわからないよ」
その瞬間、言葉を失いました。
その言葉は、どんな反抗期の一言よりもショックでした。
当時の私は、朝3時半に起きて勉強し、家事もこなし、仕事に打ち込む……自分なりに「背中で見せる父親」を目指していました。
でもその姿が、 息子には”「強すぎる父」「弱音を吐けない相手」” に映っていたのかもしれません。
気づかないうちに、 私は息子を孤独に追い込んでいたのです。
2. 息子の前で、初めて剥がした「仮面」
「このままじゃダメだ」 そう思った私は、 40年間、親にも妻にも話してこなかった過去を 息子に打ち明ける決意をしました。
約40年前の小学4年生の夏。 父の仕事の都合で、アメリカへ渡った直後の話です。
両親は私が早くアメリカに慣れるために、4週間の日帰りのキャンプのプログラムに参加させてくれました、しかしそこでは、執拗なイジメにあいました。
・水着を便器に捨てられ、その上に排泄される
・プールでは、3人がかりで、溺れるまで何度も水中に沈められる
・逃げ場のない場所で、石を投げられ、殴られ、蹴られる
当時は、ジャパンパッシングが激しい時代。 英語も話せない私は、 格好の“いじめの標的”でした。
親に心配をかけたくなくて、 誰にも言えず、 ただ耐えるしかありませんでした。
結局私は、 恐怖から逃げるように、日本人学校へ転校しました。
息子には、こう伝えました。
「父さんはね、、怖くて、アメリカ人のいない学校へ逃げたんだ。ボロボロになって、逃げ出したんだよ、でも逃げるのは恥ずかしいことじゃない。それは自分を守るための『作戦』なんだよ」
完璧だと思っていた父親が、自分と同じように傷つき、逃げ出したことがある。その事実を知ったとき、息子の目の奥が、少しだけ変わった気がしました。
3. 「完璧な父」から
「弱さを持つ一人の人間」へ
さらに私は、 息子と同じ中学2年生の頃の話をしました。
学校をサボっては、 母(息子から見ればおばあちゃん)に 何度も叱られていたこと。
「父さんにも、 理由が無いのに、どうしても学校に行きたくない日があったんだ」
すると息子は、 少し驚いた顔をして―― それから、ふっと笑いました。
「立派な父親」ではなく「同じ痛みを知る男」として向き合ったことで、息子の中で何かが変わりました。
・「親に言いたくない気持ち」を肯定してもらえた安心感
・「逃げてもいい」という逃げ道の確保
を伝えたことで、息子の気持ちを少し分かり合えたのかも知れません。
4. その後の変化
私のカミングアウトからしばらくして、 息子は一つの決断をしました。
苦しさの原因の一つだった 部活動を辞めたのです。
「辞めてもいい」 「それは逃げじゃない。次に進むための作戦だ」
その言葉が、 少しは背中を押せたのかもしれません。
それ以来、 中学3年生になった現在まで、 息子が学校をサボることはなくなりました。
今は、自分の意思で 高校受験という壁に立ち向かっています。

最後に
もし、お子さんから 「お父さん(お母さん)にはわからない」 と言われたことがあるなら。
それは、 あなたが立派すぎる存在だからかもしれません。
親が、 自分の弱さや失敗、 情けない過去を腹を割って話すこと。
それが、 子どもにとっては 何よりの救いになるかも知れません。
「逃げてもいい。 それは自分を守るための作戦なんだ」
この言葉が、 今どこかで苦しんでいる 親子に届くことを願っています。
【おまけ】
絶望の中で出会った、たった一人のアメリカ人
実は、あの地獄のような日々の中にも、 一つだけ光がありました。
毎日、 多勢に無勢ながら 私を助けてくれたアメリカ人の少年がいたのです。
彼のおかげで、 私はアメリカという国を嫌いにならずに済みました。
その経験があったからこそ、 約3年後―― 中学2年生でアメリカの中学校へ編入し、 中学デビューを果たした私は最高の思い出となる中学生活を送ることができました。
人生は、 どこで、誰と出会うかで変わります。
もし需要があれば、 「息子と一緒に挑んだ高校受験編」も 書いてみたいと思います。
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