- 投稿日:2026/01/15
1. 完璧な「日常」が壊れたあとに
毎日を懸命に走り続け、誰かの期待に応えようと自分を削る。そんな日々が、ある日突然、音を立てて崩れ去る感覚を想像できるでしょうか。
かつての私は、良き妻、良き母、そして良き社会人であろうと必死でした。しかし、積み上げてきたはずの「ふつうの幸せ」は、砂の城のように脆いものでした。離婚、膨らみ続ける借金、そして心身の限界による退職。
日常が崩壊していくあの凄惨な響きは、今も耳の奥に残っています。けれど、すべてを失い「空っぽ」になったどん底の場所こそが、私にとって真の自分を取り戻すためのキャンバスとなりました。何もない場所から始まった、再生への歩みをお話しさせてください。
2. 気づき①:「他人のための自分」を卒業する
なぜ、私はあそこまで自分を追い込んでしまったのか。振り返れば、私の無意識には「家事も育児も完璧にこなす母」と「仕事や趣味を優先する父」という幼い頃の家庭風景が、逃れられない設計図として刻み込まれていました。
元夫との生活は、その歪な記憶の再演のようでした。彼は外では「善人」として他人の手助けに奔走する一方で、家庭内では私の切実な頼みには一切耳を貸しませんでした。会話は常にどこか噛み合わず、彼がうつの診断を受けてからは、その攻撃性はさらに増していきました。
私が必死に借金を返済している傍らで、彼は旅行やタクシー利用といった贅沢をやめられず、数年にわたり生活費のほとんどを私が背負う歪な構造。それでも私は「私が頑張れば」と耐えてしまったのです。
心療内科の門を叩いたとき、私はようやく気づきました。私は他人の人生の脇役を演じるために生まれてきたのではない、と。
他人の機嫌を取るのをやめたとき、人生は動き出す。
自分の内側に渦巻く怒りと正面から向き合い、誰かのためではない「自分の好きなこと」を最優先にする。その決断が、私の人生に初めての風を吹き込みました。
3. 気づき②:経済的困窮の果てに見つけた「法」という救済
ワンオペでの育児と家事、そして仕事。その三立に限界を感じて退職し、活路を求めた自営業も、結果として私に重い借金を負わせることになりました。育児給付金さえも家族共有の家具代に消えていくような、出口のない日々。
溺れそうな私に手を差し伸べてくれたのは、「法テラス」という法的な救済でした。
「自己破産」という言葉に、かつての私は敗北のイメージを抱いていました。しかし、実際にその手続きを進める中で感じたのは、圧倒的な解放感でした。それは人生の終わりではなく、社会が用意してくれた「再生」のためのシステムだったのです。
重すぎる荷物を一度すべて手放し、今は「無理に働かない」と決めること。暗い水底から水面へと引き上げられたようなその経験は、私に「生きていてもいいのだ」という静かな肯定感を与えてくれました。
4. 気づき③:癒しは「小さな孤独」と「一冊の本」の中にあった
どん底の時期、私の心を繋ぎ止めていたのは、静寂に包まれた「小さな孤独」の時間でした。誰もいない音楽スタジオでピアノの鍵盤を叩くとき、あるいは声を上げて笑える漫画に没頭するとき、私はようやく自分自身の呼吸を取り戻すことができました。
知的な好奇心も、私を救う大きな力となりました。例えば「量子力学」の世界を知ったとき、この堅苦しく動かしがたい現実も、実は微細な粒子の振る舞いによって変化しうる流動的なものなのだ、と視界が開ける思いがしました。「ふつうに生きる」という強固な檻も、実は幻に過ぎなかったのです。
特に、数冊の本との出会いは決定的な救いとなりました。
平城さやかさんの『ふつうに働けないからさ、好きな事をして生きています。』など、心が引かれる本を買って読みました。
低年収であっても、社会のレールから外れていても、人はハッピーに生きていい。その力強い肯定は、傷だらけだった私の価値観を根底から書き換えてくれました。
5. 気づき④:「自分だけのため」に料理を作る豊かさ
かつて台所は、家族や家計という義務に縛られた戦場でした。しかし今は、そこは私にとって最も神聖な「自分を慈しむための儀式」の場です。
静かなキッチンに漂う香りは、何よりの癒やしです。 例えば、あえて和の常識を外してコンソメで仕立てた「年越しそば」。 あるいは、余った餃子の皮で丁寧に包み、フライパンで焼き上げた小さな「アップルパイ」。
サクッとした食感とともに広がる甘い香りは、私という存在を無条件に肯定してくれるようです。お金をかけずとも、自分の指先から生まれる創造性が、凍てついていた心をゆっくりと溶かしていきます。
自分の為だけに料理をすること。それは自分を大切にする儀式である。
誰のためでもない、ただ自分が「美味しい」と感じるためだけに時間をかける。そのささやかな贅沢の中にこそ、本当の豊かさが宿っているのだと確信しています。
6. 結論:これからのあなたへ贈る「立ち止まる勇気」
今、私の手元には、かつて握りしめていた「ふつう」の証は何もありません。養育権を譲り、多くのものを手放した生活を、ある人は「喪失」と呼ぶかもしれません。
けれど、すべてを放り出した先に見えたのは、何にも縛られない自由な空でした。空っぽになったからこそ、私は自分の手で、自分だけの幸せを描き直すことができているのです。
もし、今のあなたが何かに耐え続け、心が悲鳴をあげているとしたら。 「まだ頑張れる」という言葉で、自分を追い詰めないでください。
一度、すべてを放り出して「自分のためだけの時間」を持ってみませんか?
立ち止まり、何もしないことは、決して逃げではありません。それは、あなたがあなた自身として呼吸を始めるための、最も勇敢で、最も贅沢な「前進」なのですから。