- 投稿日:2026/03/26
毎年、区のがん検診に行っています。今年も同様に受診したところ、口腔がん検診だけが再検診との結果でした。再検診したら何でもなかった事が数回あったので、何の心配もしていませんでした。
翌日の土曜日に近くの大学病院へ行き、検査を受け、舌がんのステージ2と宣告されました。舌を切除すると言われて、まず心配になったのは仕事でした。がんになった事が会社に知れると派遣契約を更新して貰えないのではないかと考えたのです。今振り返ると健康よりも仕事を考える自分が滑稽に思えます。忙しすぎて病んでいたのでしょう。
医師に手術は急いだ方が良いと言われ、3日後の火曜日に入院、水曜日に手術。2024年12月中旬、街にはジングルベルの曲が流れていました。もうすぐ冬休み。自分以外の誰もが、浮かれているように見えました。
通翻訳者の私は、手術後に想像以上に会話ができないことに驚き、契約打ち切りの文字が頭の中を駆け巡りました。そして契約は打ち切られました。不要になった途端、まるでゴミクズのように捨てられることに気がつけなかったおめでたい自分を笑うしかありませんでした。派遣社員の代わりはいくらでもいるのです。
退院後も、リハビリ科の言語聴覚士について週に1回のペースで発話のリハビリを続けました。最初は五十音、次に単語、それから文章へと徐々にレベルを上げていく計画でした。まさかそのリハビリが1年3ヶ月も続くことになるとはその時には予想だにしていませんでした。リハビリには嚥下の訓練も含まれていましたが、食事ができないことよりも、話せないことの方が辛く不便でしたので、1日でも早く元のように話せるようになって社会復帰をしたいと、発話を中心に訓練を進めてもらいました。
手術中に痛めた3本の歯を抜歯し、インプラントを入れる必要が生じました。しかし、手術後まもないのでインプラント手術はできず、グラグラの歯はそのまま放置するしかありませんでした。痛みもあり、噛むこともできず、また、舌を切除したことで飲み込むこともできない状況が続きました。
発話が不完全なため、ハローワークでは失業手当の支給を拒絶されました。失業手当とは働けるのに仕事が見つけられない人の為の制度なのです。しかし、その代わりに障害手当を支給される事になりました。自宅に引き篭もりがちの毎日に気分が晴れる事もなく、メンタルクリニックの医師の助言で、思い切って親しい友人に会いました。事前に状況を説明し、発話が不明瞭な場合には繰り返し聞き返して欲しいと頼み、お粥を食べながらおしゃべりを楽しみました。コミュニケーションとは話すだけではなく聞く事も重要なのです。すっかり聞き上手になった私は充実したひとときを過ごし、他の友人達とも会いたいと願い、リハビリに励んでいた6月、首へのがんの転移が見つかりました。6週間おきに検査を受け、1か月おきに診察も受けていたのにと茫然自失となりました。目の前がやっと開けたと思い、落ち込んでいた気分も立て直せそうな予感を感じていた矢先でした。
大きい腫瘍が2つも見つかり、手術後に抗がん剤や放射線の治療を受ける可能性が高かった為に、国立がん研究センター(以下「がんセンター」)で治療を受ける事になりました。早期発見だったにも関わらず今回もステージ2でした。
がんに特化した病院だけあって、がんやがん治療による外見の変化への対処を通じて、自分らしく日常生活を送れるようにサポートをしてくれるアピアランス支援センターがありました。しかし、説明を聞いているうちに、髪を失った自分や、えぐれたような首の傷を想像してしまい、決して明るい気持ちにはなれないどころか、社会復帰がますます遠いてしまうと、気持ちは沈んでいくばかりでした。
切除した舌は他人からは見えないものの、首に残る傷はどうしても隠せないと思い、可能なら手術は避けたいという思いが日に日に強くなり、怪しげな民間療法まで見つけてきては問い合わせを繰り返していました。両親や夫に相談すると、「自分で決めた治療法なら反対はしない」と応援され、手術を受けずに抗がん剤と放射線治療だけの選択を考え始めました。そして、手術を避けたい気持ちを単刀直入に担当医に投げかけると「切れば治るのに、なぜ嫌なの?」と不思議そうに聞きかえされ、「そんなに簡単なことではない」と怒りの気持ちさえ湧いてきましたが、何も言えませんでした。そんな時に薬剤師である幼なじみの「相当数の患者を見ているトップレベルの病院の医師が言うことの方が正しいと思う」の一言で、愚かな自分の考えに気がつき、やっと手術を受ける決心ができました。
手術を受け、幸いにも浸潤は見られなかった為、化学療法や放射線治療は不要となり、髪が抜けたり爪が黒ずむといった心配もなくなり、それが不幸中の幸いでした。ただ、首の傷は目を背けたくなるほと大きく醜くスカーフが手放せません。
翌々日から言語聴覚士とのリハビリが始まりましたが、発話は以前よりも更に不明瞭になっていて、再び絶望の底に突き落とされました。半年近くリハビリをして、ようやく以前よりも明瞭に会話ができるようになったのに、また最初からやり直しかとうんざりしましたが、仕事もしていないことだし、傷病手当や民間保険の厚い手当があるので経済的になんの心配もない事が有り難く、それがせめてもの救いでした。健康な人なら全く不要な民間保険も私の場合、結果的には「不幸」という名前の宝くじに当選した事になりました。もちろん、当たらないに越したことはありません。
病気になって仕事も失った私ですがたった1つだけ良い事がありました。長年、恋焦がれてい映画字幕の学校に通えた事です。もう15年近く前、映画鑑賞が趣味の私はどうしても映画に関わる仕事がしたくて字幕学校の無料体験クラスに参加しました。ただ、仕事に結びつくかどうかも不明だった為、業務に関連する学校への通学を優先させました。翻訳学校、米国の大学のアカウンティング、大学院のサステナビリティファイナンス、通訳学校と学びは続きました。さまざまな資格も取得し、ひたすら完全なる仕事というゴールに向かって全力疾走をしてきました。そんなゴールは幻想に過ぎないことも目が覚めた今ならわかります。
1回目の手術後1ヶ月が過ぎた頃に字幕学校に通学し始めました。発話の問題でクラスメートに迷惑をかけることや体調も考慮してプライベートレッスンを選択し、授業のペースやスタイル(通学・zoom)等をカスタマイズし、1ヶ月に2回のペースで受講を継続しました。転移が見つかった時には長期間の休みが必要になり、1年2ヶ月かけてようやく全部のクラスを無事終了しました。受講後にはトライアルがあり、それに合格して初めて仕事を受注できるようになります。AIに取って代わられる仕事の代表格と言われている翻訳業ですが、字幕の翻訳は字数制限がある為に、話の流れをベースにしながら、そのエッセンスだけを言語化するのでAIにはまだまだ不可能な作業である上、最近は配信等で海外ドラマや映画が増えている分野なので、このタイミングで金融やサステナビリティの翻訳に加えて字幕作成も学べた事は奇跡に近いくらいの幸運だと思って、トライアルの合格を目指して勉強を継続しています。
どんなに若くても健康でも誰にでも病気になるリスクはあります。そのリスクを最小限に留める為にも健康診断やがん検診は受診した方が良いと思います。仕事が忙しくていけない事もあります。せっかくの週末に検査を受けたくない事も理解できます。でも、私は何の症状もないままに検診でがんが見つかりました。検診に行っていなければ、舌の切除部分は大きくなり、他の皮膚を移植する再建手術が必要となったでしょう。何も見つからなければそれはそれで最高に幸せなのです。
病気だけでなく、生きていれば辛く悲しい出来事を避けて通る事はできません。自分だけが不幸のどん底にいるように感じる日もあります。絶望のあまり生きている事すら嫌になる瞬間もあります。時間しか解決できない問題もあり、ただただ時間が過ぎるのを待っている日もあります。でも明日の自分は今日の自分よりも強くたくましい事を信じていきたいと思います。