- 投稿日:2026/03/28
介護で後悔しないために知っておくべきこと
― 義理の父の入院と拘束の経験から ―
結論から言うと、「病院の判断に任せきりにしないこと」が重要です。
そして、家族として事前に「どこまでの医療を望むのか」を話し合っておく必要があります。
私はそれができず、大きな後悔を残しました。
(今回のお話は病院での出来事です。入院中は付き添いや看病という表現方法もありますが、親の自立や尊厳を支える活動は大きな括りで「親の介護」という表現に入ると思うのでそう表現させてもらってます)
その時は突然始まった
その出来事は、ある日突然起こった、、、。
義理の父は、過去に脳梗塞で入院したことがあり、そのときは軽い症状だったため退院して自宅に戻ったのですがその後、急速に認知症が進行してしまい、家の中でドアを開けられない、靴を履けない、セーターをズボンだと思って履くなど、日常の基本的な動作が次々とできなくなっていきました。
事件と再入院
ある日、義父をデイサービスに預け、義母が自宅で義父の帰りを待っていたところ、帰ってきた義父が突然「俺を捨てようとしたな」と言い出し、ハサミを持って義母を追いかけ回す事態が起きました。これをきっかけに、義父は入院することになって家には帰れなくなってしまいました。
ドクターから自宅で療養している間に、脳の血管に少しずつ異常が起きて、判断力や記憶力、認知機能の低下が大きく進んでいたと説明があり、義母に危害が加わると大変なので、やむを得ずの入院でしたが、義父はその日の夕方にはハサミを持ってお義母さんを追いかけ回した事などは全く覚えていませんでした。
入院後に起きたこと「拘束」
入院後、父は「帰りたい」とベッドから何度も降りようとしたため、身体を拘束されるようになりました。
面会に行くと、父は腹部だけでなく、両手両足がベッドに縛られていて、
それを外そうとしてすごい力で必死に手足を動かし、苦しそうな表情をしています。
病院側はベットから落ちたら危険だからとの説明でしたが、それなら手足の拘束はしなくてもいいのではと納得出来ませんでした。
義父に会いに病院に行くと、義父は手がうまく動かせないにもかかわらず、手を広げて私の子どもたちと握手してくれます。
心が痛んで、義父を見ると涙が出ました。

家族の判断と「同意書」
義理の母は、病院に身体拘束の同意書を提出していました。
理由は「お医者さんが言うのなら仕方がない」というものでした。
理由は義母は過去に、病弱な自分の次女(主人の姉)を病院に入院予約していたにも関わらず、入院当日に病院に拒否された辛い経験があり、「病院に従わないといけない」という強い不安があったためです。
そのため、病院の方針をすべて受け入れていました。

見ているだけしかできなかった後悔
私は面会のたびに強い違和感を感じていました。
義父の手はだんだん細くなって、握っても握り返してこなくなりました。
手足は相変わらず動かせないし、苦しそうな表情を見ても、何もしてあげられない、変えられない。
「これは本当に必要な処置なのか」
「他に方法はないのか」
そう思いながら、義母に言ってはみたものの、状況を変えることはできませんでした。
数か月後に起きた変化
拘束は数か月続きました。
その間に、義父の体はますます細くなり、ほとんど動かなくなりました。
そして拘束が外されたときには、すでに寝たきりの状態になっていました。
表情も失われ、感情が伝わらない状態でした。
さらに進んだ医療処置(胃ろう)
その後、数カ月経ったある日、面会に行くと義父には胃ろうが施されていました。
事前の説明や意思確認がどこまであったのかは分かりませんが、食事が口から摂取できなくなってきたとのことで、だんだん痩せてきたのでそのような処置になったのかと思います。
ただ、義父は自分の口を使うことがなくなったので、口の中が不衛生になり舌が荒れて出血したり、菌が湧いて口の中が白くなったりと問題が多くなりました。
その状態は約1年半続き、義父は寝たきりのような状態で、意思の疎通もほとんどできないまま、後に中心静脈点滴(栄養剤を点滴で体の深い部分の静脈に入れる処置)になっていました。

病院に対する不信感
私は病院に対する不信感が募っていて、その町では一番大きな病院だけど、ナースステーションの雰囲気は暗いし通路ですれ違っても挨拶もなく無言だし、介護士さんも声掛けもしないで患者に処置してます。
義父は本当にこの病院で今の処置を望んでいたのだろうか。私たちは、父の意思をきちんと考えることができていたのだろうかと、たくさん疑問が出てきて私はいつもモヤモヤしていました。
拘束、長期間の寝たきり、ひとつひとつが積み重なり、義父の人生の最終段階が、あまりにも本人の尊厳とかけ離れているように感じられました。
義母は相変わらず「仕方がない」と言い、病院の判断に従っていました。これまでの経験から、病院に逆らうことへの恐れが強く、他の選択を考える余裕がなかったのだと思います。
私は、どうしても納得できなかったけれど、その時は医療や介護現場の知識もなく、何も出来ないまま呆然とするだけでした。
もしあのとき、別の病院を選んでいたらどうだったのか。拘束以外の方法はなかったのか。もっと早く、家族として意見を強く伝えていれば何か変わったのではないか。そうした考えが何度も頭をよぎりました。
・この治療しかなかったのか
・他の選択肢はなかったのか
・父は本当にこれを望んでいたのか

最大の後悔 机から出てきたメモ用紙
結局、義父さんは3年間の入院生活を終え旅立ちました。
人それぞれの考え方があるので正解はないお話ですが一通り葬儀を終え落ち着いて遺品を整理していたら、机の中からお父さんの書いたメモ用紙が出てきました。
そこには「俺に何かあった時は延命しないで欲しい」と書いてありました。
結論、この経験から学んだこと
この経験から、はっきり言えることがあります。
医療や介護は、「任せるもの」ではなく「家族で判断するもの」です。
そのために必要なのは以下の3つです。
① 事前に本人の希望を確認しておく
親に介護や延命のことを唐突に聞くのではなく、世間話をしながらできれば架空のたとえ話なども入れて話していく方が分かりやすいです。更にたくさん話していくうちに本音で思っていることも話してくれるようになってくると思います。
胃瘻や人工呼吸器が悪いわけではないので、病院側も必要だから行うということを大前提に自分はどうしたいのか、家族はどうしたいのか。
自分は延命しなくていいと言っても家族はそう思わない場合があります。
将来90歳位で倒れたら延命はしなくてもいいと思ってても60歳で倒れたら話が少し違ってきます。
現に私の親戚で65歳で人工呼吸器を付けた治療の後、復活して今も元気にひとり暮らししている伯母さんがいます。(現在88歳)
大事なことは、状況はその時その時で変わるので、どういう選択肢があるかを知ったうえで、その時の一番いいと思われる方法を選ぶことです。
② 家族で方針を共有しておく
いろいろ話し合ってだいたいの方向が決まったら兄弟みんなで共有しよう!
お正月などみんなが集まったときに両親の思いを伝える。
義母には、親戚でクセの強い人がいて、少し前に親戚で集まった時に「〇〇の家は奥さんがケチで金がもったいないから〇〇を病院に入院させずに、自宅で息を引き取らせたんだろう!」と話ているのを聞いて、その人から非難されることを恐れていたので、義父の入院の時にはできる限りの医療を施したのだということを後で言われました。クセの強い親戚は義父の兄なので関係性が強く、影響を受けたのだと思いましたが、それは義父の葬儀が終わってから初めて語ってくれた内容でした。ただ義母自体も受けられる医療行為は何でもしてあげたいと潜在的に思っていたようで、ここに義母と私の終末医療の考え方にズレがあったことも後で気づきました。
なので義母の考え方に私ももう少し寄り添ってあげれたら良かったと思いました。
ただ、義父は延命を望んではいなかったので大事なことは情報の共有。亡くなった後に机の中からメモが出てくるというような悲しい結末にしてはいけないと心から思います。
③ 病院に対して疑問を持ち、必要なら意見を伝える
病院は治療をするのが目的の場所。お医者さんは治すためにいるので、そのためには辛い処置も有りと考えるのはある意味当たり前なので、それを踏まえたうえでどうするかを考えましょう。
何も知らないと病院のいうがままになってしまうので、色々な選択肢を持っておくのが良いと思います。例えば家族のために可能な限り生きるなら胃瘻、中心静脈点滴、人工呼吸器 を使うのも一つの選択肢だし、または胃瘻まではOKだとか、 または口から食べれなくなったらおしまいと考えるとか それぞれのメリット・デメリットを知っておくのが良いかと思います。
どれが正しいとかではなく、個人々で違うので自分たちに合う選択をしましょう。
今決めることはなくて、選択肢は持っておいて、その時その時でベストな方法を考えるとよい思います。
これができていれば、結果が同じでも納得感は大きく違うはずです。

最後に
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
私の経験をそのまま伝えることに意味があると思って赤裸々に書いています。センシティブな内容で表現が難しいところもありましたが具体的に分かるよう包み隠さず書きました。
年をとって亡くなることは消して悪いことではないと思っていますが、自分の意に反して辛かったり長引いたりするのは本人も家族も大変だと思います。
これから親が介護状態になった時、少しでも後悔を減らせるようにお役に立てると幸いです。