- 投稿日:2026/03/28
- 更新日:2026/03/29
はじめまして、鉄平@アマゾンせどり+障がい福祉です。
福祉の仕事を25年続けてきました。支援員として障害のある方やその家族と向き合う日々を送りながら、同時に、障害のある子ども二人を育てる父親でもあります。
この投稿は、ノウハウというより「証」です。同じような境遇にいる誰かの、小さな灯りになれば、と思って書きました。
福祉を選んだ理由
20代のはじめ、ただ「人の役に立ちたい」という気持ちだけがあって、気づけば福祉の現場にいました。
現実は厳しかった。雨の日も、暑い日も、心をすり減らす日々。夜、記録を書きながら泣いたことも一度や二度じゃない。
それでも続けられたのは、ある利用者さんの一言でした。いつも荒れていたその人が、ある日小さな声で言ってくれた。
「また、明日も来てな」
その言葉で目が覚めた。翌日も、俺は同じ場所に立っていました。
「支援する側」と「支援が必要な家族」の間で
子どもに2人に障害があると分かったとき、正直、大きな衝撃を受けました。
仕事では「大丈夫ですよ」「一緒に考えましょう」と言ってきた。でも家に帰ると、自分自身が途方に暮れていました。知識はあり、覚悟もあるつもりでした。それでも現実は、想像を遥かに越えていました。
眠れない夜。終わりの見えない不安。将来を考えるたびに胸が締めつけられる感覚。
この経験で気づいたことがあります。支援する側にいる人間が、「助けを求めること」が苦手だということ。「自分は大丈夫」と思い込もうとしてしまう。
妻という存在
そんな毎日を支えてくれたのが、妻でした。
派手なことは何もしない。でも体調を見て、生活を整え、日々を回す。妻がいなかったら、この家庭はとっくに崩れていた。配偶者であり、母であり、一緒にこの現実を生きる同志です。
家庭を守るには、パートナーへの感謝と、正直な対話を絶やさないこと。 これは25年かけて学んだ、一番大事なことかもしれません。
母の死と、事故と、「まだ早い」
数年前、母がコロナ禍に突然逝きました。感染していた俺は、最期を看取ることも、葬式に出ることもできなかった。後日、一人で骨壺と向き合いながら、「ごめん、そばにおれんかった」と泣きました。
その後、バイクで事故に遭いました。後ろから突然の衝撃。身体が浮いて、世界が回った。
そのとき、走馬灯の中で母が言いました。
「まだ、早い。あんた、やること残ってるやろ」
気づいたら道路に横たわっていた。痛かったけど、生きていた。
今、思うこと
25年の福祉。障害のある子ども二人の父としての日々。事故と、母の死と、妻との時間。全部が、俺の人生の証です。
リベ大で学んで、お金のことも考えられるようになった。「志だけで生きていける」は幻想で、自分の生活を守れてこそ、長く人に向き合えると気づけた。
同じように福祉で働いている人、障害のある子どもを育てている人、「自分は大丈夫」と言い聞かせながら限界に近い人へ。
急がなく、味わうように、ゆっくり生きたいですね。
鉄平@アマゾンせどり+障がい福祉