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- 投稿日:2024/07/23

防災対策を極めたら、行き着いた答えが「資産」
皆さんこんにちは、防災士イラストレーターのアベナオミです。
私は東日本大震災を宮城県中部に位置する利府町という街で経験しました。
沿岸部から内陸5キロの場所にある自宅は、津波の被害こそなかったですがライフラインはストップ。主人の車は沿岸部で流され、2台あった自家用車は1台に。近くの川には津波が運んだ多くの物が残されていました。
震災後の被災生活は、ライフラインが止まったことも困りましたが、当時まだ若かったこともありお金の不安が大きかったです。
主人の会社は本社が津波で水没。本社機能が完全に停止。お給料が払われるのか?会社が潰れるんじゃないか?めちゃくちゃ不安でした。
私自身も当時はイラストレーターの他に、広告デザインのパートをしていましたが、子どもを預けていた保育園は1ヶ月以上休園。仕事に行くことができなくなり、電気が復旧してすぐ東京本社の人事に電話をして、出社できない間に有給をフル活用してもらうように電話しました。

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