- 投稿日:2024/08/04
- 更新日:2025/09/30

序章
「ずっと何度も譲ってくれて、
最後は怒って、
なんで突然そう爆発するんだ。
日本人は不思議な国民だ。
外交なのだから、
交渉すればいいじゃないか」
第ニ次世界大戦回顧録
ウィンストン・チャーチル
イギリス元首相
「アレやれ、コレやれ」
と、イギリスが要求するたび、
「分かりました」
と、日本はそのたび従順に受け入れる。
しかし、
最終的に我慢できなくなり、
日本は怒り心頭で戦闘開始。
イギリス人にはこの行動が理解できない。
こちらの要求が嫌なら交渉なり脅迫なり、
何かアクションすればいいのに、
反論せず受け入れ続け、
突然ブチ切れて暴力に訴えてくる。
言葉は通じているはずなのに、
なぜ一般常識が通じない。
力を誇示しない日本
チャーチルは決して、
日本を見下しているわけではない。
むしろ、
日本人に対して震え上がった。
日本はこの戦争で、
イギリス東洋艦隊の旗艦、
プリンス・オブ・ウェールズと、
巡洋戦艦レパルスを撃沈。
東洋艦隊司令長官、
トーマス・フィリップス大将を筆頭に、
イギリスは多大なる犠牲を払った。
ガタガタ震えながらチャーチルは語る。
「そんなに強いんだったら、
交渉しとけば我々も受けたのに…。
ここまで強いと思わなかった……」
これが任侠映画ならば、
このまま幕を閉じ、
観客も満足したであろうが、
この後日本は凋落の一途を辿る。
理解に苦しむ海外勢からは疑問が湧く。
━もっと日本は交渉できて、
アメリカとも上手くできたはずでは?
日本はペリーの脅迫に屈したのか
1854年、
アメリカの東インド艦隊司令長官
兼米使提督マシュー・ペリーは、
軍艦を率いて日本にやって来た。
ペリーが与えた選択肢は2つ。
『服従』か『戦争』か。
日本が選んだのは『服従』
その10年前に、
隣国『清』で勃発した
アヘン戦争を目の当たりにしていたため。
戦争に負ければ、
半植民地化され悲惨な結末しかないことを、
当時の日本は知っている。
だが、
幕府側の心は折れていない。
眼光鋭い視線をペリーに向ける。
椅子に座るペリーに対し、
幕府側は正座で向かい合うも、
その下には何枚もの畳を高く積み上げ、
ペリーの目線に合わせる。
日本は屈しない。
日本はアメリカと対等。
口に出さずとも『武士』の眼が、
ペリーを脅す。
怖いのはお互い様
昔から日本は、
その独創的な文化によって、
海外から注目を集めていた。
それはつまり、
植民地のターゲットである。
イギリスの歴史・地誌学者である、
チャールズ・マックファーレン
(1799~1858年)は、
その著書『日本 1852』において、
歴史・民族・宗教・資源・芸術・言語など、
多くの詳細な情報をまとめた。
この時代においては正に日本のバイブル。
そしてこの書物には、
ペリーの開国交渉についても記されている。
「戦争になればアメリカが勝つ」
日本を調べ尽くした著者による見解。
だがその続きにはこうある。
「しかしその過程で、
どれだけの死者がでるのかは、
想像さえつかない」
一方的な、
アメリカのパワーゲームで終わらない。
互いに死屍累々の山を築く。
著者の悍ましい結論に至った原因は、
日本を守る『武士』という存在。
死を恐れぬ戦闘集団。
高潔で侮辱を許さず、
過ちに気付けば、
自らの手で腹を切る。
『武士』は、
金で雇われた兵士ではない。
あのチョンマゲは、
ネジがブッ飛んだバーサーカーだ。
武士の怒りを買うとどうなるか。
読者の頭には地獄絵図が想像できるだろう。
ペリーの頭にも同様な、
血みどろの凄惨な構図が浮かんでいたはず。
ペリーは日本に来る前に、
『日本 1852』を読んでいた。
本で想像したあの頭のおかしい『武士』が、
明確な軍事力の差にも屈服せず、
積み上げた畳の塔の上から、
ずっと自分を睨み続けている。
ペリーの心境はいかなるものだったか。
日常にあふれる脅迫
「解約しようかな」
と、匂わせれば通信料は安くなるし。
「引越そうかな」
と、匂わせれば家賃が安くなる。
やんちゃな方がやられている
独特な髪型やタトゥー、
今は絶滅したが、
常に竹刀を携帯し校内をうろつく教師。
脅迫なんて行為は、
裏社会での出来事なんかではなく、
我々の表社会にもその辺に転がっている。
親御さんは、
「脅迫なんて、とんでもない!」
と、お子さんから社会の闇を遠ざけるが、
子供が駄々をこねれば、
「言うこと聞かないのなら、
おやつは抜きよ!」
と、自ら社会の闇となって脅してくる。
これは『しつけ』です。
これは『教育』だ。
『駆け引き』だ、『戦略』だ、『愛』だ、
『改善』『豆知識』『裏技』などなど。
言葉遊びは多々あれど、
自分の行動から、
相手が望まぬ結果を引きずり出すのは、
間違いなく脅迫である。
逆に言えば、
脅迫ぐらい手軽にできないと、
この世界はとても息苦しい。
抑止力がないと交渉もできない
政治の世界で用いられる『抑止力』
知識人や人格者に聞いても、
学術用語や横文字を駆使し、
当たり障りのない言葉で濁されるが、
抑止力も結局のところ脅迫である。
大統領が核ミサイルをチラつかせれば、
相手国は大人しくなるし、
大統領が竹槍しか持ってなければ、
相手国は話し合いにすらに来ないだろう。
確実に脅さないと抑止は機能しない。
政治の延長に戦争があるからこそ、
その手前に戦争を匂わす脅迫がなければ、
政治そのものが立ち行かず空論と化す。
脅迫するネタがあればこそ、
安心して話し合いのテーブルにつけるし、
優しい笑顔と思いやりだけ持って来ても、
お土産にいただくのは理不尽な要求だけ。
素直で従順に育てば、
家庭では評判はいいだろうが、
一歩外に出ればカモでしかない。
誰にとっての『いいひと』なのか
誰しも人から「嫌われたくない」
と、いう強い願望から、
周囲もやたら「好感度アップ」
と、いうノウハウを伝聞してきます。
天然物の純粋無垢な『いいひと』ならば、
メンタルも強いでしょうが、
体裁を気にする養殖の『いいひと』では、
悪い人たちに利用され自滅するのがオチ。
悪い人は『いいひと』が、
抵抗しないことを感じ取るので、
無理難題を押し付けてきます。
本来、『いいひと』を目指したのは、
好感度を引き上げることで、
集団社会では有利であるという、
打算的な下心から判断したはずです。
しかし、
悪い人はその下心を脅してきます。
「そんなことしたら嫌われますよ」
『いいひと』でいる以上、
呪いのようにあらゆる要求が拒めない。
社会が『いいひと』を量産させるのは、
その方が都合がいいからです。
あなたが対人関係で苦しんでいるのなら、
先ず「いいひと」を止めましょう。
「いいひと」でなくなれば、
行動の選択肢が格段に増え楽になります。
A 嘘をつく
B 声を荒げる
C 睨みつける
D 脅迫する
集団社会でチヤホヤされる以上に、
集団社会で生き残る方が大事なので。
おわりに
現在の日本人の社会性を形成した要因は、
明治維新での近代化だと思われます。
それ以前は、
階級や地域差によって、
独自の風習で人々が生活していたため、
ルールやマナーもバラバラでした。
しかし、
突如現れたスタイリシュな西洋人に、
すっかり日本人も虜になり、
土着性が強かったそれぞれの風習は、
西洋風に統一されていきます。
お辞儀の角度や、
食事の前の「いただきます」など、
私達の生活にあるルールやマナーも
この頃に作られました。
その中でも最も大きな変化は、
人目を気にし始めたことでしょう。
明治になると、
洋服の文化が入り込んできますが、
庶民には高価過ぎて未だ高嶺の花。
和服文化が当分続きます。
ただ、明治以前の和服の着方は、
かなりいい加減で、
着ているというよりは羽織っている感じ。
女性でも胸や足を隠さず、
男に至っては、
布切れを腰に巻いてるだけで。
ほぼ全員半裸が日常。
高温多湿な気候のせいもありますが、
公衆浴場から全裸のまま帰宅しても、
特に驚かれることもなかったようで、
今では考えられない世界です。
そこで明治政府から発布されたのが、
『裸体禁止令』
これでようやく日本人も、
世界標準になるのかと思いきや、
ルールとマナーを磨きに磨き上げ、
日本特有のものへ変容させ、
好感度至上主義の文化へ昇華させます。
かつてペリーを恐れさせた、
頭のおかしい血生臭い武士は消え、
その後の時代は、
ペーパーテストに受かった、
礼儀正しいお利口さんが官僚となって、
戦争が匂い立つ会談で交渉します。
それで日本がどのような道を歩んだかは、
歴史を見ればご覧の通り。
反省すべき点は、
日本は西洋の表面上にあった、
スマートで麗しい風習だけマネして、
その奥底にあるドス黒い心根は、
今でも手つかずのままなことでしょうか。
西洋人の「大航海時代」という、
ロマンあふれる看板ですが、
その裏で侵略・謀略・略奪のオンパレード。
先住民を奴隷とし、
消耗品として死ぬまで使い倒す。
そこで得た資産は、
科学革命の起因となり、
西洋文明はより大きく発展していきます。
野蛮で物騒なチョンマゲの日本人に対し、
礼儀正しい西洋の紳士淑女。
この一見、
人畜無害で洗練された外国人の生活は、
多くの犠牲の上で成り立っている。
日本人は単に結果だけ取り入れて、
その結果に至った工程は見抜きもしない。
きれいな上澄みだけ拝借して、
汚い物には蓋をする。
別に侵略者になれとは言いませんが、
少しは手を汚す覚悟が必要かと思います。
好感度とか体裁を気にして我慢しても、
最終的に爆発して周囲に被害が及ぶ前に、
交渉する材料は準備しておきましょう。
ありがとうございました。