- 投稿日:2025/04/21
- 更新日:2025/09/30
序章
2016年11月8日、
福岡市は世界中の注目を浴びた。
福岡県福岡市博多区、
博多駅前2丁目交差点付近で発生した
「博多駅前道路陥没事故」
直径30メートルにも及ぶ巨大な穴が、
博多駅の真前に突如として現れ、
その衝撃的な光景によって、
瞬く間に世界中を駆け巡ることとなる。
「復旧に半年はかかるだろう」
当初は長期化が心配されていたが、
結果的にこの道路はわずか1週間で復旧し、
元通りの状態に戻ることとなる。
人々は通常通りに通行し交通も再開された。
この迅速な復旧の様子は、
衝撃的な事故映像以上に大きな話題となり、
当時南米を訪れていた安倍晋三総理も、
CNNで報じられた日本の復旧の速さを見て
「誇りに思う」
と、知人にメールを送ったという。
Any sufficiently advanced technology
is indistinguishable from magic.
「十分に発達した技術は、
魔法と見分けがつかない」
アーサー・C・クラーク
この事故の際に見られた日本の技術力は、
まさにその言葉を体現するものであった。
緊急事態における高度な技術とその応用が、
現場で生かされた事例と言えるだろう。
にも関わらず、
我々日本国民は、今それを忘れかけている。
備えあれば憂いなし
災害が発生し、堤防が決壊する――。
そのとき初めて、
我々は「防災インフラ」
という存在に気づき、
その重要性を思い知らされる。
メディアに取り上げられるのも、
多くの場合は被害が生じてからだ。
しかし、実際には、
今この瞬間にも数えきれないほどの災害が、
「起きていない」
それは、
防災インフラが
黙々とその役割を果たしているからである。
洪水を防ぐ堤防、
地滑りを抑える法面、
耐震補強が施された橋やトンネル――
これらの“静かな守り手”たちは、
決して派手な存在ではない。
報道されることも少なく、
称賛の声が届くことも稀だ。
だが、間違いなくそれは、
社会を支える根幹である。
そして、それらの存在は、
過去に幾度となく災害に苦しめられた
日本人の「痛みと教訓」によって築かれた。
「もう二度と同じ悲劇を繰り返さない」
そう痛感した先人たちは、
未来の命を守るため、
膨大な予算と時間をかけ、
全国各地に防災インフラを整備してきた。
その結果、私たちは今日、
災害から守られて生きている。
さて――
果たして我々現代の日本人は、
その“見えない安全”に対して、
どれほどの関心と感謝を抱いているのか?
消えていく技術と経験
日本の建設業許可業者数は、
1999年時点では60万社あったが、
現在その数は47万社まで減少している。
この20年余りで姿を消した13万社の中には、
独自のノウハウや現場でしか伝承されない
“匠の技”が確かに存在していたはずだ。
そしてそれらは、
誰に引き継がれることもなく、
静かに消えていった。
同様に、建設業に従事する就業者数も、
大きく減少している。
1997年には685万人を数えたが、
現在では500万人を割り込む。
その原因は、
公共投資の縮小と現場労働者の処遇悪化。
過酷な肉体労働を強いられながらも、
賃金は下降を続け、
やがては、
コンビニバイトの時給以下にまで下がる。
誇りを持って
地域の安全を守ってきた職人たちが、
いつしかその仕事に
希望を見いだせなくなってしまった。
さらに深刻なのは、
若年層の流入の少なさである。
建設業の就業者を年齢階層別に見ると、
最も多いのが65歳以上。
55歳以上の世代だけで100万人を超えるが、
これらの熟練者たちも、
あと20年もすれば労働市場から全て退場。
このまま、
それを補う若い人材が増えなければ、
さらに100万人規模の人材が
業界から失われることになる。
公共事業の業者はどうやって選ばれるか
日本の公共事業における調達方式は、
主に次の3つで構成されている。
随意契約
競争を行わず、
発注者が特定の業者と直接契約を結ぶ。
指名競争入札
条件を満たす複数の業者を発注者が選び、
その中で競争させる。
一般競争入札
公告を通じて広く参加者を募り、
最も有利な条件を提示した業者と契約。
たとえば、
MacBookを購入する場合を考えてみよう。
どの店舗で購入しても、
中身は同じApple製品だ。
であれば、
最も安価な店舗を選べば合理的である。
最悪、不良品だったとしても、
交換や再購入という選択肢も容易にとれる。
しかし、
ダムや堤防のような
防災インフラとなると話はまったく別だ。
同じものは1つとして存在せず、
施工の品質は現場の環境、
設計、施工技術、
そして業者の経験に大きく左右される。
仮に低価格を最優先して業者を選び、
不良工事が行われた場合、
「別の業者でやり直せばいい」
では済まされない。
最悪の場合、
人命や地域の存続を脅かす結果につながる。
にもかかわらず、
日本ではこうした
命に直結する公共事業であっても、
「一般競争入札」を原則とし、
価格競争によって
業者を選ぶ仕組みが主流。
対照的に、アメリカのNASAのような
高精度な成果が求められる機関では、
調達対象の性質に応じて、
上記3方式を柔軟に使い分けている。
「同じものはない」「失敗が許されない」
そういった場合には、
当然ながら経験と実績を備えた業者に、
随意契約や指名競争入札で発注する。
冷静に考えれば、
日本の制度運用は
「例外」なのかもしれない。
それが制度上“公平”に見えるとしても、
果たしてそれは“安全”にとって
最善なのだろうか。
「指名競争入札」をしたい地方
ある地方が堤防を強化しようとするとき、
「できれば地元の企業に落札させたい」
と、考えるわけだが、
今の日本の法律では、
「一般競争入札ではない」
と、いう理由で問題視される。
だが、地元の住民からすれば、
どこの誰とも知らない業者に、
自分たちの命をあずける方が問題であろう。
低価格を売りに落札した、
どこからかやって来た業者は、
工事が終われば次の現場へ行ってしまう。
地元企業であれば、
工事後も地域と共に生き続け、
万が一の事態が起こっても、
地元住人として命がけで対応する。
また、「指名競争入札」には
もう1つ大きな利点がある。
「信頼されなければ入札すらできない」
と、いう点だ。
これは業者にとって強烈なプレッシャー。
1度でも手抜きをすれば、
次から「指名」されなくなる。
だからこそ、
たとえ行政の厳しいチェックがなくても、
業者は自主的に“最高品質”を目指す。
これが、
「指名競争入札」が持つ
最大の力でもあるのだが、
この方式にも、実は別の問題が潜んでいる。
競争と存続
地元企業での「指名競争入札」
そこで熾烈な競争が起こればどうなるか。
答えは明白。
企業が次々と倒れていく。
経済において「弱肉強食」は、
ある程度仕方のないことかもしれない。
だが、土木建築業の崩壊は、
単なる“業界の淘汰”では済まない。
なぜなら、
それは国家の基盤を支えているからである。
地震が起きれば、
道路が崩れ、建物が倒壊し、
ライフラインは絶たれる。
そのとき、
復旧に駆けつけるべき業者たちが、
すでに姿を消していたら――
たとえ災害から生還できても、
その時点で住民たちの死が確定するだろう。
故に日本では、
地元企業の適正な競争と存続を、
両立させる必要がある。
では、この課題をどうやって解決するか。
競争を促せば弱い企業が潰れる。
競争を避ければ品質が悪化する。
このジレンマの中から生まれた調整策が、
「指名競争入札」+「談合」
指名の中にいる企業同士で相談し、
「次はあなた」「次は自分」
と、工事を分担することで、
一定の競争性を維持しつつ、
指名から外れされないために、
「最高品質」が保たれる。
しかも、
仕事は順番に回ってくるため、
潰れることもない。
さて、
この「談合」は問題だろうか。
もちろん、
政治家に賄賂を渡して癒着し、
利権として公共事業を私物化した例は、
厳しく批判され撲滅すべきものである。
指名された企業同士だけで話し合い、
譲り合いの「談合」は、
利己的な争いではなく、
共同体として生き残る知恵であろう。
この仕組みで建設された
ダムや堤防などのインフラによって、
私達日本人は、
今この時も守られている。
正義という名の独善
ある地域の堤防補強工事。
本来であれば、
地元業者に任せれば済む話だ。
ところがそこに、
1つの企業が入札に名乗りを上げる。
日本企業であれば、
地域事情を理解しているので、
地元業者に任せようと良識が働く。
だが、
アメリカ企業に日本の常識は通じない。
あるアメリカのゼネコンは、
「指名競争入札」に対して声を上げた。
指名に入れないので、
絶対に日本の公共事業を受注できない。
そこで、『日米建設協議』の場で、
「談合」を問題視し、
「独占禁止法の強化」を日本に迫った。
全てを「一般競争入札」にしろと。
そして、問題は起きた。
2011年3月11日 東日本大震災
東北の道路は寸断され、
ライフラインは壊滅した。
行政は緊急事態を宣言する。
「一刻も早く道路を直せ」
現場では、各企業が手一杯の中、
供給能力の限界もあったため、
舗装業者たちの「談合」が行われた。
「私はここまでやるから残りは頼んだ」
「うちがこの地区を受け持つから、
あとはお願いする」
さて、
「談合=悪」とされる方々、
この行為は「悪行」でしょうか。
おめでとうございます。
この善意から生じた「談合」は、
美しい国、日本では
「違法」と判断されました。
独禁法違反として、
高額な課徴金が
「談合」を行った各企業に命じられる。
当然、常識ある日本国民は、
この異常事態にようやく気づく。
国土交通省は制度の見直しに踏み切り、
改正案が明かされた。
「緊急時の高い災害復旧では、
随時契約や指名競争入札を適用する」
何を今更、という感が拭えないが、
これが日本の実情である。
あなたが掲げたその正義の御旗は、
本当にあなたの目で見て、
あなたが考えた正義でしょうか。
それとも、
遠い異国の誰かに操られた正義でしょうか。
もしかしたら、
正義の名のもとに、
命を守る仕組みを壊しているのは、
あなたかもしれない。
ありがとうございました。