- 投稿日:2025/07/23
- 更新日:2025/09/29

背景
私は19歳のとき、昼間はアルバイト、夜は大学に通う生活をしていました。
アルバイトといっても、ほぼフルタイムで働いており、一般的な高卒正社員並みの給与はいただいていました。
一方で父は、私が高校在学中に退職しました(その経緯は本人が話したがらないため不明です)。
若い頃から、競馬・競艇・競輪・オートレース・パチンコなど、「ギャンブル」と名のつくものは一通り嗜んでいたようで、私が物心ついた頃にはリボ払いにも手を出していました。
常に家計は火の車──それは子どもながらにもうすうす感じていました。
とはいえ、すでにローンを完済した持ち家(のちにリバースモーゲージ)や、親(祖母)の年金収入(どうかと思いますが)がそれなりにあったため、「なんとかなるだろう」と楽観的に考えてしまっていたのです。
今思えば、当時は父本人も含め、誰も家計の実情を正確に把握していなかったのではないかと思います。
本題
私は自分の学費や生活費を自力で賄っていましたが、無駄遣いはほとんどせず、学費も想定より安く済んだため、年間で100万円近く貯蓄ができていました。
そんな私に、父は「生活費が足りない」と助けを求めてきたのです。
仕事と学業に追われていた私は、そのお金がどう使われるのかにすら関心が持てなかったのかもしれません。
そして数ヶ月後──そのお金は、生活費ではなくギャンブル、正確に言えばリボ払い返済や競馬などに使われていたことを知りました。
怒りというより、当時の私にあったのは「ここまで堕ちてしまったのか」という呆れでした。
その後、父は私を避けるようになり、私もまた父と距離をとるようになりました。
返ってくるとは思っていなかったので、金銭的な執着よりも、「言葉に重みを感じられなくなった」ことのほうが辛かったです。
兄も父ほどではありませんがギャンブルを嗜んでいたため、私は「同じ道をたどらないように」と、趣味や嗜好をあえて真逆に振るようになりました。
どの要素が依存や堕落を引き起こすのか分からなかったため、徹底的に避けたのです(たとえるなら、「成功した会社のトイレまで真似する学長」の逆パターンです)。
幸い、父への援助は私の生活に直接的な影響を与えるものではなく、大学も問題なく卒業できました。
当時は似たような事情を抱えた学生も多く、よく励まし合いながら盛り上がっていたことを覚えています。
教訓
家族だからといって、現金を渡すことが最善だとは限りません。
当時10代の私にできたかどうかは別として、債務整理の提案、役所への相談、あるいは物理的・心理的な距離を取るといった選択肢も本当はあったはずです。
私は「知恵」が欲しかった。
それが、今私がリベシティにいる理由の一つです。
後に、何を思ったのか付き合いでギャンブルを経験し、ビギナーズラックでそこそこの勝ちを得ました。
けれども「もっともっと」とはなりませんでした。
ギャンブルに対する耐性や相性は人それぞれだということに気づいたとき、少しだけ自分を赦せるようになりました。
おわりに
リベシティの中にも、家族とのお金にまつわるトラブルを抱えたことのある方、今も悩んでいる方がいるかもしれません。
この体験が、そんな方々にとって少しでも参考になれば幸いです。
ありがとうございました。