- 投稿日:2025/10/12

この記事を読むメリット
●日本語の曖昧さを「弱点」でなく「強み」として理解できる
●ビジネス・人間関係で円滑にコミュニケーションを取る方法が分かる
●“柔らかく伝えるけど、芯がある”話し方のヒントを得られる
🏮① 曖昧な言葉が多いのはなぜ?
「まあまあ」「ぼちぼち」「いい感じ」「また今度」。
どれも意味がありそうで、実はハッキリしません。
それでも日本では会話が成立する。──なぜでしょうか?
たとえば「ご飯行こうよ」と誘われたとき、
「うん、また今度ね」と返す。
これは断っているのか、社交辞令なのか、曖昧なまま終わることが多いですよね。
海外なら「行くの?行かないの?」と即答が求められる場面ですが、
日本では“その場をやわらかく保つ”ことが重視される。
つまり日本語は、本音をやわらかく包み、相手を傷つけないための言語なんです。
🌸② 日本社会の土台にある“曖昧さ”の価値観
この「曖昧さ」は、長い歴史の中で育まれてきた社会を守る知恵でもあります。
ルーツをたどると、飛鳥時代の聖徳太子の十七条憲法に行き着きます。
第一条には「以和為貴(和を以て貴しとす)」と記され、
“争いを避け、調和を尊ぶことが最も大切”という理念が示されました。
さらに、奈良・平安時代にかけて儒教思想が広がり、
「礼」「仁」「義」など、社会秩序を守るための倫理観が人々の行動指針となりました。
その中でも“和”は人間関係の潤滑油として重視され、
「自己主張よりも場の調和を優先する」という文化が形成されたのです。
また日本は島国で小さな共同体が多い社会。
村や集落で生きる上では、誰かが突出するよりも「みんなが気持ちよく暮らす」ことが大切でした。
そのため、「空気を読む」「察する」「波風を立てない」という
曖昧なコミュニケーションが生きるための知恵として発展したのです。
外来文化を受け入れるときにもその柔軟性は発揮され、
仏教も儒教も西洋文化も“共存させる”形で取り入れてきた。
この“受け入れて調和させる力”こそが、日本社会の曖昧さの真骨頂です。
⚖️③ 曖昧さを理解すれば、仕事がうまく回る理由
「日本人ははっきり言わない」と言われますが、
この曖昧さは非効率どころかビジネスを円滑にする潤滑油。
たとえば上司が部下に「ちょっと考えてみて」と言う。
これは指示ではなく、“自分の意見を整理してみて”という思考の余地を与える言葉です。
また、相手を否定せずやんわり伝える「クッション言葉」も代表例。
「それもいいけど、別の案も面白そうですね」──
このような表現があるからこそ、議論が衝突せず建設的に進みます。
つまり、曖昧さを上手に使う人は、衝突を避けながら成果を出せる人。
相手の立場や感情を読み取り、最適な言葉を選ぶ力は、
営業・医療・教育・マネジメントなど、あらゆる分野で重宝されます。
曖昧さを理解することは、「空気に流される人」から
「空気をデザインできる人」になる第一歩なのです。
🌏④ 曖昧さを“武器”に変える3つの方法
では、「あいまいな人」で終わらず、
“柔らかく伝えるけど芯がある人”になるにはどうすればいいのでしょう?
1️⃣ 言葉に“意図”を持つ
曖昧さを使うなら、「相手を安心させたい」「考える時間を与えたい」など、
目的を明確にすること。
意図のない曖昧さは“逃げ”に見え、信頼を失います。
2️⃣ YES/NOの前に“共感”を挟む
すぐ反論せず、「なるほど」「そういう考え方もありますね」と共感を見せてから話す。
相手の心を開かせたうえで意見を伝えられるのは、
日本語の“曖昧な余白”が持つ強力な武器です。
3️⃣ 曖昧な表現を“期限付き”で使う
「また今度」ではなく「来週の木曜にまた話しましょう」。
やんわり伝えながらも、しっかり“締める”ことで、信頼と行動が両立します。
曖昧さとは、誤魔化すための言葉ではなく、
相手を傷つけずに自分の意志を伝える高度なコミュニケーション技術です。
使い方を誤れば信頼を失う。
しかし、正しく使えば人間関係を深め、
チームやビジネスを滑らかに動かす“リーダーの言葉”になります。
✨まとめ
日本語の曖昧さは、聖徳太子の時代から続く「和」の文化の延長線上にあります。
それは単なる言葉の特徴ではなく、
社会の調和を守るために発展した知恵。
ただし、使い方次第で「人を安心させる言葉」にも「逃げの表現」にもなる。
だからこそ、意図を持って曖昧さを使える人が、
これからの時代に“信頼される人”になっていくのです。
