- 投稿日:2025/10/25
「普通のまま」とは特に変わっていない、ありふれている、ごく平均的であるという意味である。
「本気を出せば、俺だってできる」
そう言いながら、何年も“準備中”のまま過ごしていないだろうか。
多くの人は「凡人の壁」を越えられない。
だがその原因は、才能でも環境でもない。
理由はシンプル――「特別であることは痛みを伴う」からだ。
実は私たちの脳そのものが“平凡を選ぶよう設計されている”のだ。
脳は「挑戦」を危険とみなす生存装置である
私たちが“新しいこと”に尻込みするのは、意志の弱さではない。
脳が「生き延びること」を最優先にしているからだ。
未知の状況は「危険」と判断され、心拍数が上がり、警告が鳴る。
「失敗するかもしれない」「笑われるかもしれない」
この不安の正体は、脳が出すアラートだ。
アインシュタインを思い出してみよう。
出典:Wikipedia
彼は相対性理論を守るために物理学界全体と戦い続けた。
夜も眠れず、複雑な数式に頭を悩ませていた。
一方で隣人の会社員は?
朝起きて、仕事をして、夕食を食べ、テレビを見てぐっすり眠る。
さて、どちらが幸せだろう?
私たちの脳は「生存」に最適化されていて、「卓越」には向いていない。
何かに挑戦しようとすると、脳はすぐ警告を出す。
「危ないぞ! 失敗するかも! 笑われるかも! 無難に生きろ!」
そして私たちは従ってしまう。
挑戦とは、本能への反逆である。
脳は現状維持を「安全」と見なし、変化を「死のリスク」として扱う。
だからこそ、成功者は例外ではなく、“自分の脳を裏切った人”なのだ。
行動するたびに「やめろ」と叫ぶ声を聞きながら、それでも一歩を踏み出す。
この瞬間こそが、凡人と挑戦者の分かれ道である。
多くの人は「努力したいのに動けない」と悩む。
だがそれは、怠惰ではなく、生存本能との戦いだ。
だからこそ、意志の力だけに頼らず、仕組みや習慣で“行動が当たり前になる環境”を作ることが重要になる。
⇒「挑戦できない」のではなく、脳があなたを守っているだけだ。
だからこそ、“脳に逆らう仕組み”を作れ。
「平凡という贅沢」──現代のぬるま湯に沈む心
昔の人類は、動かない=死だった。
狩りをしなければ飢え、怠ければ命を落とした。
だが、現代はどうだろう。
スマホを眺めながら、ラーメンをすすり、エアコンの効いた部屋で動画を見るだけで一日が終わる。
挑戦しなくてもWi-Fiがある。
これほど“快適な牢獄”が、他にあるだろうか。
この「平凡のぬるま湯」は、心を静かに麻痺させる。
「今のままでいいじゃん」という声は、実は危険信号である。
収入はギリギリでも食べてはいける。
借家でも屋根はある。
平凡だけど大きなトラブルもない。
そこにふと「新しいことやってみようかな?」という声が頭に浮かぶ。
するとすぐ、もっと大きな声が響く。
「やめとけ、今で十分じゃん!」
――これが「平凡という贅沢」だ。
それは、向上心が弱まっている証拠だ。
気づかないうちに、刺激の少ない環境が自分を「変化できない人間」に作り替えていく。
挑戦には不快さが伴うが、それこそが成長のサインだ。
筋トレで筋肉が破壊されるように、心も一度壊れなければ強くならない。
だからこそ、“居心地の悪い場所”に身を置く勇気を持とう。
ぬるま湯から出た瞬間、世界は驚くほどクリアに見える。
⇒ 現代の快適さは「幸福」ではなく「退化の温床」だ。
あえて不快を選ぶことが、成長の第一歩になる。
特別になるとは「痛みを引き受ける覚悟」である
とにかく、アインシュタインも、ジョブズも、どんな偉人も最初は凡人だった。
彼らが偉大になったのは、才能よりも「痛みを恐れなかった」からだ。
”普通のまま”でいる、もうひとつの理由は「仲間外れが怖い」こと。
人は社会的な動物だから、誰かが抜け出そうとすると、周囲は歓迎よりも警戒をする。
「おい、あいつ最近本読んでるぞ。気取ってるな。」
こうなるくらいなら、みんなと同じでいた方が安心なのだ。
眠れぬ夜、孤独な時間、嘲笑と失敗。
それらを避けなかったからこそ、世界を変える成果を手にした。
特別になるとは、痛みに慣れる訓練である。
革新は、しばしば“外部の人間”から生まれる。
スティーブ・ジョブズは技術畑出身じゃなかったし、イーロン・マスクも本職のロケット技師ではなかった。
既存の「当たり前」に縛られていなかったからこそ、新しいことをできたのだ。
では、「特別になること」は果たして価値があるのだろうか?
それは「価値」の定義による。
幸せを意味するなら、必ずしもそうじゃない。
偉大な人ほど不安や重圧に苦しむことも多い。
でも「影響力」や「遺産」を残す意味なら、きっと価値はあるだろう。
ただし、多くの人が「特別になりたい」と言うとき、それは「結果」だけを欲している場合が多い。
10年間毎朝5時に起きずにお金持ちになりたい。
努力せずに有名になりたい。
犠牲を払わずに尊敬されたい。
――これが現代人のパラドックスだ。
やり方は知っている。でも代償は払いたくない。
だから結局、「特別になりたい」と夢見ながら、「普通のまま」で生き続ける。
そして正直、それでもいいのだ。
みんながアインシュタインやスティーブ・ジョブズになる必要はない。
会社員も、タクシーの運転手も、スーパーのレジ係も、この世界には必要だ。
もし「平凡でいい」と思うなら、それはそれで立派な選択だ。
システムや運命を責める必要はない。
でも心の奥で「特別になりたい」と思うなら、愚痴を言うだけでなく、行動すべきだ。
「個性とは、積年の習慣である」
成功者とは「失敗を繰り返す才能のある人」ではなく、「失敗を繰り返す覚悟を持った人」だ。
挑戦→失敗→修正→再挑戦
このサイクルを続ける者だけが、凡人の殻を破る。
そしてその出発点は、驚くほど小さい。
1日30分の学び、1冊の読書、10分の運動。
それを1年続けるだけで、あなたの基準は劇的に変わる。
「努力が続かない」のではない。
努力を続ける“仕組み”をまだ作っていないだけなのだ。
よく言われるのが、この2つ。
★やりたいことのハードルを心理的、物理的に下げる。
★やりたいことを習慣化するための環境を用意する。
例えば…。
◆アウトプットする場を設ける
習慣化するための大切なことのもう1つは、その習慣を続けることの必要性を作ること。
例えば読書の場合、自分で本を読んで終わり、という状態だと…。
『今日は疲れているから明日でいいか…』
『他にやりたいことあるしな…』と習慣が途切れてしまうことがある。
しかし、”絶対に読まなければいけない”状況を作り出すことで、読書習慣を続けることもできる。
具体的には、読書仲間を作りお互いに本の感想を伝え合う機会を設けたり、読んだ本の内容をもとに仕事の資料を作成する。
もしくはSNSに毎日読書の感想をアップすると宣言する…など。
自分だけで完結するのではなく、人を巻き込んで約束・宣言することで習慣を続ける必要性が格段に増し、続けることがしやすくなる。
人の意思の力は決して強くない。
(少なくとも私自身も身に染みてよくわかっている…)
同じ目的の仲間を見つけて一緒に習慣化を目指すことで、ひとりの時と比較して達成率は飛躍的にに向上する。
ぜひ同じ興味を持つ人をみつけて、「一緒にやってみない?」と声をかけるのも1つの手である。
⇒ 才能よりも、痛みを受け入れる勇気が人を特別にする。
継続とは“覚悟の反復練習”である。
小さな一歩を積み重ねれば、数年後には「普通」から「特別」へと歩いているかもしれない。
人間の偉大さは、恐怖に耐える誇り高き姿にある
古代ギリシャの歴史家プルタルコス
まとめ
多くの人は「普通」を選んでいる。
それは怠けではなく、防衛だ。
だが、「平凡のぬるま湯」に気づいた瞬間から、選択肢は変わる。
行動するか、現状に甘んじるか。
どちらも立派な生き方だ。
だが、もし心のどこかで「特別になりたい」と思うなら、今日、小さな一歩を踏み出そう。
“安全装置”を超えたその先に、あなただけの未来がある。
本当は、特別になることは技術的にいえばシンプルだ。
コツコツ継続して、学び続けて、何年も積み重ねればいい。
ただ、それは「シンプル」だけど「簡単」ではない。
問題は「やり方」じゃなく「なぜやるのか」にある。
「人生は金じゃない」
「金よりも、もっと大切な事がある」などというタワケた事を吹く気など、私にはない。
何が「普通」かは個人の価値観や経験、社会的規範によって異なり、主観的な側面が強い言葉でもある。
ただ、”なりたい自分になれなかった” というのが問題である。
しかもその ”なりたい自分” というのは、かなり後になってから気づくから厄介なのだ。
つまり…。
今日が人生で一番若い日!
