- 投稿日:2025/11/16
- 更新日:2025/11/16
はじめに:心が折れた日を振り返って
人生には「何をしてもうまくいかない」と感じる時期があります。
私もその渦中にいました。
仕事に行けず、家族に申し訳なくて、心が押しつぶされそうな時期を経験しました。
ですが、少しずつ小さな光が差し込むようになりました。
この記事では、私が絶望から立ち上がるまでの道のりをお話しします。
同じように悩む誰かの力になれたら、嬉しいです。
原動力(読み飛ばしていただいて結構です)
本記事を書くにいたった原動力についてお話するにあたり、私自身について少しお話したいと思います。興味のない方も多いと思いますので、読み飛ばしていただいても結構です。
私の勤める職場は比較的安定していて、数年前まで大過なく過ごせていたので、少し天狗になっていた部分があったと思います。そんな時、花形と呼ばれる部署に異動になりました。これまで全く経験したことのない企画主催がメインの業務でしたが、これまでの蓄積もあるし、難なくこなせるだろうと安易に考えていました。
ところが、前任者は平均して月80時間以上超過勤務しており、私への引き継ぎの準備を行う時間も取れないほど多忙な方で、着任後も1週間程度机を並べて実地で引き継ぎを受けました。
私は当初、なぜもっと早く帰れないんだろう?時間短縮できるんじゃないの?と考えていましたし、そのような気持ちは発言に現れ、面白く思わない方も多少(もしくは多数)いたことと思います。
何とか半年以上耐えていましたが、年間で2番目に大きなイベントの日の朝目覚めると腹痛とどんよりとした体の重さに異変を感じました。そのイベントは何とか乗り切り、我慢して続けていたところ、3連休の全て出勤しても片付かないくらいの状況に陥りました。
キャパオーバーと疲労の蓄積で仕事をこなすスピードもかなり落ちていたと思います。
同じ作業をぐるぐる繰り返し、ため息を付いては「なんで進まないんだろ?」と自問自答していました。
その3連休の出勤を境に心が折れ、メンタルが崩壊しました。
睡眠もまともに取れず、胸の苦しさで夜間に何度も目覚める日が続き、すがるように病院を受診すると適応障害の診断を受け、着任から1年持たず休職することになりました。
休職中は1日中ソファで座ったまま動かない日が続きました。朝出勤して帰ってきた妻がすごくびっくりして「ずっとそこから動かなかったの?」と聞かれたこともありました。
台所で静かに涙を流す妻の姿を見て、やりきれない気持ちになるもなすすべがありませんでした。
頭の中は心配でいっぱいでした。このまま働けなくなったら家族はどうなるのか?このまま消えてしまいたいと考えることもありました。
自傷、自死願望が出て、妻からは「子供のことを考えて。お父さんが亡くなったら、一生深い心の傷を子供の心に残すことになるから頼むから死なないで!!死ぬくらいなら、失踪してくれていいから。どこかで生きててくれたらそれでいいから。」と言われて、自分はなんてことをやっているんだろうと思いました。
今では認知症になり、施設に入っている母親は当時元気で頻繁に電話してくれましたが、ある日「大変そうだからもう電話かけないから。でも、いつでも電話してくれていいからね」「お母さんより先に逝かないでね。順番があるからね。」と言われ、当時の母親の息子を思う気持ちを推し量ると胸が押し潰れそうになります。
当時小学生だった息子は野球をしていて、それまで土、日は一緒に練習や試合に出かけていましたが、全く行けなくなった私にある朝「どうして来てくれなくなったの?どうして?」と言われたときは本当に申し訳なく、悔しい気持ちでいっぱいでした。
適応障害とは(読み飛ばしていただいて結構です。)
当時の適応障害の症状として、
・外に出るのが怖い。
・携帯電話を持っている人を見ると自分を撮影しているように思える。
・人の目が気になる。周囲が自分の悪口を言っているように思える。
・家の中にいてもカメラで監視されているようで動けない。一番ひどいときは天井や壁、テレビなど至る所にカメラが設置されていないか探し続けることもありました。
・何も出来ないまま、一日がただ過ぎ去るのを待ち、夕方になり、外が暗くなると少し安心する日々。
・これ以上迷惑をかけたくない一心で妻に別れを切り出したこともありました。それも机の下でメモでのやり取り。「絶対別れないよ」と言ってくれた妻には、簿記に合格した翌日「あの時は本当にごめんね。ありがとう」と伝えました。
病院の先生からは、
・ちみもうりょう(魑魅魍魎「混乱した状態という意味」)の世界に足を踏み入れている。
・泥人形の体にコブシを突っこんでいるようで反応が全くない状態。
と言われました。
自分がそのような状態になるまで、人の痛みが分かっているようで心の底からは分かっていなかった。はたから見れば「いけ好かないやつ」と写っていたと思います。人に対する敬意もなかったと思います。
今考えると必要な経験だったのかもと思います。
実は2回目の休職時、お医者さんから「うつ病」と診断されました。
適応障害の更に上を行く「うつ病」という響きに絶望感をいだき、生きる意欲も失せていくのを感じました。
転機(リベシティ再入会と宿題リスト)
その後長らく低迷期を過ごし、「お金なんかのことで悩まなくていい人生を手に入れたい」と考えていたところ、転機は昨年4月にリベシティに再入会したことで訪れます。宿題リストに力を入れていることを知り、何か変えられるかも知れないと思い、宿題リストの通り進めたことで人生が大きく変わり始めました。お金の心配は減り、日々の生活が充実したものに変わりました。
妻からは「入会前の1月頃と比べると、4月以降表情なども全然変わったね。」と言われました。おかげさまで、4月以降現在に至るまで病院のお世話になることもなくなりました。
そして2025年初めの学長の動画で「今年前半(6月末)までに簿記3級を取得しよう」というお話に一念発起し、以前何度も不合格になり、50点を超えたこともない状態から勉強を始めた頃、トシさん朝もく会との出会いがあり、今に至ります。
将来的には今の職場に依存せず、嫌になったら、いつでも転職や副業で環境を変えられる状態にしたいと言うのが大きなモチベーションになっています。
また、好きな時に好きな人と好きなことをできる経済的、時間的自由を手に入れたいということも大きな原動力です。
以前のような落ち込んだ状態にならないために簿記、FPの勉強を継続し、副業を本業と同程度以上に稼ぐ目標があり、たとえ今日死んでも悔いはないという人生を送りたいと考えています。
一度死んだも同じの人生です。
人生ボーナスタイムに入った。楽しまなきゃ損。やりたいことをやり尽くすんや!そんな意気込みで日々、必死のパッチで生きています😄(関西での生活が過去にあるため関西弁大好きです、余談)
今後の目標としては簿記、FPの情報に触れ続けること。昨年末から始めたせどりを本業の2倍に伸ばしたいと思っています。
幸いにも(?笑)、本業の給与は休職に伴う希望降格制度の利用のため、新卒社員と同程度の水準まで下がっているため、本業の2倍という目標は夢物語ではなく、手の届く範囲内と考えられています。
こんな私に出来ることであれば是非どんなことでも協力させていただきたいです。
お話を聞くこと、先行く人につなぐことは出来ると思うので、今もし悩んでいる方がいらっしゃれば抱え込まずにDMでも何でも結構ですのでご連絡お待ちしております。
人生でいちばんつらかった日
実は、私は自分の命を断とうとしたことがあります。
気づけば、5階建ての階段の踊り場に何時間も体育座りで動けずにいました。
その時、とても不思議な体験をしました。この建物は私が住んでいるところで、顔見知りの方が私のすぐ近くに歩いてきたのです。私はひそかに一縷(いちる)の望みをいだきました。
もしかしたらこの方が、そんなことやめろと止めてくれるかもしれない
しかし、その希望は打ち砕かれます。
その方は、私の眼の前で立ち止まると、なんと私に目もくれず、その場で方向転換し、下の階へ戻っていったのです。階段の踊り場で起こったこの出来事は今思い返してみても、夢か現実か分からない不思議な体験でした。
その時私は思いました。
あー、もう自分はこの世で存在すらしていないのだ!!!
と。病のため、幻覚を見ていたのかもしれません。そう信じたい自分もいます。今となっては事実かどうかを確かめるすべもありませんが、死の淵に追い込まれた人は、そんなことまで体験するという一例としてお読みいただければと思います。
その後警察に保護され、妻が職場に連絡してくれて休職に入りました。
まさに、人生の底だったと思います。
けれど、そこから少しずつ、人生を取り戻していきました。
休職中に押しつぶされそうだった不安
休職してからの2年間、私の頭の中は不安でいっぱいでした。
いちばん大きかったのは、家族の生活を守れるのかという「お金の不安」です。
「家族を養えなくなったらどうしよう⋯」
「自分には何の価値もないのでは⋯」
そんな言葉が、頭の中で何度もぐるぐると回り続けました。
病院へ通っていましたが、良くなっている実感はなかなか得られず、気持ちは沈んだまま。
ただ時間だけが過ぎていくような感覚でした。
リベシティとの出会いがくれた変化
そんな中で出会ったのが、リベシティでした。
参加してみると、私の心の向きは少しずつ変わっていきました。
まず取り組んだのは、宿題リストです。
家計の見直しや保険の整理をひとつずつ進めていくうちに、
あれほど大きかった「お金の不安」がすっと軽くなり、
気づけば心に余裕が生まれていました。
その流れで、簿記とFPの勉強にも挑戦しました。
勉強の場として参加したのが、oViceの朝もく会です。
ここで、毎朝同じ時間にモクモク勉強する仲間ができたことが、大きな支えになりました。
・誰かが合格すると、自分のことのように嬉しくなる
・自分が合格したときには、家族のように盛大に祝ってもらえる
・お金を払っているわけでもないのに、自分の長い話を「一人になってもずっと聞いてますよ」と言ってくれる方(トシさん)がいた
・FP試験の時に、朝から試験会場に向かう途中、休憩時間に至るまで、朝もく会のメンバーの方がDMを即レスしてくださり、気持ちがほぐれてやる気マックスでいられた
・簿記合格後の朝もく会での報告のため、夜中まで準備する私にDMをくださったり、PCの不調で翌朝の報告ができず1日延期になった時にも「気にしないで、待ってますよ」と温かいDMをくださる方がいらした
こうした出来事の積み重ねで
「自分はここにいてもいいんだ」
「私の存在を認めてくれる人がいるんだ」
と、心の底から思えるようになりました。
毎日oViceに入り、いつものメンバーと言葉を交わす。
そんな当たり前のような日常の積み重ねが、私の心をゆっくりと回復させていきました。
気づけば、あれほど頻繁に通っていた病院へ行くことも、自然となくなっていました。
人とのご縁が前へ進ませてくれた
リベシティで過ごす時間が増えるほど、私は人とのご縁に支えられていることを強く感じるようになりました。
ある日、私はフェイスブックで、香葉村真由美先生の講演会に興味を持ち、「いいね」ボタンを押します(※講演会の内容に少しでも興味がありましたら、私の投稿記事を御覧くださいませ)。
すると、以前鴨頭嘉人さんの話し方の学校でボランティア参加してくださっていた方から、「隣県で講演会やるからぜひ参加して」とDMをいただきます。ここでの講演会でめちゃくちゃ感動し、講演会ラブになった時、配られたチラシに「人生はもっと面白くなる」というなんとも面白そうなフレーズを目にします。
これが中村文昭さんとの出会いにつながります。翌月、隣県で行われる講演会にノールックで申し込み、しかも懇親会まで参加した私は、その流れでご縁紡ぎ大学という中村文昭さんが校長を務める、全国の同志とご縁をいただける学校に入学するという電撃的な一日を過ごします\(^o^)/
1.返事は0.2秒
2.頼まれごとは試されごと(頼まれたことは相手に試されていると思って
予想以上に応える)
3.できない理由を言わない(できる方法を考える)」
4.そのうちと言わず今できることをやる
という言葉に出会い、気持ちが前向きになりました。
考え方を少し変えるだけで、世界はこんなにも違って見えるのか——
そう思えた瞬間でした。
そこから、人とのつながりはさらに広がっていきました。
誰かと話し、笑い、励まし合うことで、
心にこもっていた重たい何かが、ゆっくりとほどけていきました。
「自分は一人じゃない」
そう思えるだけで、人はこんなにも前を向けるんだと知りました。
気がつけば、私の心の矢印は
「どうすれば自分が幸せになれるか」という内側に向いたものから、
「どうすれば誰かを喜ばせられるだろう」という外側へと向き直っていました。
人とのご縁が私を少しずつ、でも確実に、良い方向に導いてくれました。
あなたへ伝えたいこと
もし今、あなたがつらさを抱えているのなら、どうか一人で耐えようとしないでください。
不安でも、涙でも、弱音でも、どんな形であっても大丈夫です。
誰かに話すことで、心の重さは少しずつ軽くなっていきます。
泣くことは恥ずかしいことではありません。
心が「苦しい」と必死に知らせてくれている、大切なサインです。
涙を流すたびに、胸の奥にたまった痛みが少しずつ溶けていき、
また歩き始める力が戻ってきます。
そして、どうか忘れないでください。
あなたは今日を生きてくれました。
その事実だけで、もう十分すぎるほど尊いことです。
私は、あなたがここまでたどり着いたことに心から感謝しています。
あなたが生きていてくれて、本当によかった。
おわりに
この記事を読んでくれたあなたに、ありがとうを伝えたいです。
あなたの過去や悩みは、決して無駄ではありません。
どんな夜でも、朝は必ず来ます。
もし今日がしんどい日だったとしても、
どうか自分を責めず、少しだけ自分に優しくしてください。
そして、もし誰かに頼りたくなったら、遠慮せず手を伸ばしてください。
あなたは一人ではありません。
あなたの未来には、きっと光があります。
SPECIAL THANKS(みあっちさんへ)
今回の記事投稿にあたって、みあっちさんに記事添削をお願いしたところ、快くご対応いただきました。
私が想像したはるか上の極上のアドバイス、添削の数々に感謝の気持ちしかありません。
スキルマーケットがお安すぎる価格で出品されていますので、価格が上がる前に(いや、例え価格が上がっても笑)、えいやっ!の気持ちで依頼してみると、夢にも思わん未来が待っているかもしれませんよ😊