- 投稿日:2026/02/11
初めまして!シロマサルです。
知ることで、人生はもっと楽しくなる!
「なぜ私たちは通勤を続けているのか?」
「テレワークが進んでも、なぜ都市は変わらないのか?」
今回はイアン・ゲートリー著『通勤の社会史』2016年発行をつまみ食いします。まさに超、超、要約。おもしろいので興味があれば読んでみましょう。
著者:イアン・ゲートリー
香港で育ち、ケンブリッジ大学で法律を学ぶ。ロンドンで金融関係の仕事についたあと、ジャーナリスト、ライターとして活躍。イギリス、サウサンプトン在住
✅ 通勤は合理性だけで説明できない。
✅ 歴史がつくった経路依存性が人々を動かしている。
✅ 通勤構造は社会階層を固定化するしくみでもある。
仕事場と休息の場を分けるためになんらかの移動手段を用いるという意味では、通勤は――少なくとも理論上は――合理的な方法だ。
イアン・ゲートリー著『通勤の社会史』
本記事では通勤の歴史的必然性、社会階層との関係、そして現代に残された構造的問題をわかりやすく解説する。
通勤は単なる日常の移動ではなく、歴史・インフラ・心理・社会構造が絡み合って生まれた制度である。
『通勤の社会史』
乗り換えのある通勤は地味に大変だ…。
仕事と家庭というふたつの世界のよいところだけをとる、とまでは言えないにしても、報酬の多い仕事と心地良い家を手に入れる妥協案としては最善の方法であろう。
イアン・ゲートリー著『通勤の社会史』
通勤は“自然発生”ではなく歴史が生んだ制度である
田舎のネズミと都会のネズミ。 君はどっちがいい?両方かい?
結局のところ、通勤とは二重生活をすることだ。
イアン・ゲートリー著『通勤の社会史』
⇒ 通勤は歴史とインフラが作った制度である。
通勤は決して自然発生的に生まれたものではなく、都市と社会の歴史が生んだ制度である。
産業革命以前、人々の生活と仕事は一体化しており、中世都市では職人が店舗の上階に住み、移動するという概念自体がほとんど存在しなかった。
日々の移動はごく短距離で済み、通勤という概念は社会に必要とされなかった。
数百人程度の村社会であれば、一生を村の中で終える者もいた。
ところが19世紀になると鉄道網が整備され、都市中心部の混雑を避けながら富裕層が郊外に移住することが可能になった。
この変化によって「通勤者」という新しい社会階層が誕生したのである。
さらに鉄道や道路などのインフラ整備は、単なる便利さを提供するだけでなく、人々の行動選択を長期的に固定化する力を持つ。
郊外に住み、中心部に通勤するという生活リズムは、個人の自由意思というよりも、都市構造とインフラが生み出した“強制力”に近いものであった。
通勤は歴史とインフラによって制度化された生活習慣である。
ヴィクトリア朝時代、最初の鉄道ブーム期に始まった通勤という活動は、移動の自由を象徴し、その自由をつかもうと挑戦した勇気ある人々に新たな地平線を望ませてくれた。
イアン・ゲートリー著『通勤の社会史』
江戸時代の場合はもちろん「電車通勤」はなかった。
しかし、江戸にいる大名や武士は、江戸城や藩邸に決まった日・決まった時刻に登城・出仕しており、これはまさに「通勤」といえる行動である。
参勤交代は「長距離を定期的に移動するエリート層の制度化された移動」だったことを考えると、高い地位にいた人物ほど、通勤の文化は根強かった。
逆に町人や商人は店に住み込みの者と、主人の家に住まず自宅から通う「通い/通勤型」の者もいたし、農民は土地に縛り付けられており、日々の移動はごく短距離で済んでいた。
土地への依存が高い文明では、管理側以外で「通勤」の概念は薄かったことがわかる。
経済合理性だけでは説明できない通勤継続の謎
家が丸ごと移動できないのだから自分が移動するしかない。
建物を高く造ることで、ある地域の住人をより多く住まわせられるならば結構なことだ。しかしそれができないのなら、人が密集する狭い地域の外へ移住させ、近代になって時間を短縮するために発明・改善された交通手段に頼らなければならないだろう。
イアン・ゲートリー著『通勤の社会史』
⇒ 通勤は合理性だけでなく、心理と制度に縛られた習慣である。
現代においても、通勤は単なる合理的判断だけでは説明できない。
確かに中心部の高い地価を避けつつ雇用機会を得るため、郊外に住み通勤するのは経済合理性の産物である。
地代と賃金のトレードオフにより、通勤は避けられない“代償”として受け入れられてきた。
しかし、それだけで通勤がこれほど長期間続く理由は説明できない。
毎日の通勤には心理的な儀式性が存在し、人は慣れた行動パターンを変えることに強い抵抗を示す。
進歩のためには不可欠だと認められたということでもある。
産業国家における職場と休息の場との分離は、労働の分業と同じぐらい重要な課題となった。
イアン・ゲートリー著『通勤の社会史』
通勤は単なる移動ではなく、生活リズムを維持するための儀式として社会に定着しているのである。
さらにテレワークが普及しても、都市構造は簡単に変わらない。
鉄道・道路・ゾーニングなど、数十年単位で蓄積されたインフラや制度は、人々を縛り続け、通勤の構造的な習慣を維持する。
通勤は経済合理性だけではなく、心理的慣性と制度化された都市構造によって支えられている。
通勤は社会階層の固定化装置として機能する
総延長100万kmの蛇の道はこれからも伸びていくだろう。
乗客は日々、不快なだけでなく恐怖を覚えるほどの混雑にさらされ……辛く苦しい道中になることを覚悟させられている。
イアン・ゲートリー著『通勤の社会史』
⇒ 通勤は社会階層を固定化する力を持つ。
通勤は単なる移動手段にとどまらず、社会階層の固定化装置としても機能する。
鉄道の発展と郊外への移住は、都市空間に階層分離をもたらした。
富裕層は広々とした郊外で快適に暮らし、中心部には中低所得層が集中するという構造が生まれ、地価差や交通アクセスの制約が階層間の移動を阻む要因となった。
現代では、テレワークの普及によって知識労働者は通勤から解放される一方、身体労働者やサービス業従事者は依然として通勤を強いられる。
この差は新たな格差を生み、通勤という行為自体が社会階層を固定化するメカニズムとなっている。
将来的に都市のあり方や働き方を考える上で、通勤の構造と歴史を理解することは不可欠である。
18世紀の産業革命以降の工業化と食料生産の増加と医療の進歩・公衆衛生の向上 → 人口増加と分業化 → 高層化・交通発達・社会インフラの拡充 → 郊外化と一極集中 → 通勤文化の定着とつながってきている。
在宅勤務を含め、勤め先以外の場所で働くテレワーク/リモートワークを夢から現実に変えたIT業界ですら、自社の従業員には会社に来て仕事をしろと言うのだから、近い将来であれ遠い未来であれ、物理的な通勤がなくなる日が来る可能性は低いようだ。
イアン・ゲートリー著『通勤の社会史』
通勤という視点に絞って考えると、自由に生きていくために考えなければならない重要な要素であることがわかる。
蒸気機関車の登場とともに始まった通勤という活動は、移動の自由を象徴し、好きなところに住む自由、好きなところで働く自由、人生を選べる自由を与えてくれる手段でもあるのだ。

伊藤将人著『移動と階級』
私たちは日常的に、通勤・買い物・旅行・通院など「移動」を当たり前のように行っている。
しかしその前提は、実は誰もが等しく持っている権利ではない。
「行きたい場所に、いつでも行けますか?」こう聞かれたとき、あなたはなんと答えるだろうか。別の問い方でもいいかもしれない。「自分の移動を自分で決めて、実行できますか?」
伊藤将人著『移動と階級』
エミール・デュルケーム著『社会分業論』
農耕社会が広まっていた時代は村単位での共同体であり、収穫や栽培には人手がいる世界であった。
狭いコミュニティの中での「分業」は必要な仕組み(機械的連帯)だった。
村と村単位ではなく、都市で「分業」となると、話は少しずつ変わっていく。
いくら自由や自立が望ましい生き方だといっても、社会に根を下ろしていなければ、現実を生きる力はもちえないと訴えます。
エミール・デュルケーム著『社会分業論』100分de名著版
まとめ
✅ 通勤は合理性だけで説明できない。
✅ 歴史がつくった経路依存性が人々を動かしている。
✅ 通勤構造は社会階層を固定化するしくみでもある。
「人は自分がいかに幸せかを知らない。希望を抱いて旅することのほうが、到着した時よりも幸せなのだ」
『宝島』を書いた冒険小説家:ロバート・ルイス・スティーヴンソン
⇒ 通勤は歴史がつくり出した“見えない構造”である。
今でも、私たちは毎日通勤を続けている。
もちろん、悪い事ばかりではない。
人が行き交うからこそ、商売と感情が豊かになるのだ。
通勤の仕組みを理解することは、都市政策や働き方の未来を考える上で不可欠であり、社会の構造そのものを知ることにつながる。
ただ、通勤の無駄な時間だけはなくしたいのである。
「人間の本質は動である。完全なる静は死である」。未曾有の移動力を手にした現代人はこれからどこに向かい、何をするのだろう?
イアン・ゲートリー著『通勤の社会史』
知識や見聞は、いずれ力になってくれると教えてくれます。
是非、皆様のより良い人生の選択肢が増えますように!
見ていただきありがとうございました!😆

