- 投稿日:2025/12/29
初めまして!シロマサルです。
知ることで、人生はもっと楽しくなる!
今回はエミール・デュルケーム著『社会分業論』1893年発行をつまみ食いします。まさに超、超、要約。おもしろいので興味があれば読んでみましょう。
著者:エミール・デュルケーム
出典:Wikipedia
1858-1917年。フランスの社会学者。コントに始まる社会学を近代的な学問として確立した。ヴェーバーの歴史主義的方向性に対して、自然主義的アプローチで知られる。ボルドー大学で教鞭をとり、『社会分業論』や『社会学的方法の規準』、『自殺論』を執筆。のちにソルボンヌ大学に転じ、『宗教生活の基本形態』や『道徳教育論』などを著す。その研究成果は宗教学や人類学をはじめ多様な学問分野に広く影響を与えた。
100分de名著版 解説講師:芦田 徹郎
甲南女子大学名誉教授。1946年兵庫県生まれ。社会学者。大阪府立大学・神戸大学を卒業後、神戸大学大学院修士課程修了。京都大学大学院博士課程学修退学。熊本大学教養部教授、甲南女子大学人間科学部教授を務める。専門は現代社会における祭礼と宗教の地域研究。著書に『祭りと宗教の現代社会学』(世界思想社)、『社会学の基本 デュルケームの論点』(分担執筆、学文社)などがある。
✅ 分業は経済効率でなく連帯の基盤である。
✅ 孤立や格差は「病理的な分業」から生まれる。
✅ 自律と連帯を両立するために新たな道徳が必要である。
いくら自由や自立が望ましい生き方だといっても、社会に根を下ろしていなければ、現実を生きる力はもちえないと訴えます。
エミール・デュルケーム著『社会分業論』100分de名著版
「孤独と競争の時代に、どうすれば人は支え合えるのか?」
「個人の自由と社会のつながりは両立できるのか?」
デュルケームの『社会分業論』は、この問いに答えるための理論を提示している。
本記事では「孤立化の時代」を切り開くためのヒントを整理する。
エミール・デュルケーム著『社会分業論』
社会は網の目のようにつながり、こんがらがっている。
デュルケームが生きた19世紀後半から20世紀初頭のヨーロッパでは、それまでの中世社会とはまったく異なる新しい社会が生まれようとしており、大きな時代の転換点を迎えていました。
エミール・デュルケーム著『社会分業論』100分de名著版
農耕社会が広まっていた時代は村単位での共同体であり、収穫や栽培には人手がいる世界であった。
狭いコミュニティの中での「分業」は必要な仕組み(機械的連帯)だった。
村と村単位ではなく、都市で「分業」となると、話は少しずつ変わっていく。
個人化と孤立化の問題
孤立しているが、互いの持つピースが合うこともある。
政権はいずれも短命に終わり、要人の暗殺やテロも相次ぎ、経済的にも政治的にも、安定とは程遠い状態にありました。
その一方で、市民革命と産業革命を経た近代ヨーロッパでは、民主化と産業化の進展と相まって、個人の自由や自立を主張する個人主義が伸長してもいました。
エミール・デュルケーム著『社会分業論』100分de名著版
⇒ 現代の孤独はすでにデュルケームが指摘していた。
⇒ 異なる役割が互いを支えることで社会は成り立つ。
デュルケームが『自殺論』で指摘したように、近代社会では人々が「機械的連帯」から離れ、個性を強調する方向へと進んできた。
『自殺論』:1897年に発表された社会学者エミール・デュルケームによる書籍で、自殺現象を個人の心理や生理ではなく社会的要因から解明した最初の本格的な社会学的研究。
デュルケームは自殺を以下の4タイプに分類した。
❶個人が孤立し、社会への帰属意識が失われて生きる意味を見出せなくなる状況。(自己肯定感の喪失)
❷社会との結びつきが強すぎて、個人が社会や集団のために自分の命を犠牲にする義務感。(国や一部の信条のための犠牲)
❸急激な社会変動で目標や規準が失われ、個人が混乱や無力感を感じる状況(経済危機時などに増加傾向となる)
❹社会の規制が強すぎて、過度な抑圧や管理の中に個人が置かれ、未来に対する希望を見失う状態。(過干渉で身動きの取れない絶望)
デュルケームは自殺の原因を個人の事情に還元せず、自殺率の増減が一定の社会環境や集団の変化と強く関連しているとし、膨大な統計を用いて自殺を「社会的事実」として分析している。
良くも悪くも…近代化の進展に伴い、家族や地域社会の結びつきは希薄化し、個人は孤立する危険にさらされる。
ネット上で一度も顔を合わせずに仕事や活動をできるようになった。
現代の孤独問題は、SNSなどによる擬似的なつながりの増加によってさらに複雑化している。
表面的な接続があっても、深い相互理解や共同性が不足すれば、人はかえって疎外感を強めてしまう。
デュルケームの分析は、現代における孤立化の本質を見抜く鍵を今なお提供している。
個人化、多様化、孤立、格差、差別、分断、排除――。
現代に生きる私たちが直面しているこれらの問題には、かつてデュルケームが直面した問題と、多くの共通点があるのです。
エミール・デュルケーム著『社会分業論』100分de名著版

ブリュノ・パティノ著『スマホ・デトックスの時代―「金魚」をすくうデジタル文明論』
私たちが画面を眺める時間は「無料」ではない。
GAFAMをはじめとするプラットフォームは、膨大なデータを使って私たちの行動を予測し、視線をできるだけ長く留めるよう最適化している。
アルゴリズムは何を見せれば私たちが反応するかを学習し、その結果を広告というかたちで収益に変える。
すなわち、アテンション・エコノミー(関心経済)である。
ブリュノ・パティノ著『スマホ・デトックスの時代―「金魚」をすくうデジタル文明論』
「使う」のと「使われる」のには大きな違いがある。
分業の意義とその病理
コンパス(自立心)を持っていても、地図(規範)がなければ、混乱する。
近代人はバラバラになったかのように見えるけれども、実は何らかの絆で結ばれているはずだし、そうでなければ諸個人から構成される社会も、当の個人自身も崩壊してしまうに違いない――。そうした観点から、近代社会にあって人びとをつなぎ合わせるものとして彼が注目したのが、「分業」なのです。
エミール・デュルケーム著『社会分業論』100分de名著版
⇒ 分業は信頼を基盤にした道徳的事実である。
⇒ 規範を失えばアノミー(規範の不在)を生む。
⇒ 自由な契約は社会的規範に支えられている。
「分業」という言葉はアダム・スミスが提唱したような経済的な生産性や効率性を高める手段のイメージが強い。
誰かが、食事を作ってくれるから、毎日自炊や食べ物を生産しないで済む。
誰かが、公共交通機関を動かしているから会社や遊びに行ける。
しかし、社会は単に効率的に仕事を分け合うだけでは成り立たない。
デュルケームが強調したように、分業は「道徳的事実」として理解されるべきである。
異なる役割が互いを補い合うことで、相互依存と信頼が社会の基盤を形づくる。
ところが、この道徳的枠組みを欠いた分業は「病理的な分業」となり、社会不調和を引き起こす。
分業が過度に進むと、自身の専門領域に閉じこもり、他者との関係が希薄になる社会的な孤立。
自分の仕事が社会全体にどのような貢献をしているのかが分からなくなり、目的の喪失が起こる。
みんなが「何をやっても無駄。」「私じゃなくても仕事は回る。」「いやなことはやらなくても問題ない。」と呆れて仕事をしなくなれば、瞬く間に社会機能は停止する。
過剰競争や格差拡大は、分業が倫理的支えを失った典型例であり、アノミー(規範の不在)が人々の不安や不信を増大させる。
無法であるということは、何もかもが当人の自由意思で決まる。
今日仕事に来ていく服も、働く時間も、賃金の交渉も、24時間すべての選択が当人にゆだねられる。(もちろん、良いと思う人も、悪いと思う人もいる。)
つまり、分業は効率の手段にとどまらず、社会の秩序と調和を支える根本的な要素であることを再認識する必要がある。

ナシーム・ニコラス・タレブ著『身銭を切れ』
過剰競争や格差拡大の助長につながったのは何か?
政治家や経済学者は自らの政策に失敗しても生活を脅かされることはなく、官僚はリスクを現場や会計責任者に押し付ける。
金融業界においても同じだ。
ファンドマネージャーやアナリストは利益が出ればボーナスを受け取り、損失が出れば投資家や納税者に負担を押しつける。
ポンジ・スキームもみんなに出資してもらう不動産投資もリスクを背負うのは本人ではない。
この「非対称性」こそが、タレブが断罪する最大の病理である。
真に信頼できる人間とは、リスクを共有する人間である。
ハンムラビ法典のもっとも有名な条文といえば、次のようなものだ。 「建設者の建てた家が崩壊し、家の所有者が死んだ場合には、その建築者を死刑に処す」
ナシーム・ニコラス・タレブ著『身銭を切れ』
古代ローマの指揮官は投票や選挙によって選ばれて前線に立った。
当然戦死する可能性もある分、相応の待遇が保証されていた。
リスクとリターンのつり合いが秩序と調和を支える要因でもある。
契約と新しい連帯の可能性
たしかに分断しているかもしれない。だが、近寄ることは個人の意思だ。
かつて、共働意識(集合意識)が果たしてきた役割を、より十分に果たすようになるのは、まさに分業なのである。
エミール・デュルケーム著『社会分業論』100分de名著版
⇒ 職業集団と人格の尊重が新しい連帯を生む。
⇒ 自律は規範に支えられてこそ成立し、そこから新しい連帯が生まれる。
ここでいう「自律」とは、むしろ多様な依存先(人、知識、文化など)を持ち、それらと相互に支え合う状態のこと。
個人が多くの依存先を持つことで自律し、互いに支え合うことで社会全体の秩序や安定が維持されるという意味を持つ。
近代社会において「契約」は自由で個人主義的な関係の象徴とされるが、デュルケームは契約の背後に「非契約的要素」が存在することを見抜いていた。
具体例1:労働契約
一見すると、労働契約は「雇用主」と「労働者」が自由意志で結ぶ個別の取り決めのように見える。
しかし実際には、最低賃金法や労働基準法、労働組合による交渉など「非契約的要素」によって契約の公正さが担保されている。
もし法律や規範がなければ、極端に不利な条件での雇用や搾取が横行してしまい、自由どころか不平等な従属関係になりかねない。
具体例2:オンラインサービス利用契約
SNSやサブスクの利用規約も、ユーザーが「同意する」を押すことで成立する契約に見える。
しかし、その背後には個人情報保護法や消費者保護法、国際的なガイドラインなどの社会規範が存在する。
それらがなければ、企業は無制限にユーザー情報を収集・利用でき、利用者は著しく不利な立場に置かれてしまう。
具体例3:結婚契約
結婚は当事者同士の愛情と自由意思に基づく「契約」として語られることが多い。
しかし、実際には婚姻法や戸籍制度、親権や相続に関する法的枠組みによって支えられている。
これらの規範があることで、配偶者の権利や子どもの養育責任が社会的に保障され、結婚は単なる私的な約束を超えて「社会的制度」として機能している。
契約は単なる個人間の取り決めではなく、社会的規範や法に支えられてはじめて成立する。
つまり、自律は孤立を意味するのではなく、規範に裏打ちされた秩序の中でのみ確保されるのである。
ここに「自律」と「連帯」を両立させる可能性がある。
職業集団や中間団体が果たす役割は、規範と共同性を回復させ、同時に個人の人格を尊重する新しい社会的連帯を生み出すことにつながる。
孤立を防ぎ、持続的な社会を築くためには、こうした「規範に支えられた自由」が不可欠である。
分業は生存競争の一帰結なのである。
だが、分業はまた、この競争を緩和した結末でもある。
じっさい、競争者たちがたがいに排除しあう必要もなく、手をたずさえて共存しうるのは、分業のゆえをもってである。
エミール・デュルケーム著『社会分業論』100分de名著版
私たちが所属している組織やつながりはそう多くはない。
その結果、狭く逃れられない人間関係に頭を悩ます。
より「分業」するのも一つの手かもしれない。
手に余るものはできる限り細かくしてみよう。

ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル共著『ピーターの法則』
ピーターの法則は、階層社会において、誰もが最終的に“能力の限界”に達する構造を説明している。
階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに到達する。
ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル共著『ピーターの法則』
私たちは必ず無能になるのなら、「複数の場(コミュニティや仕事場所)」を持つと良いだろう。
「無能」になる時間軸をズラせれば、自己肯定感を維持しやすい。
複数の場があれば、すべてで昇進する必要もない。
自己肯定感や小さな成功体験をいつもどこかで持てることが秘訣である。
マトリックス組織も対策の1つといえるだろう。
まとめ
✅ 分業は経済効率でなく連帯の基盤である。
✅ 孤立や格差は「病理的な分業」から生まれる。
✅ 自律と連帯を両立するために新たな道徳が必要である。
諸個人は分業によってこそ相互に結びあっているのであって、それがなければ孤立するばかりである。彼らは、てんで発達する代わりに、自分たちの努力をもちよる。彼らは連携的である。
エミール・デュルケーム著『社会分業論』100分de名著版
⇒ 自律と連帯の両立こそが社会を強くする。
知識や見聞は、いずれ力になってくれると教えてくれます。
是非、皆様のより良い人生の選択肢が増えますように!
見ていただきありがとうございました!😆
