🍀拒否できない？ 介護保険の『訪問介護ヘルパー指名不可』という残酷な現実と、その裏側にある理由

​【なぜヘルパーは選べない？】

​「今度来るヘルパーさん、もう少し若い人がいいんだけど」

「料理が上手な人に来てほしいわ」

「お風呂はやっぱり、同性の人がいい」

​介護の現場にいると、利用者様やご家族からこうした声を毎日のように耳にします。それはとても自然な感情です。自分の家という「聖域」に他人を招き入れるのですから、気が合う人、安心できる人、手際の良い人に来てほしいと願うのは当たり前のことです。

​私たちは普段、美容室へ行けば「店長さんにお願いします」と指名ができます。レストランへ行けば、自分の好きなメニューを選べます。お金を払ってサービスを受ける時、そこには「選択の自由」があるのが一般的です。

​しかし、介護保険制度における訪問介護（ホームヘルパー）には、この「指名制度」が存在しません。

​たとえ家事が苦手なヘルパーさんが来ても、自分の親と同じくらいの年齢の「おばあちゃんヘルパー」が来ても、基本的には「その人」を受け入れなければなりません。

​「高い介護保険料を払っているのに、なぜ選べないの？」

「当たり外れがあるなんて、おかしいじゃないか」

​そんなふうに憤りを感じる方も多いでしょう。今日は、私が20年間の介護現場経験――いちヘルパーとして、そしてサービス提供責任者として見てきた景色から、この「ヘルパーを選べない問題」について、少し踏み込んで考えてみたいと思います。

​そこには、制度上の「建前」と、現場が抱える「苦しい本音」が複雑に絡み合っているのです。

​【第1章】偏見と現実のギャップに泣いた「新人時代」の話

​まずは、私がまだ駆け出しのヘルパーだった頃の話をさせてください。

​私が介護の仕事を始めたのは、娘たちがまだ幼稚園の年長と、小学校3年生の頃でした。（今はもう二人とも成人して親になっています）。

当時はホームヘルパーとデイサービスを掛け持ちして働いていたのですが、私は実際の年齢よりも若く見られることが多く、それが訪問介護の現場では「足かせ」になることがありました。

​初めて伺う利用者様のお宅で、玄関を開けた瞬間に投げかけられる言葉。

「あなたみたいな若い人に、料理なんてどうせ出来ないでしょう？」

​何度も、何度もそう言われました。

実際には、私は子どもの頃から家事をしていましたし、主婦として家族の食事を作っていたので、料理には何の問題もありませんでした。

悔しさをこらえてキッチンに立ち、おからや切り干し大根を炊いてお出しすると、「あら、こんな古い料理も作れるのね」と驚かれることもしばしば。

​「若い＝家事ができない」という決めつけ。

利用者様からそのような言葉を投げかけられると、笑顔で返しながらも、正直心はへこんでいました。

「料理ができる」という事実を見せることはできても、その人の期待や希望を超えられる自信が当時の私にはなく、「信頼関係を築く」というスタートラインに立つまでが本当に大変だったことを覚えています。

​利用者様にとって「どんな人が来るか」は、それほどまでに大きな不安要素であり、見た目の印象だけで「拒否感」を持たれてしまうのが、訪問介護のリアルなのです。

​【第2章】現場で起きている「ミスマッチ」の正体

​私の経験だけでなく、介護現場全体でよくある「ミスマッチ」について整理してみましょう。これらは決して珍しいことではなく、どこの事業所でも日々起きている葛藤です。

​1. 「おばあちゃんヘルパー」問題

​介護業界は慢性的な人手不足であり、高齢のヘルパーさんが現場を支えている現実があります。60代、70代のヘルパーさんは珍しくありません。

彼女たちは人生経験が豊富で、利用者様との会話が弾んだり、細やかな気遣いができたりする素晴らしい側面があります。

​しかし一方で、身体介護において「力が入らない」「動作がゆっくり」「人を抱えられない」というケースもあります。「老々介護」のような状態で、利用者様が逆に「ヘルパーさんに悪いから」と気を遣ってしまうことも。

「頼りになるプロに来てほしいのに、私がお茶を出さなきゃいけないような人が来た」という戸惑いは、よく聞かれる話です。

​2. 「家事が苦手なヘルパー」問題

​生活援助（掃除・洗濯・調理）で最も多いのがこの不満です。

「野菜の切り方が雑」

「味付けが口に合わない」

利用者様にとって、家事は長年守ってきた「自分のやり方（お城のルール）」がある分野です。

ヘルパーの資格講習で習うのは「一般的な調理・掃除」であり、「その家の流儀」や「プロの料理人の技術」ではありません。ここに大きな期待値のズレが生まれます。

​3. 「男性ヘルパー」問題 ～サービス提供責任者としての苦悩～

​そして、最も深刻で、解決が難しいのが「男性ヘルパー」の問題です。

私が訪問介護のサービス提供責任者（サセキ）をしていた頃、この問題には本当に頭を悩ませました。

​ある時、面接にとても人柄の良い男性が来てくれました。やる気もあり、力仕事も頼りになりそうです。「この人ならきっと良いヘルパーになる」と思い、採用を決めました。

彼には初回の研修も受けていただき、準備は万端。「さあ、現場で活躍してもらおう」と意気込んでいました。

​しかし、いざ利用者様に「新しいヘルパーさんを紹介しますね」と連絡をすると、

「え、男性なの？ 男の人は嫌だ！」

と、性別を伝えたその瞬間に拒否されてしまうのです。

​女性の利用者様が入浴や排泄介助で男性を拒むのは、羞恥心からくる当然の心理かもしれません。しかし、身体介護ではない生活援助や、あるいは男性の利用者様であっても、「なんとなく嫌だ」「若い女性がいい」という理由で、門前払いされてしまうことが多々ありました。

​せっかく採用したのに、仕事を紹介できない。

「利用者様が拒否されている」という事実を、やる気に満ちた彼にどう伝えればいいのか。うまく伝えられず、申し訳なさとやるせなさで胸が苦しくなりました。

​これが、「選べない」ことの裏側にある、事業所側の苦しい事情なのです。

​【第3章】なぜ「指名」ができないのか？ 構造的な理由

​では、なぜ介護保険ではこれほど要望があっても「指名制」を導入しないのでしょうか。そこには、個人の感情論を超えた、制度としての理由があります。

​理由①：介護保険は「サービス業」ではなく「公的扶助」だから

​ここが最大の誤解を生むポイントです。介護保険は、税金と保険料で賄われる公的な制度です。

制度の目的は、「日常生活を営むのに支障がある部分を補うこと」にあります。

​「美味しい料理を作ること」ではなく、「栄養バランスの取れた食事を用意すること」。

​「ピカピカに磨き上げること」ではなく、「衛生的な環境を保つこと」。

​つまり、最低限の生活水準を保証するものであり、個人の「好み」を追求するサービス（贅沢）ではない、という建前があります。

公費を使っている以上、「Aさんは相性がいいから」「若い子がいいから」という理由で選ぶことは、制度の公平性という観点から馴染まないのです。

​理由②：属人化を防ぐ「チームケア」のリスク管理

​もし指名制にして、「私は絶対にベテランのCさんじゃなきゃ嫌だ」となったとします。

では、Cさんがインフルエンザで倒れたら？ Cさんが退職したら？

その瞬間、その利用者様の生活は破綻してしまいます。

​事業所としては、誰か一人のスタープレイヤーに依存するのではなく、「誰が行っても一定水準のケアができる」状態を作らなければなりません。これを「チームケア」と呼びます。

色々なヘルパーが入ることは、利用者様にとってはストレスかもしれませんが、事業所にとっては「リスク分散」であり、長く安定してサービスを提供し続けるための安全策でもあるのです。

​理由③：圧倒的な人材不足

​そして現実的な問題として、選べるほどの人材がいません。

特に訪問介護の有効求人倍率は全産業の中でも群を抜いて高く、常に人が足りていません。「男性は嫌だ」「若い人がいい」と言っていたら、サービスの提供自体が断られてしまう――それが今の日本の介護現場のリアルです。

​【第4章】「当たり外れ」と感じたとき、どうすればいい？

​制度の理屈はわかった。でも、実際に合わないヘルパーが来て、生活にストレスを感じている。そんな時、利用者側にはどんな選択肢があるのでしょうか。

​1. 「感情」ではなく「事実」をケアマネジャーに伝える

​ただ「あの人は嫌だ」と言うと、単なるワガママと捉えられかねません。

「掃除の後にゴミが残っていることが多い」

「耳が遠くて、緊急時の指示が伝わるか不安」

「異性介助だと緊張して血圧が上がってしまう」

など、ケアの質や安全に関わる「事実」としてケアマネジャーやサービス提供責任者に相談してください。

指名はできなくても、事業所側での「調整」は可能です。

​2. 事業所自体を変更する

​担当ヘルパーを変えてもらえないなら、事業所を変えるという手があります。事業所によって「教育に力を入れている」「ベテランが多い」などのカラーがあります。ケアマネジャーに相談して、別の事業所を紹介してもらうことは正当な権利です。

​3. 「自費サービス（保険外）」を併用する

​ここが一番の解決策かもしれません。

「どうしても料理は美味しいものが食べたい」

「気の合う人とゆっくり話しながら家事を頼みたい」

そう思うのであれば、介護保険の枠組みから一歩外に出て、民間の家事代行サービスや、介護保険外サービス（自費ヘルパー）を利用することをお勧めします。

​自費であれば、スタッフの指名ができるところも多いですし、時間の使い方も自由です。「介護保険」と「自費」を賢く使い分ける。これからの時代は、そんな「ハイブリッドな介護」が主流になっていくでしょう。

​【結びに】人と人だから、正解はないけれど

​介護保険における「ヘルパーを選べない問題」。

これは、「画一的な制度」と「個別性の高い生活」が衝突する場所で起きている摩擦です。

​私が若い頃、「どうせ料理なんて出来ない」と言われて傷ついたように、今もどこかで、一生懸命なヘルパーが第一印象だけで拒絶され、涙を飲んでいるかもしれません。

また、採用した男性ヘルパーに仕事を与えられず、心を痛めているサービス提供責任者がいるかもしれません。

​利用者の皆様にお伝えしたいのは、「我慢しすぎないでほしい」ということ。指名はできなくても、不安や不満を伝える権利はあります。

そして同時に、「来てくれるヘルパーの多様性」を少しだけ許容していただけると、現場としては救われます。不器用なヘルパーでも、一生懸命さは誰にも負けないかもしれません。おばあちゃんヘルパーだからこそ、気づける優しさがあるかもしれません。

​私たち介護従事者も、プロとして「誰が行っても満足していただけるスキル」を磨く努力を続けなければなりません。

「あなたを選べないけれど、あなたが来てくれてよかった」

そう言っていただける関係を目指して、今日も私たちは自転車を走らせています。

​介護保険という窮屈な箱の中で、どうやって「心地よい関係」を築いていくか。

それは、制度が決めることではなく、私たち一人ひとりのコミュニケーションにかかっているのかもしれません。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

介護の現場には、制度のルールだけでは割り切れない「人の心」の葛藤がたくさんあります。 正解はないかもしれませんが、こうして発信することで、利用者さんとヘルパー、お互いにとって少しでも優しい環境になればと願っています。