- 投稿日:2026/01/15
あなたは、浅野総一郎という人物を知っていますか?
実は、私は知りませんでした^^;
偶然テレビで観て、
ものすごい人だと知って
ビジネスのヒントがたくさん詰まっているので
ぜひ紹介したいと思いました^^
(引用:近代 日本人の肖像)
浅野総一郎(1848年〜1930年)
富山県出身
医者の子として生まれた宗一郎。
事業のアイディアが豊富で
中学2年生にあたる14歳の頃から、
様々な商売に手を出し始めます。
✅今で言うパートを雇って、着物を生産して販売
✅醤油の醸造
✅稲扱き(いねこき)を農家に販売
などなど、
様々な商売を始めます。
資金不足などで挫折したものもありますが
若干14歳で挑戦すること自体がすごいですよね^^
その後も、畳表を売る会社を興したり、
店を開いて様々な商品を売り出したりしましたが
資金が不足し、借金が膨らんでいきます。
売上が返済に回り、大変だったようで
「損一郎」とバカにされていたようです^^;
*
ただ、ここからが総一朗のすごいところ!
失敗を重ねた総一朗は
東京で上京して
同郷の有力者に支援をしてもらい
新たな商売を次々と始めます。
✅暑い夏に、冷たい砂糖水の販売
→当時は珍しく、「おいしい」と大盛況
✅竹の皮の販売
→当時は竹の皮は食品やお弁当を包む道具として重宝されていて人気が出る
✅安い薪炭を仕入れて、神奈川県庁に売り込む
→貿易がさかんな時代なので、大施工
と、次々と事業をヒットさせていきます。
そして、仕事で出入りしていた
神奈川県庁の職員から、
総一朗はある相談をもちかけられます。
それは、
「市民の排泄物が町に溢れて困っている」とのこと。
当時は、公衆トイレが潤っておらず
外出の際は、道端で用を足すのが
当たり前だったようです。
当然、匂いがきつく
景観も悪くなります。
困った、と相談を受けて
総一朗は
「私が公衆便所を作りましょう」と
県から工事費用を借りて
横浜市内に63箇所の公衆トイレを作ります。
「な〜んだ、ただのいい人か^^」
と思いましたよね?
ノンノンノンです!
総一朗は、ただ公衆トイレを作っただけじゃありません。
なんと、
公衆トイレにたまった排泄物を
近隣の農家に、肥料として売りさばいたのです。
貴重な肥料で、農家は大喜び。
総一朗は、仕入れゼロで利益を生み出す。
なんともWin-Winなビジネスです。
農家への排泄物の販売で
県から借りたお金は
わずか半年で完済。
総一朗は、排泄物の販売で
莫大な利益を上げたそうです。
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