- 投稿日:2026/01/29
- 更新日:2026/01/30
ミヒャエル・エンデの書籍【モモ】を持っている、または読んだことがあるという方は多いのではないかと思います。
私も持っています。
記憶に隠れているようですが、購入したのはおそらく30年ほど前だと思います。
なぜなら、第1刷発行が1996年9月5日だと表記されているからです。
30年経っても持っているということは、人生で連れ歩いてきた本だということです。
「ん?私の【モモ】とは表紙が違う」
と思った人、きっといますよね?
それだけ古い一冊だということです。
しかしながら、これまで読破した記憶がありません。
おかげで本はきれいなままです(笑)
なぜ読まなかったのか?
理由さえわかりません。
ただ、ずーっと気になりながらも読めていない本でした。
モモは児童文学作品です。
子供のための本という名目の本は、たいてい大人に物事の本質を鋭く問いかける本であると考えています。
では、なぜ今になって私は【モモ】を読もうと思ったのか。 それは、日々の生活の中で 「私たちはなぜこんなに忙しいのか」 という問いが、頭をよぎるようになったからだと思います。
時間というものを、【モモ】という物語の中でもう一度見つめ直せるのではないのかと思いました。
毎日、時間は足りているはずなのに、有意義に使えたという実感が残らない。
心だけが先走り、生活が追いついていないような焦りが残る。
【モモ】は、そんな違和感を感じる私自身の心の中を突いてくる物語でもありました。
時が経ち、時間の有効性を考え始めた私に【モモ】が問いかけ、考えさせてくれたことを、書いてみたいと思います。
なお、ここでは、本の内容の一部に触れることをご承知おきください。
私たちの思いグセや、囚われた思考を考えてみます。
🕖きっと誰にでも起こる気持ち
─────── ⸙ ───────
(物語の概要)
フージー氏は、その界隈では評判のいい床屋さんの理髪師。
仕事は結構楽しくやれて、腕にも自信があります。
お客さんとのおしゃべりも、自分が話すこともお客の意見を聞くことも好きでした。
そんなフージーにも、何もかもがつまらなく思える時があるのです。
「もしもちゃんとした暮らしができていたなら、今とは全然違う人間になっていたかもしれない」と。
でも、その”ちゃんとした暮らし”が自分でもはっきりせず、漠然と思い描くだけです。
なんとなく立派そうで、贅沢で、シャレた生活。
そういったものを、ただ漠然と思うだけです。
─────── ⸙ ───────
「人生で、今とは違う選択をしてきたなら」
とは、誰でも一度は考えたことがあるのではないでしょうか?
そして、日々の忙しさに
「時間にゆとりがない。もっと時間が欲しい!自由が欲しい!」
と、いきり立つ時もあるかもしれません。
また、現代の“日々の忙しさ”では、日常生活における活動の忙しさはもとより、情報過多による思考の忙しさが多すぎて、混乱を招いていることも私自身感じています。
🕛未来のために今を切り売りする発想
─────── ⸙ ───────
(物語の概要)
そんなフージーの理髪店に、灰色ずくめの男がやってきます。
「時間貯蓄銀行から来ました」という灰色の男は、時間が必要だと考えるフージーに、こう言います。
「将来、自由な時間を使えるように、今の時間を倹約して時間貯蓄銀行に預けてください。わたくしどもは、それに利子を付けて支払います」と。
そして、言葉巧みに、フージーに今の生活でどれだけ時間の無駄遣いをしているのかを示します。
お客さんとの会話や、映画を観に行くこと、本を読むこと、行きつけの店で友人と過ごす時間。
それらすべてが「無駄使い」だと言います。
また、家族との時間や、大切な人と過ごす日常でさえ、「削るべきもの」だとフージーは説き伏せられていくのです。
フージーは最終的に、契約書も何もない時間貯蓄銀行に自分の時間を差し出します。
それは、彼自身が選んだ行為でした。
─────── ⸙ ───────
床屋のフージーは、怠け者だったわけではありません。
むしろ、きちんと生きようとする人間だったのです。
だからこそ、「時間を無駄にしている」という言葉が、彼の胸に深く刺さったのだと感じます。
灰色の男は、フージーを合理性で包み込みます。
真面目で、劣等感を抱えているフージー。
「もっと効率良く生きたい」と思い、よかれと思って時間を預けてしまうのです。
そして、灰色の男の記憶はフージーから消え去り、時間を貯めておこうという決心だけが喰い込まれたのです。
未来のために今を切り売りする人間の発想そのものが、灰色の男たちの正体なのだとは思いませんか?
🕔希望の顔をした罠
─────── ⸙ ───────
(物語の概要)
フージーがその後どう変わってしまったのか?
🔻怒りっぽい、落ち着きのない人になる
🔻人とのかかわりを減らす
🔻会話をしない
🔻笑顔がなくなる
時間を倹約することに盲目になった彼は、心だけが貧しくなっていきました。
時間貯蓄家となったのは、フージーだけではなく、街中に増えていきます。
人間の心の弱さを見抜き、巧みに入り込む灰色の男によって、人々は自分の時間を差し出してしまうのです。
人々はますます時間を倹約することに躍起になり、お金を稼ぎ、いい服装にはなりましたが、不機嫌で怒りっぽく、とげとげしい目つきになっていきます。
生活(人の心)が日ごとに貧しくなっていることを感じ始めていたのは、子供たちでした。
一緒に遊んでくれる時間のある大人がいなくなってしまったのです。
─────── ⸙ ───────
奪われたのは時間ではなかった。
実は、自分以外の誰かを思いやる余白だったのではないでしょうか?
将来に希望を託して、今の生活を切り詰める。 それも備えとして大切なことだと思います。
しかし、そこには甘く危険な罠もある。
必要以上にやってしまう、という罠。
だからこそ、やみくもに今を切り詰めてしまうことの弊害を、一度想像してみたいと思います。
その前に、自分が思い描いている将来の理想像とはどんなものなのかを、立ち止まって考えてみる必要があるのかもしれません。
🕘本当に大切なものは何か?
物語の中に、ひとつのなぞなぞがあります。
そのなぞなぞを載せてみます。
みなさんは、答えがわかりますか?ぜひ、考えてみて、答えを導いてみて、自分自身の今の日常と、未来について思いを馳せてみてください。
─────── ⸙ ───────
─────── ⸙ ───────
🕚さいごに
思い返してみれば、私が子供の頃(50年前ほどだったりしますが)は、大人とよく遊んでいたと思います。
家の庭で親とバドミントンをしたり、親戚の家に行った時は叔父叔母、いとことみんなでトランプをしたり。
親戚がみんな集まる行事も年に数回あったものです。
そんな時間の、大人を交えての遊びがとても楽しみでもありました。
今はそういった子供と大人のふれあいが、どの程度あるのかはわかりません。
時代の様相もずいぶん変わった今、機会が少なくなったことは致し方ない事情もあるでしょう。
ただ、大人の時間の使い方が子供たちの心の持ち方に影響するということを、私感ではありますが、今一度よく考えてみるべきなのかもしれないと感じています。
この物語の主人公は、モモという女の子です。
読むことで、モモの人への接し方や行動から学ぶことが多い本でした。
また、灰色の男たちは、目には見えずとも、私たちの心が作り上げてしまう焦りや不安なのかもしれないと感じました。
灰色の男たちは、外から現れる敵ではない。
「早くしなければ」「今やらないと遅れる」
そんな声として、私たちの内側に入り込む存在ではないかと思うのです。
長文をここまで読んでいただきありがとうございました。
【モモ】という名作の物語に興味を持っていただけましたら、ぜひ一度読んでみてください。
ここでは、物語のほんの一部を抜粋し私が切り取って考えたいことを述べてみました。
壮大な物語の全貌を読んでみることをおすすめします。
日常に焦りがあったり、未来に不安があること。
家族や周囲の人々とのかかわり方に迷いがあること。
多かれ少なかれ、誰の心の中にもあることだと思います。
私もそのひとりです。
みなさんも【モモ】の中にそのヒントを見つけ、今、そして未来の自分自身を見つめ直すきっかけになれればいいなと思っています。
最後までお読みいただき ありがとうございました😊