- 投稿日:2026/02/13
- 更新日:2026/02/17
① 1歳半健診でのひと言
長男は1歳半健診のとき、保健師さんから「発達に心配がある」と言われました。3歳で療育センターのグループに入り、高機能自閉症と診断されました。

②私が思い込んでいたこと
その後、横浜から三重県へ転勤。引き続き通院しましたが、病院は車で片道1時間。下に2歳違いで次男と長女がいたため、半年に1回、様子を伝えに行くだけになっていました。夫が仕事を休んで家族で通うことも負担になり、中学生で通院をやめました。
③ 支援級から普通学級へ
幼稚園から中学校までは支援級。高校進学を見据え、中3から普通学級へ。高校2年生はコロナ禍でほとんど自宅学習でした。
私はいつの間にか、
「障がいは治らない。これはこの子の特性。一生付き合っていくもの」
そう思うようになっていました。
④ 大学2年生の春 ― 現実に直面
転機は大学2年生の春。長男は次男の紹介でホテル清掃のアルバイトをしていました。しかし業務が委託になったとき、長男だけ不採用になりました。そのとき私は、驚きと同時に「このままではいけない」と思い知らされました。
普通に、みんなと同じように、自然にできるわけではない。サポートが必要なんだ、と。

⑤ 「大学にも支援がある」と知る
大学のホームページで「学習がついていけない学生へのサポート」があると知りました。すぐに連絡しました。
大学から言われたのは、「障がいがあるなら言ってほしかった」という言葉。
私は、中学校を卒業したら支援は終わりだと思っていました。大学に“カミングアウト”という発想もありませんでした。
⑥ 勇気を出して送ったメール
お世話になってます。
2年生になり授業が増え、内容も専門的に難しくなってる気がして単位を落とさないか心配しております。本人は大丈夫(相談の必要はない)と言ってますが、発達障害で幼稚園、小学生と中学校(2年まで)は支援の先生についてもらってた過去があります(生活面で)。
特にコミュニケーションや記述、人付き合いが苦手なのですが、レポートなど記述も増えますよね。単位を落とさないか、また就職できるかを心配しております。
大学のホームページを見てどんな支援やサポートを受けられるのか気になってます。よろしくお願いします。

⑦ 週1回の面談からスタート
大学から提案されたのは、週1回の保健室面談でした。
毎週、
・名前
・学籍番号
・1週間にあったこと
を自分の言葉で話す練習から始まりました。
最初は、
・行くのを忘れる
・部屋に入れない
・うまく話せない
そんな状態だったそうです。でも、続けました。
先生は特性を教授にも共有してくださり、授業面でも配慮していただけるようになりました。
⑧就職活動と新たな支援
3年生の終わり頃、就職活動が始まりました。私たちは障害者枠も視野に入れていることを伝え、キャリアセンターにも相談しました。
・面接練習
・履歴書の添削
・ハローワークへの同行
ここまで支援してもらえるとは思っていませんでした。
⑨ 就労移行という選択肢
就職はまだ決まっていません。就労移行支援も勧められました。最初は戸惑いました。「大学まで行ったのに」と思ったのも事実です。
でも今はこう思います。
「支援を受けることは後退ではない。」
その子に合った環境を整えることは、逃げでも甘えでもない。
⑩ 私の考えが変わったこと
私はずっと「障害は治らないもの」と思っていました。
でも本当に必要だったのは
“治すこと”ではなく、
“特性を理解し、環境を整えること”。
学校卒業で支援は終わりではありません。
学校では先生が守ってくれます。でも、社会に出てからこそ、大人になってからこそ、支援は力になります。
⑪ いま、思うこと
まだ道の途中です。
でも、もうひとりで抱え込まなくていいと分かりました。あのとき勇気を出して相談して、本当によかった。同じようにカミングアウトを迷っている方の参考になれば嬉しいです。
⑫ そして、もう一つ大切なこと
今になって思うことがあります。中学生で通院をやめてしまったこと。あのときは、家族の負担を減らすことが精一杯でした。
でも障害年金の申請には「継続的な通院」と「医師の診断書」がとても大切だと知りました。
支援は、子どものためだけではありません。将来の生活を守るための土台にもなります。
もし、今迷っているご家庭があるなら。「今は落ち着いているから大丈夫」ではなく、“将来の選択肢を残すために”細くてもいいから、通院を続けてほしい。これは、今の私から過去の私へのメッセージです。
もし同じように迷っている方がいたら、どうかひとりで抱え込まないでほしい。
同じようにカミングアウトを迷っている方の参考になれば嬉しいです。
