- 投稿日:2024/01/24
- 更新日:2025/11/05
安全と安心は別物
安全とは?
安全は科学的な評価により客観的に評価されます。そして、その基準は明確であり、法やルールなどで明確に定義されます。つまり基準があるのです。
安心とは?
一方の安心は主観的な心情によって評価されます。そのため、基準は無く個々の人間の気持ちによって決定されます。ヒトの気持ちには個体差があるため、Aさんは「安心だ!」といってもBさんは「不安だな」となることはしばしばあります。安全ではそのようなことは発生しません。
参考HP|厚生労働省愛知労働局
安心は高くつく!
さて、安全には基準がありますが、安心には基準がありません。そのため、安全は一定のコストで担保されますが、安心のコストは青天井です。安心なものはそのコストが販売価格にオンされると思っておきましょう。
本質的に安心と効率にはトレードオフの関係があります。
※トレードオフとは?→あっちを立てればこっちが立たない状態。ポケモン廃人なら基礎ポイントの割り振りをイメージしてもらえれば分かりやすいです。
安心が高くつく例~保険~
保険は安心とコストのトレードオフが顕著に成り立っています。不幸が発生した際に受け取れる金額を多く設定すると(安心up)、掛け金が高くなり健康な時には資産形成にブレーキがかかります(効率down)。
しかし、いざ不幸が発生したときには多くの金銭を受け取れるため、不幸の宝くじとも言えるでしょう。
安心が高くつく例~FIREにおける現金比率~
FIREとはリスク資産による収入で生活費を賄うことです。その一つの形態としてインデックス投資の資産の一部を取り崩し続ける4%ルールと呼ばれるものがあります。詳細は割愛しますが、株価の下落により資産が減少した場合にFIREが成立しない場合があります。
その対策として手持ちの資産の現金比率を高めるという手法があります。現金比率を高めること(安心up)で、FIRE達成に必要な資産額が増え、退職する日が遠のきます(効率down)。
毒って何?
さて、安全と安心の違いが分かったところで、それらと対をなしそうな毒について説明していきましょう。
全ての物質は毒
この世にあるほとんどの物質は食べたり、吸い込んだり、血管に注射したりすれば、人体へ作用をします。そしてその作用が生命活動へ不利に働けば毒となるのです。大切なのは摂取の仕方や目的であり、物質そのものは特性しか持っていません。
例えば、生命活動をするうえで必須である、砂糖や塩も一度に大量に摂取すると死亡します。死亡しなくても、長期間において必要な量より多く摂取すれば病気になりやすくなるのはご存知かと思います。
食品、薬、毒といったものに明確なラインはなく、摂取の仕方、摂取目的、摂取方法などによって(短期もしくは長期的に)有害であるか否かが変わってくるということです。
大事なのは「量」
さて、砂糖や塩も極論すれば毒という話をしましたが、少量ペロッとすればそのままバタンとなる物質もあるのは事実です。それがLD50という値で示されます。
この値を使えば大体どの程度摂取すれば死亡するかが推測できますが、多くは実験用マウスなどを用いて、体重あたりで換算しています。
ヒトとマウスの種間差だけでなくヒト間での体重差や個人差が発生しますので、確実な値とは言えませんが、ある程度は参考になるでしょう。
短期間で致命的なダメージが出るほどの量が決まっており、それが含有されている食品は危険な食品と定義しても良いでしょう。
ちなみに危険度の違いで危険度が高いものは毒物、毒物よりやや危険度が劣るものを劇物といいます(詳細な定義は割愛します)。
許容一日摂取量(ADI)
全ての物質は毒であり、毒性の強さには強弱があると説明しましたが、ではどのように食品を摂取していけばいいのでしょうか?その基準の一つが「ADI」という考え方です。
毒性の強さや摂取の仕方だけでなく、ヒトは代謝によって不要な物質を排出します。それらをすべて考慮したうえで、一般的な寿命を生きていくうえで問題があるか否かを判断するわけですね。
ADIは毎日摂取しても問題ない安全指標の値です。
参考HP|厚生労働省食品安全情報
健康において重要なのは「運動」「睡眠」「食事バランス」という長期の積み重ねになります。
日本のスーパーで販売されている特定の食品を摂取して短期間で健康が急激に悪化したり、逆に良くなったりすることはほとんどないと思って良いでしょう(アレルギーや偏食を除く)。
無農薬について
そもそも無農薬という言葉自体が基本的に使ってはダメって話になります。詳しくはコチラで別記事を書いていますので参照してください。
補足情報として農薬には安全係数というものがかけられています。
これは先ほどのLD50における実験動物とヒトとの差で10倍、ヒトとヒトとの個体差で10倍かかっているので、基準値は安全マージンを取って100倍となっています。
無添加について
実は単なる「無添加」という表示についても基本的に推奨されていない言葉です。その他にも表示のルールが近年定められました。詳細を知りたい方は下記のリンクから確認ください。
出典|消費者庁、食品添加物不使用表示に関するガイドライン
また、日本食品添加物協会においても、「無添加」という表示は好ましくないとしております。
添加物の定義が曖昧な表示者が、添加物を使用しているのに無添加と表示したり、根拠のない理由で誤認をさせたり(無添加だから安心etc)、法令で定められていない用語を用いたりしていること(化学調味料無添加etc)が理由となっています。
出典|日本食品添加物協会>協会はこう考えます>2018年1月17日 無添加、不使用に関する見解
そもそも添加物とは幅広い物質であり多種多様なものが含まれます。中には果物果汁や野菜果汁も含まれており、これらも添加物の扱いとなります。
個人的には果物果汁を食品に添加する行為は、単なる料理と大差はないと思っています。
添加物一覧|消費者庁HP 別添 添加物関係添加
数字は嘘をつかない!でも・・・
嘘つきは数字を使う
数字そのものは嘘をつきません。しかし、嘘をつく人は自分の論をそれっぽく見せるために数字を使います。
よくある手法として因果関係の見いだせない意味のない数字を使います。例えば農薬や添加物において、発ガン性を謳う人がいますが、基本的には世の中の物質はほぼ全て発ガン性物質です。
ガンは細胞分裂と密接に関係しているため、長生きするほどリスクが高まります。近年になってガンの死亡者割合が増えたことと、農薬や添加物の使用について語る人がいますが、長生きしているという事実がスッポリ抜け落ちている場合も見られます。
こういったデータにおいては対照実験を行い独立して相関を抽出するべきですので、念頭に置いておきましょう。なお、今現在において販売・使用がされている物質においてはこういった試験や研究を経て使用方法、使用量のルールが決まっており認可されております。
因果関係があるかないかは統計学を勉強すると分かるようになってきます。さわりの部分ですが、記事にしていますのでコチラも参照してください。
不安を煽ってくる人には要注意
ヒトは悩みを解決するために商品を購入します。マーケティングの基本として「ドリルを売るには穴を売れ」という格言があります。
これはドリルそのものではなく、「得られる成果物=顧客にとっての価値を考えろ」という意味です。しかし、ヒトの特性としてネガティブワードに反応してしまう本能があります。
そのため、ネガティブワードで不安にさせた後に解決方法として商品を提示するのは古来よりある手法です。
大事なのは量という話をしましたが、毒性がある!発がん性がある!〇〇倍の量!などといったワードに騙されていないでしょうか?何と比較してどの程度の量なのか?
具体的な実験による因果関係が証明されているのか?実際に摂取した場合はどの程度の代謝が行われるのか?などといった面もしっかりと考えましょう。
基本的には安全な食品しか売ってない
日本の大手のスーパーやコンビニで「安全基準を満たしていない」食品を発見することは困難でしょう。個人販売の道の駅などでも規制が実施され始め、保健所への届や設備などが必要になりました(規模次第なので、クリア自体のハードルは高くないです)。
日本の現行制度においては、法規制と科学の観点からは"安全"な食品が販売されています。むしろ"安心"を売りにして、前述の表記に関する違反をしている無理解な販売者が売っている食品の方が"危険"ではなかろうかと、個人的には思っています。
添加物や農薬が使われる意味について
添加物や農薬の大きな目的の1つとして「病原菌の繁殖を抑制する」という効果があります。病原菌は種類によってLD50が高く、短時間で人を死に至らしめるものも珍しくありません。
添加物・農薬は安全基準内で使われていますので、効率よく安全を確保するために開発されているものです。
※過去には安心にこだわりすぎて安全が疎かになった事例もあります。
まとめ
安心は高くつく
安心には基準がなく、どこまで行ってもキリがありません。当然安心であることは人間の生存本能であるし、心地よく精神的にも安定します。
自分が心から欲するのであれば、対価は支払うべきでしょう。まさに良質な使う力といえます。しかし、他人に不安を煽られて、不必要なものを高額で購入していませんか?この区別は常に自分自身に問いかけましょう。
安全を知れば、コスパ良く生活できる
現代社会は人類の英知の歩みの結果です。様々な過去の失敗、新しい知見を踏まえて、多くの従事者が知恵を絞ってルールを決定しています。
今日が一番安全な日なのです。
もちろん後世になって、「やっぱあれダメだったよね」ということは普通にあります(科学とは、その歴史の繰返しの産物です)。そのため、どうしても気になる人は安心を追求することは、必ずしも悪いことではありません。
行政や公的機関が信用できないという人もいるでしょうが、その場合はお金か労力をかけて現代科学を徹底して避けることになります。現代社会は苦手を人に頼る、分業の仕組みで発達してきました。
分業を否定し、すべてを自前で用意するとなると現代科学の恩恵を受けることはほぼできなくなります。
実行したい場合は手始めに、簡単に位置情報がばれるスマホとインターネットを捨てましょう。そして、都会の店内や街中は監視カメラが設置されていますので、監視カメラのない山奥で通貨と売買を捨てて生活しましょう。
自分の安心を求め現代社会を捨て去るのか?他人の作った安全を受け入れ現代社会で生きるのか?間を取ってインターネットや店舗を通して売買はしながら、労力やお金をかけて無添加無農薬食品を手に入れるのか?どのような生き方をするかは人それぞれです。
参考図書
5/15追記
著:長村洋一
本を見つけたので、より深く知りたい人は見てみてください。
内容的には無添加信仰の非効率性や添加物の歴史や量の概念などが
書かれています。
この記事を読んで、添加物はたいして気にしなくてよいという結論が得られて満足している場合は特に読む必要はないです。
買った人は最後のチェックテストは総まとめとして、受けてみると理解度が確認できます。