- 投稿日:2024/12/04
- 更新日:2025/09/29

はじめに
私はまごうことなき陰キャである。
とても陽キャのノリにはついていけない。
間違っても、TikTokに
「美味しいヤミー❗️✨🤟😁👍感謝❗️🙌✨感謝❗️🙌✨またいっぱい食べたいな❗️🍖😋🍴✨デリシャッ‼️🙏✨シャ‼️🙏✨ シャ‼️🙏✨ シャ‼️🙏✨ シャ‼️🙏✨ シャ‼️🙏✨ シャッッ‼ハッピー🌟スマイル❗️👉😁👈」
などという動画を投稿することなど出来はしない。そのような胆力はとても持ち合わせてなどいないのだ。
しかし、陽キャの方が陰キャよりも優れているなどと誰が決めたのであろうか?きっと陰キャにも良いところがあるはずだ。私の人生経験の中からそれらしきものを思い出してみる。
そして感じたことがある。TikTokやInstagramでオシャレにはしゃいでるやつらの何が面白いんだ?ニコニコやX(旧Twitter)で根暗に無駄技術を開発してるやつの方が面白いだろ。
そこで、私は以下の仮説を立てた。
陰キャの方が面白いコンテンツを作れるのでは?
こうして私の自身が陰キャであることを正当化するための戦いが今始まる。
定義などの確認
今回はとりあえず
陽キャ=ポジティブ人間
陰キャ=ネガティブ人間
と仮に定義する。話はそう単純ではないが、一旦はそうしておきたい。
ポジティブな思考とネガティブな思考からコンテンツ作り(モノ作り)に対する姿勢と成果物の差異から深堀していきたい。
価値観の違い
成果物の面白い、つまらないを決めるものとは何か?ズバリ価値の違いではなかろうか。しかし、価値には実は種類があるのだ。
価値の4象限
価値は「価値と使用価値」に分かれ、さらに使用価値は4つに分類される。
✅コスパの実利価値
✅安心感の保証価値
✅ブランド力の評判価値
✅満足度の共感価値
このあたりは以前に詳しく記載しているので興味がある人は下記を読んでもらいたい。
価値とは何か?
ポジティブな人間は共感価値に重きを置く
ポジティブな陽キャというのは大体仲間たちと群れている。また、現実的であるかより、ハートを優先する。つまり情緒的なものに価値を見出しているに違いない。TikTokにただ踊ってるだけの動画などをアップしちゃうのも、きっと俺と俺の仲間たちはすげーだろという自己顕示欲の現れであろう。
ポジティブな人間はあるがままを受け入れるので、つまらないものを世に出しても良いと思っている。結果としてつまらないものも世に出がちなのではないだろうか?
ネガティブな人間は実利価値に重きを置く
一方でネガティブな陰キャには友達など存在しない。信じられるものは即物的な物のみで圧倒的な現実主義者とならざるを得ないのだ。そのため、必然的に客観的に数値化できるものにのみ価値を見出すのだろう。
ネガティブな人間は成果物は面白くなければゴミだと思っているので、つまらないものを世に出す行為をゴミのポイ捨てのごとく忌み嫌っている。そのため、つまらないものを世に出さないために面白くする努力を惜しまないのである。
ポジティブでも面白い例
こづかい万歳
ネガティブなヤツの方が面白い物を作れる。そんな回答らしきものを一旦得ることが出来た。
しかし、私は自らその反証となるものを発見してしまう。
それがこの漫画
「こづかい万歳」だ。
ざっくりと概要を説明すると
✅漫画家の主人公のこづかいは21,000円/月
✅金欠で大変だ~
✅ほかのみんなはどうしてるんだ?
✅他人のこづかい事情とやりくりに首を突っ込むぞ!
という体験ルポ漫画だ。
リベシティ的には貯める力の参考にもなるので非常に面白い。ぜひ皆さんにも見て欲しい。
ポジティブに振り切るとサイコホラー的面白さが発生
私自身がこの漫画の面白さを言語化することが出来なかった。しかし、先日面白い記事を発見した。
それがコチラである。
https://note.com/ssdm360/n/n6a219a0de81b
取材した登場人物の強がりや悲哀、現実との折り合いのつけ方を、作者が独自の感性で異様にポジティブに言葉の通り受け取ってしまう。そして、そのことにより異常な趣味に興じている怪人が集結する漫画になっているのでは?という解釈である。非常に合点がいった。
最もサイコホラーな回
怪人集結漫画のこづかい万歳、その中でも最もサイコホラー感の高い回が
会社推しの回である。
youtubeでボイスコミック化しているので是非見て欲しい
https://www.youtube.com/watch?v=bWA1Ecoulbw
こちらはネットなどで話題になっているので知ってる人も多いかもしれないが、ざっくりというと
✅就活で落ちまくった人間が滑り止めでやっと雇ってもらった会社
✅自ら積極的に業務改善、業務をこなす
✅職場環境も自費で快適なものに変えていく
✅しまいには通勤できないのが苦痛、休み終わりには明日は会社に行けるぞと楽しみになる(逆サザエさん症候群)
と異常なまでに会社エンゲージが高いのである。一見は理想的であるが、「社会構造的に会社で働くのが辛いのは当たり前」という記事まで作った私からは到底信じられない話である。
この怪人も本当は存在せずに、取材によって言葉の通り受け取られたり、フィルターを通して発生した産物。つまり、作者の異様なまでのポジティブさが生み出したモンスターなのかもしれない。
まとめ
こうしてそれらしき回答が出たような気がした。
しかし、陽キャにあるポジティブさとしての
あるがままを受け入れる力
これは、無職の力と共通するのではないだろうか?
そうすると私は無職の才能があるのでつまらないヤツということになってしまう。
また、もし仮にネガティブなヤツが面白いとしても私自身が面白いやつであるかどうか別の話なのだ。もし、ネガティブなやつが漏れなく面白いと結論付けてしまえば典型的な論理の誤謬だ。
A ネガティブなヤツの方が面白い⇒真
B BALはネガティブである ⇒真
C BALは面白い ⇒偽
結局のところ陽キャだろうが陰キャだろうが、ポジティブだろうがネガティブだろうが、そんなことは関係なく、面白くなる努力をしなければならないのである。
ああ、無常なり。
あとがき
本記事はすべて私の独断と偏見で作成しています。科学的なデータ、客観的な事実などは一切ありませんので、ご注意ください。
また、異論、反論などはすべて認めますので、ご自由にコメントなどどうぞ。