- 投稿日:2024/12/01
- 更新日:2025/09/29

はじめに
以前に無職と幸福について少し語りましたが、現代社会と仕事、人生の幸福について「バーンアウト」という視点から深堀していきます。
種本はコチラ
「なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか」
あらすじは紹介しますが、本要約というよりは個人的な感想なので、気になった方は是非読んでみましょう。読む人によって、刺さる場所は違うと思います。
特に今現在において、
✅仕事が辛いと思って悩んでる人
✅転職したいけど、どう働きたいかわからない人
✅無職だけど社会に対して居心地の悪さを感じてる人
に読んでもらいたいと思っています。
とはいえ、私自身が「無職こそ、ヒトの幸福の最終形態である」というバリバリのポジションを持っています。ポジショントークを多分に含むので話半分くらいで読んでもらえると助かります。
本のあらすじ
ざっくりとしたあらすじに触れてから私の感想を書いていきます。ネタバレを少しでも避けたい人は飛ばしてください。
導入(はじめに)
著者である神学者ジョナサン・マレシックは、仕事に対する意欲を急速に失いつつあった。当時の彼は大学教授というポジションで客観的には最高の働き方をしていた。
「十分な額の給料」「仲が良く知的な同僚たち」「安定した社会的信用のある職業」「自分の得意を生かした、やりがいのある仕事」といった、いわゆる多くの人が仕事に求めるものを持っていたのである。
しかし、仕事に対して消耗感を覚え、二度の休暇を取るも回復せずについには、その職を辞めてしまう。
それはアメリカでは「バーンアウト」と呼ばれるものであり、彼自身の体験から「バーンアウト」というもの迫っていくのであった。
第一部前半 バーンアウトとは何か?(1章~3章)
バーンアウトに対する深堀をするうえで定量化することが大切ですが、バーンアウトの定義自体が曖昧です。日本語に訳すると燃え尽き症候群といったところですが、アメリカ文化でも「ちょっと疲れた」くらいのニュアンスから「しんどすぎて動けない」というレベルまで様々なそうです。
そのため、著者は先行研究などを用いて3つの指標を提示します。
✅消耗感
仕事にエネルギーを吸い取られる
✅脱人格化
顧客を人ではなく、問題として捉える
理想を下げることで自分を守る手段
医療関係者、弁護士、教師などに多いとされる
✅達成感の低下
理想と現実のギャップ
これらの値が3つともレベルが低い時を「バーンアウトしていない」状態としてバーンアウトにも傾向(タイプ)や深度があり、閾値を持って明確にバーンアウトしてる、してないと分けられるものではないとしています。
この3つすべてに共通して、仕事の理想が高く、達成できないときにこれらの症状が発生します。
しかし、もともと仕事とは達成できないものなのです。
第一部後半 労働環境とバーンアウト(4章~5章)
「会社と社員の関係性」
アメリカでは1950年ごろから雇用者は労働者を「コスト」とみなす社会になってきたと考えられます。具体的には派遣社員という制度が始まります。正社員は常に一定の費用となりますが、派遣社員では状況に応じて人数の調整が出来ます。経営者サイドからすると、固定費より変動費の方が望ましいので、利益を追求すれば会社は社員を守らなくなってきたという話です。
さらに2010年ごろからはギグワーク(※1)という働き方が出現します。このことにより、経営者はより仕事の責任を労働者へ転嫁するようになったと言えるでしょう。
「製造業からサービス業へ」
機械化により少ない人手で多くの製品が生産できるようになりました。そのため、人々が行う仕事の比率が製造業からサービス業へシフトしています。サービス業においては気持ちの良いコミュニケーションが価値となり、従事する人は「良い人間」でなくてはなりません。つまり人柄が資産となるのです。そしてこの資産は業務時間外にも求められます。
本書ではキャビンアテンダントを例に、飛行機から降りた後もキャビンアテンダント的な振る舞いを求められるという記述があります。確かに飛行機から降りた瞬間にため口で馴れ馴れしく会話されたら嫌ですよね(笑)
問題はどこまでそれを求められるのかということです。仕事とプライベートで人格を激しくスイッチしていては疲れますし、どこで誰に見られているかもわかりません。そのため、プライベートでもその職業らしく振舞うようになるのが自然です。そうすると、最終的にはプロ意識が人格を侵食してしまうのです。
著者は本文中でこのような趣旨のことを書いています。
マジメに働けば幸せになれる⇒高貴な嘘である
一生懸命に仕事をし、給料、社会的信用、人間としての成長などを掴みとろうとする行為、それ自体がまやかしであるという強烈なメッセージです。
「エンゲージメントは高いほうが良いのか」
従業員エンゲージメント(※2)を高めようという風潮がある近年ですが、著者はこの姿勢にも反対です。エンゲージメントが高ければ確かに労働者は仕事に"没頭"し幸福感や生産性が上がり労働者にも経営者にも一見良さそうです。しかし、著者自身がエンゲージメント高く仕事に没頭した結果にバーンアウトをしました。仕事に没頭するあまりに仕事を通してでしか、自身の理解、人間性の表現ができなくなると、それは仕事に時間と精神を支配されているのではないでしょうか。
「バーンアウトして当たり前の社会」
近代アメリカの社会の在り方そのものが、大きく変わりました。仕事が人生のすべてであり、仕事を通してでしか人間らしく生きられないという風潮ではバーンアウトするのが当たり前であるということを唱えています。
※1 会社とは雇用関係ではなく、単発請負の形態のこと。日本語で言うと
「一人親方」。日本ではウーバーイーツやタイミーが代表例。
※2 会社と従業員の関係性。愛社精神を持って、一生懸命働く労働者を
エンゲージメントが高いと表現する
第二部 個人で出来るバーンアウト対策(6章~8章)
第一部であるようにアメリカはバーンアウトしてしまうのは当たり前の社会です。そんななかでも、なんとかバーンアウトしてない人たちを探すために著者は様々な場所へ取材に行きます。
そのなかでも特に7章の修道院での取材はバーンアウト対策のヒントになりえそうでした。
訳者のあとがきにもあるように特に印象に残るのが、修道院経営のために始めたIT事業が大成功し、軌道に乗ったため、あとは拡大のために人手や資金を投入すれば大儲けできるという状況の時のエピソードです。
なんと、その状況で修道院はIT事業を終了するという判断をします。理由は、仕事が主となり、祈りの時間が無くなってしまうからというものです。現代人的な感覚からはとても想像できません。
修道士たちの祈りは一見仕事のようであるが、仕事ではないという説明もあります。
✅給料、昇進、ノルマはない
✅他者評価がない
✅誰かにとって代わられる心配がない
✅自らが望む限り、コミュニティから排除されない(クビにならない)
これらのことがバーンアウトせずにより人間らしく生きるためのヒントかもしれません。
個人の感想
この本の内容をざっくりまとめると
「アメリカの社会構造ではバーンアウトしてしまうのは当たり前。仕事が辛いと感じていたり、辛くて動けなくなっている人を責めるのはやめよう」
といった感じです。
そこを無職的視点から偏った視点で感想を述べていきます。
資本主義先進国ではありがちな価値観
本書はアメリカの文化圏での話ですが、資本主義先進国では似たような現象は多々あるそうです。日本も該当すると思います。
個人的に社会人時代にすごく感じていたことを言語化していたのが下記の引用です。
「自分は仕事ができない」と口にすることが社会的に許されていないからだろう。能力のない労働者は英雄ではなく負け犬と考えられているからだ。いっぽう、無理をして働く労働者は労働者の鏡とされる。
なぜ故私たちは燃え尽きてしまうのか|P102
この感覚、皆さんありませんか?
仕事忙しいアピール、寝てない自慢、残業時間自慢・・・などがネタになるのは実際にやってる人がいるし、アピールとして少なからず成立しているからです。
これが資本主義先進国における罠です。みなさん無職になって好きなだけ寝ましょう。
自身の過去の仕事と照らし合わせて
仕事が人格を侵食するという話も非常に共感できました。無職になって一番の解放感は休みの日に仕事の連絡が来ないことです。特に前々職では休みの日や業務時間外も頻繁に電話がかかってきていたので、気が抜けませんでした。
ずいぶん昔に実家に帰っているときに、仕事の電話がかかってきました。その時の会話を横で聞いていた兄に「喋り方が気持ち悪い」と言われたこともあります(笑)
無職生活が継続できなくなったときは後腐れのないギグワークなども良いのではないかと検討しています。
また、プライベートの振る舞いも仕事に左右されるという話についても少し書き足します。私は田舎に勤めていたので、人と人の関りが親密です。私自身は居住地は仕事の同僚やお客さんと離れていたので、プライベートで仕事関係の人と出会う機会はほとんどありませんでした。しかし、その地域に住んでいる同僚の話などを聞くと休みの日の行動もお客さんに見られていて気が抜けない様子でした。
何のために生きるのか?
バーンアウトしないためのモデルケースとしての修道士たちのエピソードは(第7章)、非常に面白かったです。仕事をしないための努力、一見仕事のように見える祈り等は、仕事ではないなどと興味深い事例が描かれています。
下記は私の中で特に印象に残った言葉。
仕事を、忘れる。それは俗世間では実践することがほとんどない精神的鍛練だ。
なぜ故私たちは燃え尽きてしまうのか|P206
私が以前記載していた無職における幸福度の、自己満足力と通ずるところを感じました。これからも堂々と胸を張って、無職の才能をアピールしていきたいところです。
また、仕事を合理化して祈りの時間を確保する生き様にも感銘を受けました。生きる糧として必要な仕事(農業など)は可能な限り合理化して生産性を高めています。仕事の合理化により発生した時間でなにをするのか・・・そう祈るのです。
祈りだけは合理化してはならない、わざとゆっくり行っており、生産性を気にしてはいけないという描写があります。まさしく仕事は手段であって目的ではない、真の目的の祈るという行為に邁進しています。
このエピソードを見て、私は価値観マップを見直そうと思いました。自身がなんのために生きるのか?真の目的は何か?ブレずに生きていきたいものです。
さらなる無職探求の旅へ
良い無職本でした。私が無職であることへの意義を感じます。
「社会が俺を必要としていないのではない、俺が社会を必要としていないのだ」と究極の原因オマエ論(※3)を展開することが出来ます。これからも無職を極め、同好の士を増やすために無職布教活動をより一層頑張りたいです!
しかし、残念なことに本書には弱点があります。バーンアウトを防ぐ修道院エピソードで触れていますが「養うべき人間がいない大人」のみにしか基本的に適応されません。
修道院は共同コミュニティなので若干のニュアンスは違うと思いますが、おそらく現代日本では「一人暮らしの人」か「シェアハウスで生活してる人」あたりしか該当しないと思います。つまり子育てや介護してる人は対象にならないのです。
ぐぬぬ、これでは無職の布教範囲が狭くなってしまう・・・。新たな無職知識を求めてBALの更なる無職探求は続く・・・。
※3 リベ大生ご存知の原因自分論と対をなす存在。瞬間的に自分の気持ち
は軽くなるが、根本的な原因の解決にはいたらない正に諸刃の剣。
素人にはオススメ出来ない。
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