- 投稿日:2025/07/31
- 更新日:2025/09/30

※この記事には
ネタバレが含まれています。
未視聴の方はご注意ください。
序章
昭和三陸地震。
1933年(昭和8年)
3月3日午前2時30分──
闇を裂くように大地が揺れ、
巨大な津波が三陸沿岸を襲った。
死者・行方不明者は
3,064人にのぼる。
その真っ只中、
ある一家が必死に避難していた。
父親と息子たちは、
まだ幼い末っ子を
置き去りにしたまま、
一目散に高台へと走る。
奇跡的に、
置いていかれた末っ子も含め、
家族全員が助かった。
だが、
母親は怒りを抑えられない。
「どうして!
あの子を置いてきたの!!」
責めるられるたび、
父はこう返すのだった。
「てんでんこだ」
「すずめの戸締まり」とは
17歳の少女・岩戸鈴芽は、
日本各地で災いをもたらす
『扉』を閉じる旅に
巻き込まれる。
彼女は『閉じ師』である青年、
宗像草太と出会い、
崩壊寸前の世界を救うため
共に行動していく。
その中で鈴芽は、
幼い頃に母を津波で亡くした
自身の過去と向き合う。
物語の根底にあるのは、
「喪失」「再生」「記憶」、
そして「生きる意味」
東日本大震災の記憶をベースに、
個人と社会が
どう未来へ進むかが問われる。
映画の冒頭、
ヒロインの鈴芽は、
草太のイケメンぷりに浮かれる
ごく普通のミーハー女子高生。
明るく行動力もあり、
一見すれば健全で元気な少女だ。
だが物語が進むにつれ、
それが次第に
破滅的な危うさを
孕んでいることに気づかされる。
正義感や使命感ではなく、
彼女を突き動かすのは、
自壊衝動に近いもので、
生きることへの執着が、
著しく希薄なのだ。
「生死は
運だと思っていましたから、
死ぬのは怖くはありません」
高校生の口から出るには、
あまりにも重い。
まるで、
戦場を生き抜いてきた
兵士のような死生観。
その根底にあるのは、
幼少期に経験した母の喪失。
震災で奪われた命は、
彼女の中に
今も爪痕として残り続けている。
罪と罰
鈴芽は4歳のとき、
震災で母親を失った。
けれど、その死を
その目で見届けたわけではない。
だからこそ、
彼女は小さな足で、
必死に母を探し続けた。
止まってしまえば、
「母の死」を認めてしまうから。
彷徨ううちに、
鈴芽は不思議な世界へ迷い込む。
それでも
歩みを止めない彼女の前に、
母親が現れる。
何かを語りかけている――
けれど、
その声も言葉も思い出せない。
やがて鈴芽は目を覚ます。
それは夢だったのか。
記憶だったのか。
母は、あの瞬間に
何を伝えたかったのか。
励ましなのか、未練なのか。
あるいは、
怒りや恨みなのか──。
母親を見つけられず、
死も受け入れられない。
生と死の狭間を
行き来することで、
鈴芽の『命』そのものの重みが、
徐々に薄れていく。
災害は、命や財産だけでなく、
記憶すらも奪う。
そして同時に、
生存者には深い傷を残す。
自分だけが助かった――
その罪悪感は、
言葉にできない重さで、
意識の深層に沈んでいく。
てんでんこ
未曽有の犠牲を生む
災害において、
東北地方には
ある教訓が語り継がれてきた。
「てんでんこ」
近年では、
「津波てんでんこ」と呼称され、
津波の際は、
各自自ら任意の経路で、
「てんでんばらばらに
急いで逃げろ」
と、いう意味で伝わっている。
一般的な避難訓練では、
全員足並み揃えて、
指定された避難場所へ
退避するのが常識。
「ばらばらに逃げる」
なんてのは、普通ありえない。
ところが、
岩手県のある中学校では、
この「てんでんこ」を
実際に避難訓練に導入していた。
そして、2011年3月11日――
東日本大震災の津波が、
その学校を襲う。
当初、生徒たちが向かった先は、
指定させた避難場所。
だが瞬間、教師が叫んだ。
「てんでんこだ!」
生徒たちは即座に反応し、
指定の避難場所を越え、
さらに上の高所を目指す。
訓練されていた、
「てんでんこ」の教え通り、
生徒たちはバラバラに逃げた。
もし全員が一斉に、
同じ経路を通っていたら、
渋滞が発生し、
津波に飲まれていたであろう。
彼らの英断により、
この地域の小中学校の生存率は、
99.8%だった。
まさに「てんでんこ」は、
実用的な避難方法ではあるが、
その反面、
非情な側面も持ち合わせている。
振り向かせないために
みんなが
バラバラに逃げるということは、
「みんなで誰かを助けることを
前提にしていない」
ということでもある。
たとえ、
足に障害を抱えた人がいても、
手を貸すことなく構わず逃げる。
つまり、「切り捨て」
この行為に、
非難の声を上げる方も
いらっしゃるでしょう。
だからこそ必要なのが、
信頼貯金。
日頃から大切な人と、
「津波の時は
てんでんこしよう」
と、約束しておくのです。
「一緒に逃げよう」
ではありません。
バラバラに逃げる事を
互いに誓うのです。
この合意が、
生存者の罪悪感を低減させる。
ずっと約束していたのだから、
「死んでしまっても
仕方がない」
自分が死んだ時に、
生き残った人の
重みにならないように。
自分もいつかは、
切り捨てられる側に
なるのだから。
災害から逃げるあなたに、
子や孫が必死の形相で、
手を差し出すかもしれません。
でも、あなたはその手を、
決して握ってはいけない。
「てんでんこだ!」
あなたの役目は叫ぶ事。
生きる人々に前を向かせる事。
それが、
あなたの最後の務めである。
おわりに
物語の終盤、鈴芽は夢の中――
常世で見た光景の真実を知る。
あのとき目の前に現れたのは、
亡き母ではなく、
未来の自分自身だった。
そして今度は、
鈴芽が伝える番となる。
過去の自分、
まだ幼かった
4歳の少女に向かって告げる。
「あなたはちゃんと大きくなる。
光の中で
大人になっていくよ」
生きる希望を与えてくれたのは、
手を差し伸べてくれたのは、
母ではなく――自分自身。
誰かの手に
すがってばかりではいけない。
最後に自分を支えるのは、
他でもない、
自分自身の手であるのだから。
ありがとうございました。