- 投稿日:2025/09/06
- 更新日:2025/10/11
こんにちは。元大手大学受験予備校職員の”たけいし”といいます!
私はこれまで大学受験予備校で多くの受験生、保護者と関わってきました。
そんな私が言うのも変な話ですが、
私は【一部の人にとって「受験勉強」は障害でもある】と感じています。
しかし一方で「受験勉強」によって得られる力があることも事実。
この記事では、たくさんの受験生と日々の時間を過ごし、見送ってきた元予備校職員の目線で「受験勉強の意義」をまとめます。
自己投資の一つとして読んでいただけたら幸いです。
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「大学って、本当に行く意味あるの?」
「受験勉強って、将来何の役に立つの?」
生徒からも、SNSでも、よく聞く問いです。
私は、塾・予備校で大学受験の指導に長く関わってきたが、その経験をふまえて、この問いについて考えてみます。
結論から言うと、受験勉強には
①その時の自分に必要な情報・知識を「得る力」 ②得た情報・知識を「編集する力」 ③編集した情報・知識を「伝える力」
という、
一生モノの3つの力が詰まっています。
「勉強に意味を感じられない」人にこそ、ぜひ読んでほしい記事です。
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一部の人にはもはや大学教育やそれに向けた大学受験は機能を果たしていない感じはあります。いろいろ意見はあると思いますが。
昔は今ほど選択肢も手段も多くはなく、また今ほど進学率も高くなく、大学に行くことは大きな意義を持っていたようです。
今はテクノロジーの発達とともに自分の能力を磨き、ポジションを確立するための選択肢や手段が増えている分、「なんでわざわざ大学に?」という考えを持つ人がいることは理解できます。学費も高いですし。
そういった人たちにとっては、周りと進度を合わせることを強いられる集団生活は苦しいものなのではないでしょうか。学校では授業中に別のこと(いわゆる「内職」)をしていると、当然怒られるます。
それは受験勉強という「障害」にも言えます。
「こんなことを覚えても自分のこの先の人生にプラスに働くのか?」と。
さらに、大学受験をピラミッドの頂点として高校受験または中学受験に臨むという側面も確かにあり、これに対しては私も「小学生がそんな知識を詰め込んでて意味あるのかな?大人の自分も知らないよ??」と正直思います。
大学受験(これは多くの人にとって幼い頃から続く受験勉強の最終地点)を頑張ることの目的が「いい大学に入る」はものすごく健全ですが、「いい大学に入る」目的が「いい(とされる)仕事に就いて安定した暮らしをする」ことになっていると、なんとも言えない気持ちになります。
「安定した」というのは労働者側からの願望であり、今や大企業であっても昔のように安定した状態ではないというのが実態ではないでしょうか。これだけ先の読めない時代なのですから。
いい大学に行くのはいい学びの環境を得るため。いい会社に行くことが目的ではない。
大学の環境や受験勉強を必要としないような一部の「能力のある人」たちにもっと活躍してもらうための環境や制度や「空気」はこれからの日本に必要だと思います。
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一方で、(ここまで受験勉強を批判気味に語ってきましたが)大半の人にとって、まだまだ大学という環境と大学受験という経験は必要だと思います。(ただし大学に入ってから学びをやめるようでは無意味で不必要だと思う)
ということで、少々無理やりではありますが、受験勉強の意義をまとめてみます。
受験勉強の意義(受験勉強で得られるもの)
計画性や忍耐力などは、「得られるもの」というよりは、受験勉強の成否を下支えする要素だと思うので、これらは除外。
知識が得られるというのも否定はできませんが、ほとんどの人は大学受験が終わったら数学の公式なんかは使わないし、忘れるんじゃないでしょうか。
なので、「知識が得られる」というのを少しニュアンスを変えてみることにします。
以下の3つの力が得られるというのが私の持論です。
①その時の自分に必要な情報・知識を「得る力」
②得た情報・知識を「編集する力」
③編集した情報・知識を「伝える力」
この3つの力が受験勉強以前に備わっている人なら、大学も受験勉強も不要なのでしょう。基本、読み書き計算ができて、この3つの力があれば、自力で自分の能力を磨いてポジションを確立できるでしょうから。
あと、「受験のためのお勉強なんていいから、自分の好きなことを極めたい!」という人もいるでしょうし、それならそれでいいと思います。研究とか芸術とかスポーツとか。好きこそも物の上手なれで、結果3つの力も身についていくと思われます。
ただやっぱりそこまで突出できるのは一部の人で、多くの人はその先多くの社会経験を積みながら「何者か」になると思います。その多くの人にとって受験勉強は一つのキッカケになり得るのでは。
合格したか、しなかったかの結果はもちろん大事。良い結果が得られるように、最後の最後まであきらめずに努力を続けたらいい。
しかし良い結果が出なかったからそれまでの勉強が全て無駄だったかというと、そんなことはない。
受験勉強をすることで、この3つの力が備わるのであれば、次の別のチャレンジの機会(=それは本当の「自分のしたいこと」)の時に、きっと役に立つと心から思います。
要するに「合格」か「不合格」かというのは、数ある結果のうちの1種類でしかないということ。
受験勉強に打ち込んだこと自体は、必ず何かの良い結果をもたらします。