- 投稿日:2025/10/29
- 更新日:2025/10/30
はじめに
2024年1月1日、石川県能登半島を襲った地震。
支援物資を集め、運び、届ける中で見えてきたのは、
「どれだけ支援したいという気持ちがあっても、"ちょうどよく届ける"のは難しい」という現実でした。
2年後、現場で過剰に積まれた支援物資を前にして感じたのは――
“自分で備えることが、いちばんの支援になるのでは”という結論。
支援の現場から見えた「支援の限界」と「備えの意味」を、
いま改めて振り返ります。
支援の始まりと混乱
その日、私は石川県白山市の自宅でお正月を家族とゆっくりと過ごしていましたが、夕方、突然震度5の揺れに襲われました。
子どもたちを守りながら、まず行動したのはスタッフや知人の安否確認。
当時仕事を手伝ってくれていたメンバーのひとりが被災していることがわかりました。
幸い、野々市市にあった自社の倉庫は無事。
縁があってその場所が、支援物資の集積拠点になりました。
その日の23時、愛知からトラックが到着し、水・食料・毛布・簡易トイレなどが次々と運び込まれ、深夜まで搬入が続きました。
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