- 投稿日:2026/01/30
初めまして!シロマサルです。
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今回はデヴィッド・グレーバー著『負債論──貨幣と暴力の5000年』(2016年発行)をつまみ食いします。まさに超、超、要約。おもしろいので興味があれば読んでみましょう。
著者:デヴィッド・グレーバー
出典:Wikipedia
1961-2020年。ニューヨーク生まれ。文化人類学者・アクティヴィスト。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授。著書に『アナーキスト人類学のための断章』『資本主義後の世界のために――新しいアナーキズムの視座』『負債論――貨幣と暴力の5000 年』『官僚制のユートピア――テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』『民主主義の非西洋起源について――「あいだ」の空間の民主主義』(すべて以文社)、『デモクラシー・プロジェクト――オキュパイ運動・直接民主主義・集合的想像力』(航思社)など。
✅ 貨幣は「信用」ではなく「暴力」から生まれた。
✅ 負債は道徳と支配の構造を形づくる。
✅ 現代社会にこそ“ジュビリー(債務免除)”が必要である。
「ともかく借りたお金は返さないと」。
デヴィッド・グレーバー著『負債論──貨幣と暴力の5000年』
「お金はなぜ存在するのか?」
私たちはこの問いに対して、「昔は物々交換をしていたから」と答える。
だが、グレーバーはその“常識”を真っ向から否定する。
彼によれば、人類は最初から「信用と関係」で生きていた。
貨幣は、交換の便利さのためではなく、“暴力と徴税の道具”として誕生した。
この逆転の発想が、5000年の経済史を新しい視点で照らし出す。
参考文献を除いても、770頁の膨大な文章だが、堅苦しくない。
『資本論』から『負債論』へ。
現代人の首をしめあげる負債(=ローン)の秘密を、古今東西にわたる人文知の総結集をとおして貨幣と暴力の5000年史という壮大な展望のもとに解き明かす。
ジャレド・ダイアモンドの「銃・病原菌・鉄」に加えて読むと面白い。
現代へのお金や負債に対するアンチテーゼ(反対の立場から、それに反対・否定する主張や理論)の側面で書かれている。
気軽な文庫本や新書で出てくれると嬉しいと思う書籍だ。
『負債論──貨幣と暴力の5000年』
人類の歩み、「負債」と「貨幣」という名の鎖に導かれた歴史ッ!
本書が取り扱うのは負債の歴史である。だが本書は同時にその歴史を利用して、人間とはなにか、人間社会とはなにか、またはどのようなものでありうるのか――わたしたちは実際のところたがいになにを負っているのか、あるいは、このように問うことはいったいなにを意味するのか。――について根本的に問いを投げかける。
デヴィッド・グレーバー著『負債論──貨幣と暴力の5000年』
貨幣は暴力の産物──「物々交換の神話」の崩壊と国家権力の誕生
貨幣とはッ!「物々交換を便利にするため」の道具などではなかったッ!!
実にさまざまなかたちで、だれかに負債を負っていて、それらほとんどの取引が通貨を使用することなくおこなわれていることが発見されるのだ。
デヴィッド・グレーバー著『負債論──貨幣と暴力の5000年』
⇒ 経済の始まりは「交換」ではなく「関係」だった。
アダム・スミス以来の経済学は、「人間は自然に交換を好む存在であり、貨幣はその効率を高める道具」と教えてきた。
だが、デヴィッド・グレーバーはこの“物々交換の神話”を徹底的に否定する。
彼の人類学的調査によれば、貨幣以前の社会で物々交換が日常的に行われていた証拠は存在しない。実際には、人々は「貸し」と「借り」による社会的な信用の網の目の中で生きていた。
つまり、経済の起点は交換ではなく、関係性の記憶=負債であった。
「誰が誰に何を借りているか」が共同体の秩序を支え、人々は互いの義務と信頼によって生活を回していたのだ。
ここに貨幣は必要なかった。
では、なぜ貨幣が生まれたのか?
グレーバーの答えは明確だ。
貨幣とは、国家と軍事が暴力を制度化するための発明だった。
古代の王や帝国は、税を徴収し兵士に給料を支払うため、社会に貨幣を強制的に流通させた。
貨幣は「便利な交換の手段」などではなく、支配と徴発のツールだったのである。
こうして、社会的な信用の関係は、国家権力によって「貨幣」という抽象的な約束へと置き換えられた。
貨幣とは、人と人をつなぐ信頼の象徴であると同時に、人を縛る“暴力の契約書”でもあったのだ。
金銭の貸し借りをする人びとが、純粋に「経済的」な動機によって行動していると(たとえば、他人に貸すのもなにも変わらないというように)言い張るのは、ほとんど不可能だからである。
デヴィッド・グレーバー著『負債論──貨幣と暴力の5000年』
負債と罪──モラルが人を縛るもう一つの鎖
支配と信頼、そして“負債”という見えざる力を形にした、人類の契約そのものだったのだァーーッ!!
貨幣とは交換を促進させるべく選ばれたひとつの商品であり、じぶん以外の商品の価値を測定するために使用されるにすぎないからである。
デヴィッド・グレーバー著『負債論──貨幣と暴力の5000年』
⇒ 負債とは、人間の「罪悪感」を制度化したものである。
グレーバーが掘り起こすのは、経済の背後に潜む“倫理的支配”の構造である。
「負債(Debt)」と「罪(Guilt)」は、そもそも同じ語源を持つ言葉だ
ドイツ語の“Schuld”(罪悪、借金)がそれを象徴している。
負債を背負うとは、単にお金を返す義務を負うことではない。
それは、道徳的に「悪いことをした」という感情を内面化することなのだ。
この構造は古代メソポタミアにすでに存在していた。
農民が不作で負債を返せないと、奴隷化され、社会の基盤が崩壊する。
これを防ぐために、王は「ジュビリー(債務免除)」を行い、社会秩序をリセットした。
つまり、債務免除は単なる経済政策ではなく、社会のモラルを再起動するための政治的儀式だったのである。
この歴史は繰り返される。
貨幣が生まれたとき、国家は「負債を返すことは道徳的に正しい」という信念を制度化した。
これによって、国家は暴力をふるわずとも、人々の“罪悪感”を通じて支配できるようになった。
返済の義務は法律ではなく良心に刻まれる──これが、最も洗練された暴力の形だ。
グレーバーの核心はここにある。
「お金とは、暴力の代替物であり、負債とはその暴力を道徳の仮面で隠したものだ」
つまり、経済とは、倫理と権力が手を組んだ構造そのものなのだ。
未来を奪う負債──資本主義の終焉と“ジュビリー”の再提言
奪い合うな、思い出せ! おまえが取り戻すべきは“人間性”そのものなのだァーーッ!!
いまやすべての世帯が、硬貨を手に入れるためにあれこれと方法をさがしだし、兵士の欲しがるものを供給するという全般的なもくろみに参加することになる。
デヴィッド・グレーバー著『負債論──貨幣と暴力の5000年』
⇒ 経済のリセットなくして、自由はない。
グレーバーは、現代資本主義を「第二の地金時代」と呼ぶ。
それは、貨幣が再び暴力の道具として機能し、負債が人類の未来までも拘束する時代である。
17世紀以降、国家は「国債」という制度を通じて、自らの信用を売り始めた。
戦争のための借金が国家の恒常的システムとなり、現在に至るまで、経済は“借金を返すために未来を担保にする”仕組みへと変質した。
個人の住宅ローン、教育ローン、国家の財政赤字のすべては「未来の労働」を前借りする構造である。
このとき、暴力はもはや物理的ではない。
銃や剣ではなく、数字と契約による暴力が社会を支配している。
返済できない者は排除され、信用を失い、社会的に“死んだ”ものとされる。
グレーバーはこの状態を「抽象化された暴力」と呼び、資本主義の本質をそこに見た。
そして彼は、古代に立ち返り、現代的ジュビリー(債務免除)を提唱する。
これは単なる債務削減運動ではない。
「経済とは、人間関係を数値化することではなく、人間を人間として扱うことだ」という原点への回帰である。
グレーバーが訴えたのは、経済のリセットによる倫理の回復。
すなわち「負債のない世界」ではなく、「赦し合う世界」への転換なのだ。
経済の進化とは、人間が暴力を抽象化していく歴史である。
そして、次の時代に進むためには、もう一度、負債を赦す勇気が必要だ。
近年の技術の進歩と高まる社会的複雑性が、わたしたちの政治的、社会的、経済的可能性を拡張するどころか、縮小させていると信じるよう、わたしたちがみちびかれているかのようだ。
デヴィッド・グレーバー著『負債論──貨幣と暴力の5000年』

エドワード・チャンセラー著『金利 「時間の価格」の物語』
貨幣制度が成立する以前から、物や穀物の「貸し付け」と返済時の上乗せ(利息)という形で、すでに利息の概念は存在していた。
そして、古代バビロニア(紀元前18世紀頃、ハンムラビ法典の時代)には、寺院や土地所有者が利子付きで穀物や銀の貸し出しを行い、具体的な金利率(銀は20%、穀物は33.3%など)も法典で定めている。
⇒ 金利は「時間の価格」というモノサシである。
金融市場の規制という点では、金利の存在は銀行家や投資家が過剰なリスクを取るのを思いとどまらせる。 外国為替市場では、金利が国家間の資本の流れを均衡させる。 金利はまた所得や富の配分にも影響を及ぼす。
エドワード・チャンセラー著『金利 「時間の価格」の物語』
ナシーム・ニコラス・タレブ著『身銭を切れ』
「身銭を切る」とは、単にお金を出すことではない。
それは、自らの意思決定に対して責任を負い、リスクを自分の身体と生活で引き受けるという生き方である。
タレブはこれを「仁義」と表現し、人間社会における最も基本的な公正の原則だと説く。
現代社会では、責任と報酬が切り離される構造が蔓延している。
「自分がしてほしいことを他者にもせよ」
ナシーム・ニコラス・タレブ著『身銭を切れ』
真に信頼できる人間とは、リスクを共有する人間である。
決して、相手を見誤るな。
マイケル・ヘラー著『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』
⇒ 所有権は絶対ではなく、6つの物語の対立で成り立つ。
本書が示す6つの所有権ルールとは何か?
付属している:何か特定の場所に結びついているものを自分のものだと主張する。
早い者勝ち:誰よりも先に手に入れた、または先に場所を確保したことを根拠とする。
占有:実際に手にしている、あるいは使用していることを根拠とする。
自分の蒔いた種は自分で収穫する:自らの労働や努力によって生み出されたものを自分のものだと主張する。
私の家は私の城:私的な空間や領域を自分のものだと主張する。
私の身体は私のもの:自己の身体を自分のものだと主張する。
これらは私たちが無意識に信じる正当性の物語だが、普遍的な真実ではない。
「それ、私の!」この原始的な叫びは子供が最初に覚える単語の1つだ。
マイケル・ヘラー著『Mine! 私たちを支配する「所有」のルール』
まとめ
✅ 貨幣は「信用」ではなく「暴力」から生まれた。
✅ 負債は道徳と支配の構造を形づくる。
✅ 現代社会にこそ“ジュビリー(債務免除)”が必要である。
かくして貨幣は、商品と借用書(debit-token)のあいだをほとんど常にさまよっているのである。これこそ、硬貨が私たちの頭のなかで貨幣の典型として存続している理由は、おそらくこれである。硬貨とはここではそれ自体商品として価値があり、政治的権威の紋章が刻印されることでさらに金銀の断片のことである。
デヴィッド・グレーバー著『負債論──貨幣と暴力の5000年』
⇒ 「お金とは、暴力を数値化したものである」
知識や見聞は、いずれ力になってくれると教えてくれます。
是非、皆様のより良い人生の選択肢が増えますように!
見ていただきありがとうございました!😆

