- 投稿日:2026/01/27
- 更新日:2026/01/27
初めまして!シロマサルです。
知ることで、人生はもっと楽しくなる!
今回は上野千鶴子著『情報生産者になる』2018年発行をつまみ食いします。まさに超、超、要約。おもしろいので興味があれば読んでみましょう。
著者:上野千鶴子(うえの・ちづこ)
出典:Wikipedia
1948年富山県生まれ。社会学者。東京大学名誉教授。認定NPO法人ウィメンズアクショネットワーク(WAN)理事長。専門学校、短大、大学、大学院、社会人教育などの高等教育機関で、40年間、教育と研究に従事。著書に『近代家族の成立と終焉』、『家父長制と資本』(岩波書店)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『女ぎらい』(紀伊國屋書店)、『ケアの社会学』(太田出版)、『サヨナラ、学校化社会』など多数。
✅ 情報はコピペではなく、自分の問いから生まれる。
✅ 問いは一次情報で検証し、他者に伝わる形にしてこそ意味がある。
✅ 学問とは、才能ではなく「再現可能な技術」である。
初学者の陥りやすい過ちは、知っていることをすべて書きたくなることです。先行研究の検討から知り得たことをあれもこれも書きたい気持ちはわかりますし、そうすれば論文は長くなって一見労作に見えますが、どれほど書いてもたくさん読んだね、ごくろうさん、という読書レポートにしかなりません。
上野千鶴子著『情報生産者になる』
「調べてまとめました」は、もはや価値ではない。
仕事のレポート、SNSの発信、会議の企画書、就活の志望動機、研究テーマ。
全部「で、それあなたの視点は?」と問われる時代だ。
私たちの多くは、ネットで調べてまとめる「情報消費者」にとどまっている。
では、どうすれば「情報を拾う人」ではなく「情報を生む人」になれるのか?
今回は、上野千鶴子著『情報生産者になる』から情報をつくるための3つのコアスキルを解説する。
①ノイズを拾って問いにする
②一次情報を取りに行く
③それを他者に届く形でアウトプットする
著者は東京大学で40年にわたり教育と研究に従事し、女性・ケア・家族・ジェンダーをテーマに社会を切り取ってきた実践知の人である。
研究することは大学や研究所だけのものではない。
情報発信をするものであれば、必要な技術である。
『情報生産者になる』
より良い学びは発表することだ。より血肉になる。
誰も立てたことのない問いを立てるには、すでに誰がどんな問いを立て、どんな答えを出したかを知らなければなりません。すでにある情報の集合を知識として知っていることを、「教養」とも呼びます。
上野千鶴子著『情報生産者になる』
ノイズを拾え──「違和感」こそ情報の原材料
頭の中に浮かんだ「言葉にできないこと」に注目せよ。
情報はノイズから生まれます。これが情報工学の基本です。
ノイズのないところに情報は生まれません。
上野千鶴子著『情報生産者になる』
⇒ 情報は、あたりまえを疑うところから生まれる。
「なんか変だな」「これ、ほんとにそうなの?」と感じた瞬間こそ、情報生産のスタート地点である。
上野千鶴子は、これをノイズと呼ぶ。
ノイズとは、違和感・引っかかり・モヤモヤ・こだわりの塊だ。
逆に言えば、何の疑問も湧かない環境ではノイズは生まれないし、ノイズのない場所では情報は1ミリも生まれない。
では、そのノイズはどこで発生するのか。
人は自分の身の回りにある「自明の世界=あたりまえすぎて考えたこともないもの」には、そもそも疑問を感じにくい。
「男はこういうもの」「会社とはそういうもの」「家庭では普通こう」みたいな前提は、あまりに身体化されすぎていて、もはや疑問として立ち上がらない。
他方で、まったく自分から遠いもの(自分と年齢も文化も仕事も全然違う人の話)は、逆に遠すぎてそもそもキャッチできない。
「へぇ、そういう世界もあるんだね」で流れてしまう。
この2つのどちらにも偏っていると、ノイズは拾えない。
ノイズはその中間、つまり「自分の世界と少しだけズレた場所」「自分の常識が通じないのに、なんとか自分の言葉で理解可能なギリギリの領域」で発生する。
上野はこれをグレーゾーンと呼ぶ。
このグレーゾーンに身を置くことが、情報生産力を高める装置そのものであると説く。
あえて世代の違う人・育ちの違う人・身体条件の違う人・価値観の違う人と話す。
自分と制度や慣習が違う場所に足を運ぶ。
自分の「当たり前」が崩れる瞬間を意図的に増やす。
するとノイズが立ちのぼる。
それが情報の素になる。
ここで重要なのが「周辺に立つ」という姿勢だ。
上野は、社会を複数のシステム(会社、学校、家族、業界、文化など)の集合としてとらえる。
そして、ひとつのシステムのど真ん中にどっぷり浸かっている人は、そのシステムの理屈を疑えないから、情報を生みにくいと言う。
逆に、複数のシステムをまたぎ、その境界や継ぎ目に立つ人間(彼女の言う「周辺人(marginal man)」)は、両側のズレや矛盾やバカバカしさを、はっきりと言葉にできる。
たとえば「育児と正社員労働」のはざまにいる人は、育児側の“善意の押しつけ”と会社側の“自己責任論”の両方のズレが痛いほど見える。
あるいは「健常者文化と障害当事者文化」の境界に立つ人は、両側が互いにまったくわかっていないことを観測できる。
この境界感覚こそが、唯一無二の情報を生む。
つまり、「どこにも完全には属していない」という感覚は弱点でも劣等感でもなく、むしろ最強のアンテナになる。
自分はどこの“内側”にも完全にはいない、だから両側の空気に気づける。
この位置を正しく生かす人間が、社会を観察し、新しい問いを立てる。
では、問いとは何か。
問いとは単なる疑問ではない。
問いとは「現実をどう切り取るか」というカッターの角度である。
よくあるダメな問いは「日本の少子化はなぜ進むのか?」のような巨大で抽象的で、誰も答えられないタイプ。
良い問いは「地方の20代女性は、いつ・何をきっかけに地元を離れる決断をするのか?」のように、行動とタイミングを特定し、当事者に聞けるサイズまで落ちている。
問いには2つ条件がある。
❶答えの出る問いであること。
検証も反証もできないものは研究にならない。
❷手に負える問いであること。
今日・今月・今年でどこまで明らかにできるのか、風呂敷を畳めないと一生かかっても終わらない。
上野はこれを徹底的に叩き込む。
「あなたの問いは、本当に今ここで解けるのか?」と。
ここまで落とし込んではじめて、ノイズは“研究可能な問い”に変わる。
要するに、いい情報はセンスや才能から降ってくるのではない。
「ノイズを感じる→そのノイズを言葉にして問いにする→問いを手に負えるサイズにする」という手続きから生まれる。
これが情報生産の第1段階だ。
ところでオリジナリティとは何でしょうか?オリジナリティとはすでにある情報の集合に対する距離のことを言います。
上野千鶴子著『情報生産者になる』
一次情報を取りに行け──「検索してまとめる」は研究ではない
かんばんはそこら中に立っている。しかし大抵は一次情報ではない。
一次情報、二次情報を含めて、利用可能な情報がどこに、どれだけあるか、を知っていることは重要です。それを知っていることがこれから出帆する海図のない航海を、安全なものにします。研究計画書を評価する側からすれば、問いを立てた者がどれだけ予備知識を持っているか、問いが適切に立てられているか、答えに到達することが可能か……を判定する根拠になります。
上野千鶴子著『情報生産者になる』
⇒ コピペは消費、一次情報は生産。
情報には2種類ある。
二次情報と一次情報だ。
二次情報とは、すでに誰かが集め、加工し、意味づけし、公開済みの情報。ニュース記事、論文、ブログ、統計まとめ、SNSの解説スレ。
いわば“中古情報(セコハン)”である。
これは学ぶには役立つ。
背景を知るには便利だ。
だが、これはあなたのものではない。
あなたの発見にはならない。
あなたの名前で主張する根拠にはなりにくい。
一次情報は真逆だ。
現場で自分の目と耳と手で集めたデータ、声、観察記録、インタビュー、数値、写真、ログ。
たとえば「夜勤の介護士がどこで睡眠を削っているのか、何に一番疲れているのか」を、実際に夜勤に同行して聞いたメモ。
それは検索しても出てこない。
あなたにしか取れない。その一点だけで、あなたは“情報の持ち主”になる。
上野ははっきり言う。
「図書館やネットで探してきたものを器用にまとめただけのレポートは、研究ではない」
なぜか。理由はシンプルだ。
二次情報は誰の手にも届くが、一次情報はあなただけが持っているからだ。
会社で言えば、同業他社レポートを読んだ分析は誰でも書ける。
でも、自社の離職者30人に直接ヒアリングして得た要因分布は、あなたしか語れない。
それはもはや意見ではなく、証拠である。だから信用される。だから武器になる。
では、どうやって一次情報を取りに行くのか。
ここで必要になるのが「研究計画書」という考え方だ。
研究計画書とは、思いつきで集めるのではなく、“どの問いに対して/誰から/どの方法で/どの期間で/どこまで明らかにするのか”をあらかじめ設計するための、超・現実的な設計図である。
これはアカデミックの世界だけの道具ではない。
よい企画書・よい提案書・よい市場調査書は、すべて実質的に研究計画書だ。
研究計画書には必ず入る要素がある。
・問い(何を明らかにしたいのか)
・仮説(いまのところこうだと思っている暫定の答え)
・対象(誰・どこ・何を調べるのか)
・方法(どう集めるのか。インタビュー?観察?既存資料分析?)
・スケジュール(一体いつまでにどこまでやるのか)
・コスト(どれくらい手間とお金がかかるのか)
・意義と限界(これで何がわかり、何はわからないのか)
これが書けない調査は、ほぼ確実に途中で迷子になる。
逆に、これさえあればあなたは「何をすべきかわからない」という状態に落ちない。
迷わないということは、途中で折れにくいということだ。
折れにくいということは、最後まで行けるということだ。
つまりリサーチは設計力で7割決まる。
そして怖がらなくていいのが「仮説」
多くの人が「仮説なんてありません、自分はフラットです」と言いたがるが、それは幻想だと上野はバッサリいく。
仮説とは、あなたの偏見・予断・思い込みでいい。
むしろそれがなければ、調査はどこを見ればいいか決まらない。
大事なのは、偏見を“測れる形”に翻訳することだ。
たとえば「若手は打たれ弱くなった」というおじさん偏見があるなら、それを「入社3年未満の社員と5年以上の社員で、上司との1on1頻度・相談機会・睡眠時間・メンタル不調の申告率に差はあるか?」という観測可能な問いにする。
これなら聞けるし、集められるし、比較できる。
これはもう“ただの文句”ではなくなる。
こういうふうに仮説を検証可能な命題に落とす技術が、プロの情報生産者をプロたらしめる。
つまり、情報生産の第2段階とはこうだ。
問いを持ったら、机を離れて一次情報を取りに行く。
そのとき、あなたの「これはこうなんじゃないか?」という予断をちゃんと検証できる形に変える。
そして集めたデータはあなたの資産になる。
これが、コピペ職人とリサーチャーの決定的な差である。
オリジナルな問いと言っても、まったく誰も立てたことのない問いなんて、めったにありません。ですが、「先行研究の批判的検討」をすることによって、自分の立てた問いのどこまでが解かれており、どこからが解かれていないかがわかるようになります。そこではじめて、自分のオリジナリティが何か、がわかるのです。
上野千鶴子著『情報生産者になる』
アウトプットせよ──伝わらない情報は存在しないのと同じ
実際に切り出してみることで、より多くの情報がわかる。
情報を消費したり収集したりすることを、インプット(入力)といいます。インプットした情報を加工して生産物にする過程を情報処理information processと言います。情報処理の「プロセス」は、「加工」でもあり、「過程」でもあります。情報生産の最終ゴールは情報生産物をアウトプット(出力)することです。
上野千鶴子著『情報生産者になる』
⇒ 情報は、相手が理解したときに初めて価値になる。
多くの人は、インプット(集める)とプロセス(考える・分析する)で止まる。
メモ帳・Notion・下書きフォルダ・社内共有ドライブには山ほど“途中の知恵”が眠っているが、それは外に届いていない限り、社会的には「ない」のと同じだ。
情報生産とは、他者に届くかたちで差し出すところまでやってはじめて完了する。
ここで要求されるのは、職人的なアウトプット能力である。
まず、アウトプットは「わかってもらえなかったら読み手が悪い」では済まされない。
読み手に誤解されたら、それは書き手の責任である。
情報生産者になるには、アウトプットが相手に伝わってなんぼ。なぜなら情報生産とはコミュニケーション行為だからです。情報が相手に伝わらない責任は、もっぱら情報生産者にあります。もし誤解を生むとしたら、その責任ももっぱら情報生産者にあります。
上野千鶴子著『情報生産者になる』
これは研究論文に限らず、社内提案、採用資料、営業資料、プレゼン、すべて同じである。
相手が正確に理解できるように書く。
それができないなら、それはまだ情報ではなく、自己満足の思いつきにすぎない。
では、伝わる文章とは何か。
・用語は定義する。
同じ言葉は同じ意味で最後まで使う。言い換えのオシャレさはいらない。
・論理は飛ばさない。
「だから」「なぜなら」「つまり」をケチらない。読者に推理をさせない。
・根拠を示す。
あなたがそれを言える理由を、データや観察とセットで差し出す。
・多義性で逃げない。
“いい感じ”“大切だと思う”などの情緒の靄でごまかさない。
これは冷たいようでいて、実はすごくやさしい態度でもある。
なぜなら「あなたにちゃんと伝えたい」という誠実さの表明だからだ。
研究は文学ではない。
詩的な表現で「感じてください」は要らない。
相手を説得し、動かすための道具として言葉を置け、という要求だ。
さらに、アウトプットにはもう1つ重大なポイントがある。
それは「自分の発見を共有財にする」という視点だ。
著者は、学問とは「伝達可能な知の共有財」だと定義する。
つまり、あなたの発見は“あなたの所有物”で終わってはならない。
誰でも使える道具、再利用できる枠組み、再現できるプロセスとして他者に渡されてこそ価値になる。
これは仕事の世界でも同じだ。
個人の職人芸は、属人化したノウハウとして消える。
だが、手順書・再現可能なフロー・検証可能な指標に変換すれば、それはチームの武器になる。
属人的なカリスマではなく、再現可能な方法論として渡す。
これが“職人としての情報生産者”のやるべきことだ。
そしてこの段階で、あなたはただの「書き手」ではなく「編集者」「プロデューサー」になる。
つまり、誰に、どの順番で、どの深さでこの情報を届けるべきかを設計する側だ。どんな相手に読まれたいのか。
どの現場を変えたいのか。
どの会議の意思決定に影響を与えたいのか。
どの人の行動を1ミリでも変えたいのか。
そこまで決めて発信する。
情報生産者とは、データを持っている人ではない。
問いを立て、確かめ、他人が使える形にまで噛み砕いて渡す人である。
そしてそれを社会に流通させる人である。
どれだけ情報をインプットしていても(これを博識と言います)、あるいはそれから多くの情報処理を経ていても(これを智恵と言います)、アウトプットしない限り、研究にはなりません。
上野千鶴子著『情報生産者になる』
アウトプットしない情報は、存在していないのと同じである。
逆に言えば、あなたの情報が誰かの意思決定を動かした瞬間、あなたはもう「情報消費者」ではない。
「現実を書き換える側」に立っているのだ。

宮野公樹著『問いの立て方』
違和感は自分の内側に眠る問いの芽である。
違和感を放置せず立ち止まることで、思考が深まり「本分に基づく問い」が立ち上がる。
「問いは答え以上に人を動かす」と強調されている。
考えがあるから人がある、言い換えるなら、生きていることが考えること、となります。
宮野公樹著『問いの立て方』
安宅和人著『イシューからはじめよ』
具体的な問いの立て方や効率性を求めるならこちら。
私たちが欲しがる具体的な手法が書かれている。
悩む問題は解決しないとしており、脳のリソースは「考える=解決への思考」に使うべきである。
世の中にある「問題かもしれない」と言われていることのほとんどは、実はビジネス・研究上で本当に取り組む必要のある問題ではない。
安宅和人著『イシューからはじめよ』
宮野公樹著『問いの立て方』は研究者よりの問いの立て方なので、成果を出すことよりも、内省に重点を置いている。
個人的には、どちらが良いというわけではなく、どちらも使い分けるのが良い。
「答えが出る・出ないということよりも、向かい続けることに価値や意味があるもの」も必ずある。
まとめ
✅ 情報はコピペではなく、自分の問いから生まれる。
✅ 問いは一次情報で検証し、他者に伝わる形にしてこそ意味がある。
✅ 学問とは、才能ではなく「再現可能な技術」である。
情報生産者は、同時に自分自身のプロデューサーでもなければならないからです。そのなかには今や、ネット上のアイデンティティ管理や自己ブランド化、マーケティング戦略なども含まれてくるでしょう。印刷メディアしかなかった時代に比べて、これから世に出る情報生産者にとっては、難儀な時代になったものです。
上野千鶴子著『情報生産者になる』
⇒ 「違和感を捨てず、自分の手で確かめ、他人に届く形にして返す」
どこまで行っても、「誰かの為に記録を残す」
人に伝わらなければ、「記録として残らない」
と…私自身も身を正さねばと思わせてくれる書籍である。
知識や見聞は、いずれ力になってくれると教えてくれます。
是非、皆様のより良い人生の選択肢が増えますように!
見ていただきありがとうございました!😆

