- 投稿日:2025/12/30
初めまして!シロマサルです。
知ることで、人生はもっと楽しくなる!
「本当の幸福とは何か?」
「結局、人はどう生きればいいのか?」
こんな問いに迷ったとき、2500年前から明快な答えを示した人物がいる
それがアリストテレスである。
今回はアリストテレス著『ニコマコス倫理学』2015年版をつまみ食いします。まさに超、超、要約。おもしろいので興味があれば読んでみましょう。
著者:アリストテレス
出典:Wikipedia
古代ギリシャを代表する哲学者。ギリシャ北部のスタゲイラに生まれ、17歳ころアテナイのプラトンの学園アカデメイアに入学、20年間研究生活を送る。プラトンの死後小アジアなどの遍歴時代を経て、50歳近くでアレクサンドロス王の庇護のもとでアテナイに学園リュケイオンを創設し、学頭として研究と教育に没頭した。かれの著作は講義ノートが大部分であり、内容別に整理され、学問方法論、理論学の『形而上学』『魂について』、実践学の『二コマコス倫理学』『政治学』、制作学の『詩学』などがある。
✅ 幸福とは“徳に従った活動”である。
✅ 中庸の判断こそ、理性の腕の見せどころである。
✅ 良き友愛が、幸福を持続させる土台になる。
どのような技術も研究も、そして同様にしてどのような行為も選択も、なんらかの善を目指しているように思われる。それゆえ、善はあらゆるものが目指すものであるとする人々の主張はすぐれていたのである。
アリストテレス著『ニコマコス倫理学』
『ニコマコス倫理学』は、人とはいかに生きるべきかを説いた古典中の名著。
本記事では、『ニコマコス倫理学』が語る“幸せの設計図”を解説する。
人生には、徳(アレテー)が必要である。
単なる能力だけでなく、あるものがその本来の働きを最大限に発揮した状態を指す。
善性というよりも、機能美や性能が良い状態の意味合いが強い。
「こうあるべきだ」という概念。
馬のアレテーが「速さ」なら、ナイフのアレテーは「よく切れて錆びないこと」。
人間という視点で「良き〇〇であれ」というのが徳(アレテー)である。
人間にとっては、経済的自立の状態で、健康で、善く生きている状態もまた、ひとつの徳(アレテー)である。
『ニコマコス倫理学』
私たちはより良くなるために奮起する。
われわれはみな、幸福のためにほかのあらゆるものを為しており、そして、われわれはさまざまな善いものの原理にして原因となるものを、尊敬に値する神的なものと定めているからである。
アリストテレス著『ニコマコス倫理学』
私たち人間は皆、幸福になるためにあらゆる行動をしている。
そして、世の中の様々な「善いもの」を生み出す根本原理であり原因ともいえるものを、私たちは尊敬すべき神聖なものと考えている。
“良い”ものは求める対象
“悪い”ものは避ける対象
つまり、人はすべて「より良い状態になる」ために行動し、善の源となるものを神聖視している。
思慮深い人は、快楽を追求せずに、苦痛のないことを追求する。
アリストテレス著『ニコマコス倫理学』
幸福とは“徳に従って生きる”という、人間固有の活動である
道具や機構は良い働きをするために設計される。
或る人々は節制の人であり、温和でもある人になり、別の或る人々は放埓で、苛立ちやすい人になる。
アリストテレス著『ニコマコス倫理学』
放埓(ほうらつ):抑制がなく、自由気ままに振る舞う様子
⇒ 幸福は外側ではなく、人生の営み自体に宿る。
アリストテレスは、快楽・富・名誉といった外的な良いものを、幸福そのものとはみなさない。
なぜなら、それらは“持っているだけでは不完全”で、状況が変われば容易に奪われる脆い価値だからだ。
人間にとっての真の幸福(エウダイモニア)は、運任せではなく、自らの生き方によって成立するものでなければならない。
そこで彼が提示するのが「幸福=徳に従った魂の活動」という定義である。
幸福とは、潜在能力として心の中に眠っている善ではなく、実際に善い行いを選び、実行し続けている状態のことを意味する。
これは一時的な感情や成功とは違い、長期的で安定した生のスタイルである。
日々の判断、習慣、行動が積み重なってこそ幸福が形づくられる。
そのため、幸福は“与えられるもの”ではなく“つくるもの”だという姿勢が本書を貫いている。
徳は習慣によって磨かれ、中庸が理性的判断の核心となる
続けることと、中庸であることはこの世で最も難しい。
勇気が「恐れ」と「自身の大きさ」の中間性であることは、すでに明らかとなっている。そして明らかに、われわれが恐れるのは恐ろしいものであり、恐ろしいものとは、おしなべて悪いものである。
アリストテレス著『ニコマコス倫理学』
⇒ 徳は身につける技術であり、中庸はその実践の精度を決める基準である。
アリストテレスは、徳を「行動を選択する際に働く決定の状態」と定義する。
徳は生まれつき備わる性質ではなく、訓練・反復・経験によって徐々につくられる人格の傾向性である。
つまり人間は、習慣の力によって良き人にも悪しき人にもなり得る。
人格は、“何を選び、どのように行動するか”の積み重ねにすぎない。
では、その行動基準はどこにあるのか。
それがアリストテレス倫理学の核心である「中庸」の原則だ。
中庸とは単なる“ほどほど”ではなく、その人、その状況、その目的において最適な行為のポイントを指す。
勇気を例にすると、臆病と向こう見ずの極端の間に適切な判断があり、これを見極めるのが理性の役割である。
恐れるべきものを恐れ、恐れすぎず、必要なときには危険に立ち向かう。
この微妙なバランスを取る力こそ徳の成熟度であり、倫理的判断の練度そのものである。
中庸は固定したルールではなく、状況依存的で高度に実践的な知恵(フロネーシス)が要求される。
だからこそ、徳は一度身につければ終わりではなく、日々の選択によって磨き続ける必要がある。
アリストテレスは「徳(人間としての優れたあり方)」を、中庸=極端でない“ちょうどよい”性質と定義している。
友愛は人間の幸福を支える“関係性の徳”であり、社会の構造そのものを映し出す
木材を持つ高さでさえ、他者との関係性を決める。
気前良さとは、財貨にかんする中間性であるように思われる。
アリストテレス著『ニコマコス倫理学』
⇒ 最良の友は互いの善を愛し、人生をより豊かにする存在である。
アリストテレスは、幸福の条件として「友愛(フィリア)」を非常に重視した。
人は一人では幸福になれず、他者との関係性の質によって人生の豊かさが左右されるからである。
友愛には、大きく「善・有用・快楽」の三種類があるが、最も価値が高く持続するのは“相手の善そのものを愛する友愛”である。
利益や楽しさを目的とする関係は、目的が失われた瞬間に簡単に壊れるが、人格的な善を互いに尊重しあう関係は長期的に続く。
さらにアリストテレスは友愛をより精緻に分析し、動機だけでなく“関係性の均等性/優越性”によっても分類した。
対等な友人関係、親子、支配関係、師弟関係など、多様な友愛の形は、単に個人間の関係にとどまらず、社会構造や共同体の仕組みそのものに反映されると考えられている。
つまり友愛は、倫理学だけでなく政治学へも橋をかける重要な概念なのだ。
良い友を持つこと、良い関係を育てることは、徳を磨く実践の場となり、幸福の持続を支える基盤にもなる。
アリストテレスにとって友愛は、個人的感情ではなく、共同体の質と個人の幸福を同時に高める“社会的徳”なのである。
「美しいこと」や「正しいこと」には多くの相違やゆらぎがあると思われており、そのためそうした美しいことや正しいことは、ただ単に人々の定めた決まりごとでしかなく、自然本来においては存在しないものだとも思われている。しかし、「善いこと」にもこうした種類のゆらぎがある。 そこで、こうしたゆらぎのある題材をもとに語る場合には、真理を大雑把に、そしてその輪郭だけを明らかにすることで満足すべきである。
アリストテレス著『ニコマコス倫理学』
つまり、「美しい」「正しい」はゆらぎが大きい「アート(芸術)」である。
“数学のような厳密な定義”を求めるのは不適切であり、大まかな真理を示せれば十分である。
ただ、自分の頭の中だけは”なんとなく”はっきりさせておきたい。
それこそが価値観である。

プラトン著『ソクラテスの弁明』
別の古代ギリシアの哲学者の弟子がまとめた書籍。
すべての出発点は「知らないことを自覚すること」である。
まとめ
✅ 幸福とは“徳に従った活動”である。
✅ 中庸の判断こそ、理性の腕の見せどころである。
✅ 良き友愛が、幸福を持続させる土台になる。
苦痛がないとは、人生を妨げるものが無いということを意味し、それは最高善の一つであるからだ。
アリストテレス著『ニコマコス倫理学』
⇒ 「理性を働かせて生きよ」という普遍の教え。
知識や見聞は、いずれ力になってくれると教えてくれます。
是非、皆様のより良い人生の選択肢が増えますように!
見ていただきありがとうございました!😆
