- 投稿日:2025/12/12
- 更新日:2025/12/16
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要約
これは、父が倒れた日から亡くなるまでの22日間を、息子が家族として見つめ続けた記録です。
寄り添ってくれると思ってた病院の医療ソーシャルワーカーは私たちの心を揺さぶる存在でした。
その“等身大の姿”を、嘘なく残しておきたいと思ったからです。
この記録はフィクションではありません。
前の章 第5章:回復が見えぬまま、転院が近づく
https://library.libecity.com/articles/01KC5HNRC12WD5QR03NZTHQKDN
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6-1|医療ソーシャルワーカー(MSW)から告げられた現実
最初に提示されたのは、
「今後必要になるかもしれない退院先の候補一覧」でした。
私は “まだ意識も戻っていないのに、退院の話が出るのか” という驚きと戸惑いが混ざり、頭の切り替えが追いつきませんでした。
今だったら病院の棲み分け上、意識があろうがなかろうが、病状が安定したら転院させるという理屈は理解できます。同意できるかは別ですが。
医療ソーシャルワーカー(MSW)は淡々と、一覧に載っている病院の特徴や受け入れ条件を説明してくれました。
その中で一言、
「お父さまの状態では、受け入れが難しい施設も多いです」
と伝えられました。
理由は、医療依存度が高い ということ。
痰の吸引、酸素、経管栄養など、複数の医療処置を継続して行う必要があるため、一般的な介護施設では対応が難しい、と。
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