- 投稿日:2024/11/15
- 更新日:2025/10/01

初めまして!シロマサルです。
知ることで、人生はもっと楽しくなる!
今回はジェームズ・ウォレスとジム・エリクソン著「ビル・ゲイツ: 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」(1992年発行)をつまみ食いします。まさに超、超、要約。おもしろいので興味があれば読んでみましょう。
著者:ジェームズ・ウォレス
ビル・ゲイツの伝記「ビル・ゲイツ: 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」の著者ぐらいしかわからなかった。
パプちゃんもそれぐらいしかわからなかった。
イングランドのリバプールで生まれたサッカー選手のほうが出てくる。😅
補足
ビル・ゲイツ出典:朝日新聞デジタル
1955年10月生まれ。世界最大のコンピュータソフトウェア会社マイクロソフト会長。
1992年、米国建国史上最年少記録を塗り替える36歳で米国長者番付第1位になった。
裕福な家庭に育ち、天才に近い知能指数をもつビル・ゲイツは、子どもの頃から「何でも一番」でなければ気がすまないという強い競争心を持っていた。
「僕は、自分よりも頭の切れる連中から何か学ぼうと、ハーバード大学に入ったのだが、失望して大学から去っていったんだ」
ジェームズ・ウォレスとジム・エリクソン著「ビル・ゲイツ: 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」
コンピュータとの出会いはシアトルの名門レイクサイド・スクールの2年生の時、当時、コンピュータはあまりに高価で、一般的ではなかっただけに、教える教師自身、あまりコンピュータに詳しくなく、ゲイツは瞬く間に教師を追い越していく。
コンピュータの虜になったゲイツは、やがて独学でゲームのプログラムなどを書くようになっていく。
学校の成績も良かったゲイツは、1973年にハーバード大学に進学。
ゲームのプログラムをつくるために「36時間以上ぶっ続けに仕事をして、10時間近くぐったりして、出かけてピザを平らげると再び仕事に戻る」という無茶苦茶な生活。(庵野 秀明監督の大学生時代みたいなことをしている。)
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と、1995年ぐらいまでのビル・ゲイツについて事細かく描かれた濃厚な伝記。意外にもクリエイターとしてではなく、起業家としての強さが見える作品である。ただ…専門用語のオンパレードすぎて、熟読は困難。😅
そういう本もある。そんなものだ。
この記事がよくわからなければ、それは私の責任である。
マイクロソフト(英: Microsoft Corporation)は、アメリカ合衆国ワシントン州に本社を置く、ソフトウェアを開発、販売する会社。
お世話になっている人も多い。今でも。これからも…は誰にもわからない。
本書は、コンピュータや、世界に革命を巻き起こしてから、まだ20年にも満たない輝かしいテクノロジーについて述べたものではない。人間たち、すなわちビル・ゲイツというひとりの男に率いられた非凡な人間群像についての物語である。
ジェームズ・ウォレスとジム・エリクソン著「ビル・ゲイツ: 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」
アイデアを形にする力
アルテア8080への挑戦
「切羽詰まったときにこそ最高の能力を発揮できる」
ジェームズ・ウォレスとジム・エリクソン著「ビル・ゲイツ: 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」
アルテア8080:1974年12月にアメリカのMicro Instrumentation and Telemetry Systems (MITS) が開発・販売した個人用のコンピュータ。
1974年末、ビル・ゲイツとポール・アレンは雑誌で「アルテア8080」の記事を見つけると、その開発に夢中になる。
当時、ソフトウェア市場は未開拓で、ハードウェアには必要なプログラムがついていなかった。
ゲイツはアレンと共に、まだ何もない状態から「売る」ことを決意し、8週間で実現した。
⇒ 市場の動向を鋭く察知し、開発の準備が整っていなくても即座に行動した。
ゲイツのスピード感が勝機を呼んだ。
まさに彼の自信と決断力が輝くエピソードである。
本当に全く関係ないが、「相田 みつを」も1955年ろうけつ染めを学び、書道教師ではなく、ろうけつ染めや地元商店からデザインを請け負うなどして生計を立てていた際、まだ何もない状態から前金を受け取っていたエピソードがある。
始めたばかりなので当然信用もない状態である。
「商品」がなかったとしても、「売る」ことはできる。
しいて言うなら、「熱意」を売った。
どの書籍かは忘れたけど…。
勝利のためのリスクと計算
IBMとの交渉術
私が悟ったのは、一点に集中しなければならないということ、お金とチャンスはうなるほどあり、私は客と契約を結ばなければならないということだった。
ジェームズ・ウォレスとジム・エリクソン著「ビル・ゲイツ: 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」
1980年、アップルⅡの成功を見て、パソコン市場参入を決意したIBMは、ゲイツにOS開発を依頼。
補足
アップルⅡ:Appleが1977年に発表したパーソナルコンピューター。
OS(オペレーティングシステム):コンピューターの基本機能を実行するために必要なソフトウェア。パソコンをパソコンたらしめている最重要ソフト。人間に例えれば「心」や「人格」に相当するソフト
IBM:アメリカ合衆国ニューヨーク州アーモンクに本社を置くテクノロジー関連企業。
ゲイツはシアトル・コンピュータ・プロダクツからOSを買収し、短期間で改良して納品する。通称:MS-DOS。
取引は安価に行い、代わりに他メーカーへのライセンス販売権を保持する。
結果、多くのメーカーがIBM互換機の製造を始めたことでMS-DOSはゲイツの狙い通りコンピュータのOSの標準となる。
補足
MS-DOS(エムエス-ディーオーエス、エムエスドス)は、1981年よりマイクロソフトが開発・販売したパーソナルコンピュータ向けのオペレーティングシステム(OS)つまり、Windowsの先輩。
「MicroSoft Disk Operating System(マイクロソフト・ディスク・オペレーティング・システム)」の略で「MS-DOS」
⇒ 先を見据えたビジネス戦略で、自社の成長を確立。
ゲイツの取引は単なる契約以上の意味を持っていた。
これによりMS-DOSは業界標準へと成長し、マイクロソフトの影響力を広げた。この交渉からも、ビル・ゲイツの鋭い洞察力と大胆さがうかがえる。🤔
ただ、ゲイツ自身はMS-DOSの限界も理解していた。🧐
挑戦と失敗の先にあるもの
Windowsの開発と苦闘
技術的な突破口は、僕たちがすでに持っているものを拡大することによって生じると思う。手書き文字のコンピュータひとつをとってみてもね。
ジェームズ・ウォレスとジム・エリクソン著「ビル・ゲイツ: 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」
背景にアップルのスティーブ・ジョブズが進めるGUIを採用したマッキントッシュ(発売は1984年)の技術を取り込んだOS開発が必要と感じていた。
補足
GUI:「Graphical User Interface(グラフィカルユーザーインターフェース)」、マウスなどでポチポチ操作できる画面のこと。
ゲイツはそれを「ウィンドウズ」と名付け、設計すらできていない1983年に発表する。完成は1985年。今度ばかりは簡単にはいかなかった。😱
⇒ 発表から実現までの長い道のりが示す、挑戦の難しさと継続の重要性。
まさに「言うは易く行うは難し」
初期のバージョンは期待を下回り、成功は1990年の「Windows 3.0」まで遅れる。
しかし、この失敗を恐れずに「ない」ものを「ある」と公言し、圧倒的な努力で実現していく姿勢は、彼のリーダーシップの象徴だった。
挑戦が必ずしも即成功に結びつかないことを理解し、それを糧に進むことが重要であると彼は示している。🤔
ゲイツの場合は、まず契約を交わしたうえで、全力で開発を進め勝利と富を手にした。
ないものを「ある」というのは一歩間違えれば、詐欺師と変わらない。
その言葉を口にするのは、とてつもない熱意と自信が前提になる。
ただ、熱意と自信があればできるともいえる。
道理で、詐欺はなくならないわけだ。😎
まとめ
⇒ 挑戦とリスクは成功の土壌。即座に行動することも時には必要。
「僕は、その気になればなんでもできるんだ。」
ジェームズ・ウォレスとジム・エリクソン著「ビル・ゲイツ: 巨大ソフトウェア帝国を築いた男」
知識や見聞は、いずれ力になってくれると教えてくれます。
是非、皆様のより良い人生の選択肢が増えますように!
見ていただきありがとうございました!😆
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