- 投稿日:2025/11/14
- 更新日:2025/11/14
初めまして!シロマサルです。
知ることで、人生はもっと楽しくなる!
今回はマルクス・アウレリウス著『自省録』1956年発行をつまみ食いします。まさに超、超、要約。おもしろいので興味があれば読んでみましょう。
著者:マルクス・アウレリウス
出典:Wikipedia
もしくは、マルクス・アウレリウス・アントニヌス
第16代ローマ皇帝。
「哲人皇帝(思想と行動を一致させ、理性的かつ倫理的な統治を行ったことから)」と呼ばれるローマ皇帝で、ストア派の哲学者でもあり、皇帝として在位中にパルティアやゲルマン人の侵入などの困難に対応しつつ、ストア哲学の代表作である『自省録』の作者。
五賢帝の最後の皇帝として、軍人としても活動し、ギリシャ文化にも通じた文人でもあった。
同書は皇帝となってからも人間としての生き方を忘れず、人間の生の栄華や栄耀がいかに空しいものであるかを自覚せよと、たえず自省(みずからをかえりみること)を続けた彼の思索を読み取ることができる。
✅ 感情に流されず、理性を使え。
✅ 自然と運命を受け入れよ。
✅ 義務を果たし、死を恐れるな。
あけがたから自分にこういいきかせておくがよい。
うるさがたや、恩知らずや、横柄な奴や、裏切り者や、やきもち屋や、人づきの悪い者に私は出くわすだろう。
この連中にこういう欠点があるのは、すべて彼らが善とはなんであり、悪とはなんであるかを知らないところから来るのだ。
マルクス・アウレリウス著『自省録』
「毎日が忙しく、心の平静を失っていませんか?」
「他人の言葉に振り回されていませんか?」
そんなとき、2000年前のローマ皇帝が残したメッセージが、驚くほど現代にも通じる。というよりも人間の本質はそう変化していないともいえる。
ちなみに、日本では1956年に岩波文庫から出版されている。
そして、2007年にサムネイルに表示している改版となった。
皇帝という地位にいた期間、ほとんど従軍していたことを考えると、ゆっくりまとまった著述をすることはできなかっただろう。
わずかな時間に行っていた静かな瞑想の際に書き記したためか、ある程度の短く力強い文章で構成されている。
『自省録』は、他者に向けて書かれた公的な著作ではなく、アウレリウスが自らを省み、戒め、奮い立たせるために個人的に記した「手記」や「日記」である。
この書籍は”誰かのため”の文章ではなく、”自分のために”書かれた文章である。
これほど役に立つ書籍はない。
ナヴァル・ラヴィカントの言葉を借りるなら、金もうけや社会的承認のために書かれた本ではない。真実や本質的な価値や姿勢が見える。
今回は『自省録』から、ブレない心を育てるヒントを解説。
『自省録』
高速化する現代で、自己を顧みる十分な時間を持てる者は幸運といえる。
いかなる行動もでたらめにおこなうな。
技術の完璧を保証する法則に従わずにはおこなうな。
マルクス・アウレリウス著『自省録』
1. 理性を活かし、感情を制御せよ
周囲の事情のために強いられて、いわばまったく度を失ってしまったときには、大急ぎで自分の内にたちもどり、必要以上節度から離れないようにせよ。
たえず調和にもどることによって君は一層これを支配することができるようになるであろう。
マルクス・アウレリウス著『自省録』
⇒ 感情に溺れず、理性で判断することが平静の鍵。
ストア哲学の核心は「外的要因は変えられないが、自分の反応は選べる」という考えだ。
人間は外部の出来事を完全にコントロールすることはできない。
しかし、自分の内面、すなわちその出来事に対する評価や反応は選ぶことができる。
この姿勢を身につけることで、人は怒りや恐怖、不安に支配されることなく、平静を保てるのである。
上司の理不尽な叱責やSNSでの批判は、自分ではどうにもできない事実だ。
しかし、それに対して「これは私を傷つけるものだ」と評価するのは自分自身である。
マルクス・アウレリウスはこう言っている。
「君を悩ますのは出来事ではなく、その解釈である」。
これは現代の認知行動療法の考え方とも通じる。
怒りや不安を抑え、理性的に対応する力は、現代のストレス社会において最強のスキルである。
感情を暴走させないためには、まず一呼吸置く。
「これは自分のコントロール下にあることか?」と問いかける習慣を持つことからすべては始まる。
人生における救いとは、1つ1つのものを徹底的に見きわめ、それ自体なんであるか、その素材はなにか、その原因はなにか、を検討するにある。
心の底から正しいことをなし、真実を語るにある。
マルクス・アウレリウス著『自省録』

ダニエル・ゴールマン著『EQ こころの知能指数』
⇒ まず情動を認識すること。
自分がイラついている。感情が揺れ動いていることを客観的に感じるべし。
急に怒り出す人は、情動に忠実に行動している。 情動は扁桃核で起こる。 無意識の領域だから、逆上する人は自分の情動に気づかない。つまり自分が見えていないのだ。
ダニエル・ゴールマン著『EQ こころの知能指数』
2. 宇宙の秩序と自然に従って生きる
君達が何をしようと、万物は流転する。
あることが君にとってやりにくいからといって、これが人間にとって不可能であると考えるな。
しかしもしあることが人間にとって可能であり、その性質にかなったことであるならば、それは君にも到達しうることだと考えるべし。
マルクス・アウレリウス著『自省録』
⇒ 大きな視点で物事を見れば、悩みは小さくなる。
宇宙は秩序を持つ巨大な存在であり、人間はその一部にすぎない。
宇宙には理法(ロゴス)が貫かれており、人間はその一部にすぎないと考えた。
理法(ロゴス):ギリシャ語の λόγος(ロゴス)に由来し、「言葉」を意味するだけでなく、事物を限定する普遍的な理法、秩序、論理、理性、真理などを包括的に表す概念。
したがって、個人的な不満や不運に執着することは無意味である。
なぜなら、それらは宇宙全体の秩序の中で必然的に起こる現象だからだ。
突然のリストラや予期せぬトラブル。
こうしたことに直面したとき、人は「なぜ自分が」と嘆く。
しかし、自然の大きな流れの中では、それもまた一つの必然である。
この考えを受け入れることで、人は無駄な抵抗や怒りから解放される。アウレリウスはこう述べる。
「自然が与えたものを愛せ。それは君にとって最も適したものである」。
この視点を持てば、人生の困難は「試練」ではなく「自然な変化」として受け止められるのである。
SNSや職場の評価に一喜一憂せず、自然の流れに身を委ねることが、心の自由を取り戻すカギである。

長倉顕太著『誰にも何にも期待しない』
「最善の選択ではなく、選択を最善にする」
人生に期待することをやめれば、失敗という概念がなくなり、新しいことに挑戦する勇気が手に入る。
長倉顕太著『誰にも何にも期待しない』
3. 自分の義務を果たせ
住む家を清潔に保ち、小さな命にも目を向ける。
私は自分の義務をおこなう。
ほかのことは私の気を散らさない。
なぜならそれは生命のないものか、理性のないものか、または迷って道をわきまえぬ人びとであるからだ。
マルクス・アウレリウス著『自省録』
⇒ 人生の意味は「与えられた役割」を全うすること。
人生の意味は快楽や名声を追い求めることではなく、「人間としての役割を全うすること」にあった。
皇帝という重責を担いながらも、彼は私利私欲に流されず、公正と理性を重んじた。
「朝、目覚めるときにこう思え。私は人間であり、人間としての務めを果たすために生まれた」。
この言葉は、怠け心に負けそうなときの強力な一撃である。
自己中心的な快楽より、社会や家族に果たすべき役割に価値を見出す姿勢は、現代にも通じる人生の軸となる。
仕事がつらいとき、「自分はなぜこれをしているのか」と考えれば、それは誰かの役に立ち、社会を支える行為であることに気づく。
義務を果たすことは、自分の存在意義を確かめる行為でもあるのだ。
物事にひどく腹を立てた人たちや、この上もない名誉や不幸や敵意やその他なにか数奇な運命のゆえにきわだっていた人たちのことを絶えず思い浮かべよ。
その上で、「こういうことはみんないずこに行ってしまったか」と考えてみるがよい。
煙、灰、語り草、あるいは語り草すら残っていないのだ。
マルクス・アウレリウス著『自省録』

川野泰周 著『「あるある」で学ぶ 余裕がないときの心の整え方』
⇒ 今この瞬間に注意を向けるだけ。
幸せは「誰かを助ける」「感謝する」ことから生まれる。
ポジティブ心理学でも、支援と感謝こそが幸福の鍵とされている。
現代は「物が栄えて心が滅ぶ時代」と言われます。 他人から見たらうらやましいほどに恵まれているのに、なぜか心にむなしさを感じている人は少なくありません。 高い収入や理想的な家族、やりがいのある仕事などを「人生の価値」や「幸せ」と定義してしまうことは、自分を空虚にさせる可能性があります。
川野泰周 著『「あるある」で学ぶ 余裕がないときの心の整え方』
4. 死を恐れず、いまを生きる
草木をまじまじと見ることなど、人生で10回もあるかないかである。
君の全生涯に心を思い浮かべて気持をかき乱すな。
どんな苦労が、どれほどの苦労が待っていることだろう、と心の中で推測するな。
それよりも1つ1つ現在起こってくる事柄に際して事項に問うてみよ。
「このことのなにが耐え難く忍び難いのか」と。
マルクス・アウレリウス著『自省録』
⇒ 死は自然の一部であり、恐れる対象ではない。
「遠からず君は何者でもなくなる。だが、それは宇宙の秩序に従うだけのことだ」。
この言葉は、死を避けられない事実として受け入れ、いま目の前の時間を充実させよと促す。
死はすべての人に平等に訪れる自然の摂理である。
アウレリウスは死を恐怖の対象ではなく、「自然の循環の一部」として受け入れよと説いた。
死を避けようと必死になる現代社会では、この視点は重要だ。
年齢や健康状態を理由に不安を募らせるより、「自分のコントロールできるのは今この瞬間だけだ」と悟る方が、はるかに健全である。
死の意識は、むしろ人生を濃く生きるための力になる。
君の重荷となるのは未来でもなく、過去でもなく、つねに現在であることを。
マルクス・アウレリウス著『自省録』
死を恐れる者は無感覚を恐れるか、もしくは異なった感覚を恐れるのである。しかし(死後は)もう感覚がないのだとすれば、君はなんの害悪も感じないであろう。またもし別の感覚を獲得するならば、君は別の存在となり、生きるのはやめないであろう。
マルクス・アウレリウス著『自省録』
まとめ
✅ 感情に流されず、理性を使え。
✅ 自然と運命を受け入れよ。
✅ 義務を果たし、死を恐れるな。
もっともよい復讐の方法は自分まで同じような行為をしないことだ。
マルクス・アウレリウス著『自省録』
⇒ 心の平穏は理性と受容にある。
知識や見聞は、いずれ力になってくれると教えてくれます。
是非、皆様のより良い人生の選択肢が増えますように!
見ていただきありがとうございました!😆

