• 投稿日:2025/08/16
  • 更新日:2025/10/01
“百倍やって人並み”の真髄:『おこしやす』に学ぶ本物の「おもてなし」とは何か?

“百倍やって人並み”の真髄:『おこしやす』に学ぶ本物の「おもてなし」とは何か?

  • 2
  • -
シロマサル@本の要約:ほぼ土曜日週1投稿

シロマサル@本の要約:ほぼ土曜日週1投稿

この記事は約10分で読めます
要約
京都の老舗旅館「柊家」で60年にわたり仲居として奉仕した田口八重氏の回顧録『おこしやす』。 本書を通じて、現代にも通用する「来者帰如」の精神や、「百倍やって人並み」の努力哲学を深く学ぶことができる一冊である。

初めまして!シロマサルです。

知ることで、人生はもっと楽しくなる!

今回は田口八重著『おこしやす 京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』2000年発行をつまみ食いします。まさに超、超、要約。おもしろいので興味があれば読んでみましょう。

著者:田口八重

明治42年(1909)、岐阜県中津川に生まれる。昭和12年(1937)、28歳で柊家の仲居になる。以後、60年にわたる仲居生活で、取締役、仲居頭、女将代理を歴任。昭和36年、運輸大臣賞、昭和44年、接客業に携わる者で、初の黄綬褒章を受賞。

00.pngL1060532-2_PC.jpg京都の老舗旅館「柊家」公式サイト:https://www.hiiragiya.co.jp/

数ある京都の老舗宿の中でも、作家・川端康成も愛した風情ある旅館。

京都の老舗というと、旅館でも料亭でも少々敷居が高いようで怖気づいてしまうという人も、柊家においてはそんな心配は無用。 品格あるサービスは、本格派の老舗ならでは。初訪問のゲストに対しても、さりげなくも行き届いた心配りで、ほっと安心してくつろげる時間を提供してくれます。玄関に掲げられた額の「来者如帰」(来る者帰るが如し)の言葉は、訪れる人がわが家に戻ったかのようにゆったりして頂きたいというおもてなしの心が込められています。

ミシュランガイド


00000.png✅「本物のおもてなし」とは“人の心に寄り添う力”である。

✅「学歴」よりも「実践と気づき」が人を育てる。

✅「効率化」では到達できない感動がある。


「本当の顧客満足とは何か?」

今回は、昭和から平成を生き抜いた名仲居・田口八重の生き様から、今に通じる“おもてなしの核心”を学んでいく。

ちなみに、著者の本名は「やな」であり、田口八重の「八重」は「柊家4代目女将」が京都風な呼び名にしようと命名された。

ここに柊家の仲居、田口八重が誕生したのです。

田口八重著『おこしやす 京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』


著者の「仕事を通して学び、人生を豊かにする」という生き方がフィルターを通さずに読者に直接語られている。

自決前の三島の一言や、川端に手料理を届けた著名人との交流とエピソード。


田口八重氏が仲居として生きた60年間は、日本の旅館業界が高度経済成長期を経て、バブル経済期の急速な拡大と、その後の長期的な低落傾向を経験した時代。

丁稚奉公が今よりも当たり前で働き方の種類が少なかった時代。

若く、人的資本が多い時期に多くのことを学び、金融資本で老後を迎えようという考えや資産形成も浸透していない時代の話。

もし、この書籍を「時代遅れ」と考えているなら、最先端の本からも、何も学ぶことはできないだろう。


おこしやす 京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年

Image_fx (6).jpg

柊家は、また私にとっては、学校でもありました。
ほかではどんなに高い授業料を払ってもかなわない「学問」を勉強できたのです。

田口八重著『おこしやす 京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』

■「百倍やって人並み」から始まる人生哲学

Image_fx (8).jpgとにかく誰よりも自分を磨く器(人間性)を作り続ける。

90歳で引退するまで、60年間にわたり仲居の道を究めた「プロ中のプロ」の考え方である。

良いと思ったらすぐにしてみる、使ってみる、それを何度も…。使えて役に立ってこそ、はじめて価値があるのだと思います。

田口八重著『おこしやす 京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』

0.png⇒ 圧倒的な努力が信頼を生む。

⇒ まずはやってみることが、成長の王道。


田口さんは、「百倍やって人並み」と自らを律し、仲居という道を極めた。

「百倍やって人並み」という言葉は、単なる努力の量を示すだけでなく、自己の未熟さを認識し、常に向上を追求する謙虚な姿勢を象徴している。

一流のかたがたが、学問としてではなく、実際の場から得た知識を教えてくださるのですから、これほど役に立つものはないのです。私だけが教わることのできた、特別授業だったのです。

田口八重 著『おこしやす』


日々の仕事における絶え間ない自己研鑽と学び。

先輩やお客様から「必死でいろいろを学ぶ」

気がついたものはメモをしないですぐに実行していく。

メモをしないのは、それに頼るのを防ぐためで、「良い原理原則」だけが頭の中に残り、柔軟にお客様ごとに対応するための「固定観念」を防ぐ合理的な判断の結果である。

お客さまはおひとりおひとり、お顔立ちが違うように、お気持ちだって違うのです。 それぞれに合ったおもてなしをしなければいけません。 お仕着せのサービスでは喜んでくださらないということです。 お目にかかった瞬間に、お客様の気持ちを察して、こうしてほしいと望む対応をしていくのです。 これが私がおもてなしをしてきた人生で、体験から掴んだモットーなのです。

田口八重 著『おこしやす』

補足すると、絶対にメモしないわけではなく、お客さんからとても良いお話をうかがい、是非ともおぼえておきたいと思えば、帯に挟んでおいた小さなメモ用紙に書き留めている。


特定のスキル習得に留まらず、仕事を通じて人間性を高め、人生の意味を見出す。

全身全霊での「おもてなし」は「一所懸命」であり、プロ意識の高さと献身性を物語っている。


0000000.png193.pngデビッド・カークパトリック著「フェイスブック 若き天才の野望 5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた」

若さゆえの経験不足を補うため、知っている人を見つけて聞く。

「走りながら学ぶ」「仕事を通して学び、人生を豊かにする」

過去も今も未来も変化しない原理・原則である。

⇒ 挑戦の中で成長する姿勢(長期的視点)が成功を呼ぶ。

「こんなことを言うと心配するかもしれないが、ぼくは、仕事を通じて学んでいるんだ」

デビッド・カークパトリック著「フェイスブック 若き天才の野望」


373.png山本七平 著『日本資本主義の精神』

⇒ 働くこと=修行という思想が根底にある。

⇒ 経営者の質素さは江戸時代からの文化。

「働きすぎ」というイメージは、長時間労働だけでなく、休みづらさや精神的プレッシャー、低い生産性など複合的な要因から来ている。

私はその時代を生きていない以上、正しいかはわからなかったが、少なくとも田口八重さんの話の中には、うかがい知れる記述が多くあったことも事実である。

日本の道徳は、現に自分が行っていることの規範を言葉にすることを禁じており、それを口にすれば、たとえそれが事実でも、口にしたということが不道徳行為とみなされる。 従ってそれを絶対口にしてはいけない。 これが日本の道徳である。

山本七平 著『日本資本主義の精神』


357.png村山太一 著『なぜ星付きシェフの僕がサイゼリヤでバイトするのか?』

料理人の世界では下積みを経験することは文化である。

職人世界特有の「見て覚え、盗む文化」は「修行」に他ならない。

決して、過去や昔の文化ではない。

1人で処理すべき情報量が増え、複雑化してきた現代では「危機感」から「自分で納得した理論」を全力で学ぶ。

まさにこれからの話である。


■「来者如帰」の哲学が育てた“第二の家”

「来者如帰」(らいしゃにょき)
(来たる者、帰るが如し)

about1.jpg引用画像:京都の老舗旅館「柊家」公式サイト

ご自分の家にいるのと同じようにくつろいで、ゆっくり過ごしていただければ、仲居としてこれほどうれしいことはないのです。お客さまに対してできる最高のおもてなしが「のんびりしておくれやす」なのです。

田口八重著『おこしやす 京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』

0.png⇒ 旅先に「帰る場所」を提供する。

⇒ おもてなしとは“察する力”。言葉に出さぬ想いを読む力が命。

⇒ 「自分の家に帰ってきたようにくつろいでいただく」が第一。

⇒ 効率化の時代に“非効率の価値”を。


柊家は単なる宿ではない。

お客様の心に安らぎをもたらす「もうひとつの家」としての場づくりが真骨頂。

単なるサービス提供を超えた、人間関係の構築と深い信頼を目指した哲学である。

0000.pngお客の寝やすい枕の具合や寝室の明るさといった個人的な部分にまで踏み込む仲居という仕事の特性と密接に結びついている職業からも来ている。

阿吽(あうん)の呼吸でお客様の心を先回りして、お茶碗の向き、無駄な足音、湯加減。

細部の積み重ねが短い期間での信頼に変わる。

おひつは、ごはんが冷めないように入れるだけではなく、不思議とごはんがおいしくなる体験価値の追求のため。

お風呂に入る前には、少し熱いお湯を足してもらって、ちょうどよい湯加減にする。

相手の立場や年齢に関わらず、最高の心遣いを提供する。

「もうひとつの家」は「外ではほとんどお出しにならない意外な側面をちらりとお見せになる」ような、精神的な安心感を目指している。

物質的な豊かさが増す中で希薄になりがちな「人との付き合い」や「思い出」の価値を高めようとしている。


顧客第一主義にも様々なビジョンがある。

「自分の家に帰ってきたようにくつろいでいただく」

従業員にも、お客にもわかりやすいビジョンの一例で、お客様が「掻かれてはじめてここが痒かったのかとわかるもてなし」である。


0000000.png363.pngマシュー・ディクソンほか 著『おもてなし幻想』

「おもてなし」と「おせっかい」の線引きを語る書籍。

⇒ 感動よりも「手間のなさ」が重要と語る。

⇒ 問題なくスムーズに解決されることが最優先。

⇒ 問い合わせの煩雑さがロイヤルティを4倍悪化させる。

懸念すべきは「なぜ顧客は再度電話をしなければならないのか」でなければならない。

マシュー・ディクソンほか 著『おもてなし幻想』


忘れてはいけないのは、自分本位で”顧客を第一に考えてはいけない”ことである。

「おもてなし」と「おせっかい」のバランス感覚はプロフェッショナルだからこその技術である。

自動販売機などのように、人に接しなくても物が買えることになれた人には、この形式は気を使わずにすむのでよいのかもしれません。
これを味気ないと思うのは、私が昔者(むかしもの)だからなのかもしれません。

田口八重著『おこしやす 京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』

思考停止の”古き良き”ではなく、これからを生きていくための”古き良き”技術と利点を私たちは学ばなければならない。

AIや効率化の技術と仕組みは”人間のため”にあるのだから。


まとめ

377.png✅「本物のおもてなし」とは“人の心に寄り添う力”である。

✅「学歴」よりも「実践と気づき」が人を育てる。

✅「効率化」では到達できない感動がある。

「私のどこが悪いもんですか。間違っているのは向こうでしょ」と、突っぱねてしまうと、正面からぶつかりあうしかなくなります。
こうした状態からは、何も前向きなものは生まれてきません。
無駄な時間と関係が残るだけなのです。

田口八重著『おこしやす 京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』

⇒ 技術より心、効率より信頼。

誰もが、苦手とする人と良い関係が作れるというのは、大きな自信になるものです。なにかの難関にぶつかった時、私にはあの人と親しくなれた実績があるのだから、こんなことでへこたれるわけにはいかないと、がんばれる力が湧いてくるのです。

田口八重著『おこしやす 京都の老舗旅館「柊家」で仲居六十年』


本書が単なる個人の思い出話に留まらない、普遍的な学びの書としての側面を十二分に持っていることを私は強く伝えたい。

やはり、私たちのお金を”使う力”は「思い出」の価値にも使っていくべきである。


知識や見聞は、いずれ力になってくれると教えてくれます。

是非、皆様のより良い人生の選択肢が増えますように!

見ていただきありがとうございました!😆

_.png

ブックマークに追加した記事は、ブックマーク一覧ページで確認することができます。
あとから読み返したい時に便利です。

シロマサル@本の要約:ほぼ土曜日週1投稿

投稿者情報

シロマサル@本の要約:ほぼ土曜日週1投稿

イルカ会員

この記事に、いいねを送ろう! 参考になった記事に、
気軽にいいねを送れるようになりました!
この記事のレビュー(0

まだレビューはありません