- 投稿日:2026/03/19
初めまして!シロマサルです。
知ることで、人生はもっと楽しくなる!
本を読んでいるのに、なぜか頭がよくなった気がしない。
むしろ情報に疲れ、考える力が弱くなっている気がする。
それは気のせいではない。
ショーペンハウアーは200年前に、すでにこの問題を見抜いていた。
今回はショーペンハウアー著『読書について』2015年発行をつまみ食いします。まさに超、超、要約。おもしろいので興味があれば読んでみましょう。
著者:ショーペンハウアー
出典:Wikipedia
1788-1860年。哲学者。ポーランドのグダニスク生まれ。ゲッティンゲンとベルリン両大学で学び、ベルリン大学で教える。後にフランクフルトに学者として隠棲。主著『意志と表象としての世界』は、人間の意志が理解の創造的な主要因として中心的役割を持つことを強調する。種々のエッセイや警句的な文章を集めた『付録と補遺』によってようやく注目を集め、実存主義や他の哲学の動向のみならず、ワーグナー、トルストイなど、広範な作家や芸術家に影響を与えた。
✅ 多読は思考を奪う危険がある。
✅ 読書は考える力があってこそ意味を持つ。
✅ 良書を読む条件は、悪書を読まないことである。
無知は人間の品位を落とす。しかし人格の下落がはじまるのは、無知な人間が金持ちになったときだ。貧しければ、貧苦が枷となり、仕事が知識の肩代わりをし、頭は仕事のことでいっぱいだ。これに対して無知な金持ちは、ただ情欲にふけり、日ごろ目にする家畜と同じだ。さらにこうした連中には富と暇を、もっとも価値あるものに活用しなかったという非難がくわわる。
ショーペンハウアー著『読書について』
どんなにたくさんあっても整理されていない蔵書より、ほどよい冊数で、きちんと整理されている蔵書のほうが、ずっと役に立つ。
同じことが知識についてもいえる。
いかに大量にかき集めても、自分の頭で考えずに鵜吞みにした知識より、量はずっと少なくとも、じっくり考え抜いた知識のほうが、はるかに価値がある。
なぜなら、ひとつの真実をほかの真実と突き合わせて、自分が知っていることをあらゆる方面から総合的に判断してはじめて、知識を完全に自分のものにし、意のままにできるからだ。
自分が知っていることなら、じっくり考えることができる。
だから私たちは学ぶべきだ。
だが、とことん考え抜いてはじめて真に知ることができる。
ショーペンハウアー著「自分の頭で考える」より
今回は、「読むほど賢くなる」という幻想を壊し、本当に思考を深める読書とは何かを解説する。
『読書について』
あえて言うが、本はなんでも読めばいいというものではない。
これは非常に多くの学者にあてはまる。かれらは多読のために、愚かになっている。暇さえあれば、すぐ本を手に取り、たえず読書していると、たえず手仕事をするより、もっと精神が麻痺する。手仕事なら作業にいそしみながら、あれこれ物思いにふけることができるからだ。
ショーペンハウアー著『読書について』
学者であっても、頭でっかちではいけない。
実学や現場に伴なった知恵がなければならない。
読書は思考の代用品にすぎない
本を持っただけで賢くなることはない。
読書するとは、自分でものを考えずに、代わりに他人に考えてもらうことだ。他人の心の運びをなぞっているだけだ。それは生徒が習字のときに、先生が鉛筆で書いてくれたお手本を、あとからペンでなぞるようなものだ。
ショーペンハウアー著『読書について』
⇒ 読みすぎるほど、自分の頭は使われなくなる。
ショーペンハウアーは、読書を「他人に考えてもらう行為」だと断じた。
本を読んでいる間、私たちの頭の中では、著者の思考が自由に走り回っている。
その時間、私たちは理解している気分にはなるが、実際には考えてはいない。
読書は楽である。
すでに整理された思考を受け取るだけでよく、迷う必要も、試行錯誤する必要もないからだ。
だが、その快適さに慣れすぎると、自分で問いを立て、考えを組み立てる力は徐々に衰える。
自分の頭で考える営みをはなれて、読書にうつると、ほっとするのはそのためだ。だが読書しているとき、私たちの頭は他人の思想が駆けめぐる運動場にすぎない。
ショーペンハウアー著『読書について』
ショーペンハウアーはこれを、馬に乗り続けた結果、自分の足で歩けなくなる人間にたとえた。
本を閉じた瞬間、頭の中が空っぽになる感覚があるなら、それは読書が思考の代行で終わっている証拠である。
行動として重要なのは、読書の直後に「考える余白」を意図的につくることだ。
読み終えたらすぐ次の本に移らず、ページを閉じ、内容を要約しようとせず、自分ならどう考えるかを問い直す。
たとえば「この主張は正しいか」「別の見方はないか」と自問するだけでよい。
読書は思考を始めるための起点であり、終点にしてはならない。
悪書は知性を静かに腐らせる
君を勇気づけるだけの本も有用だが、キャッチーなタイトルだけでは…。
良書を読むための条件は、悪書を読まないことだ。なにしろ人生は短く、時間とエネルギーには限りがあるのだから。
ショーペンハウアー著『読書について』
⇒ 読まない判断が、思考の質を守る。
世の中に存在する本の大半は、時間とともに忘れ去られる。
ショーペンハウアーは、悪書を雑草にたとえた。
雑草は一面を覆い尽くし、必要な養分を奪い、本来育つべき作物を枯らしてしまう。
悪書も同じで、読む価値のある本に向けられるはずだった時間、集中力、関心を奪っていく。
流行しているから読む。
話題についていくために買う。
こうした選択を繰り返すうちに、思考は次第に浅くなり、判断基準は他人任せになる。
昔の偉大な人物についてあれこれ論じた本がたくさん出ている。一般読者はこうした本なら読むけれども、偉大な人物自身が書いた著作は読まない。新刊書、刷り上がったばかりの本ばかり読もうとする。それは「類は友を呼ぶ」と諺にもあるように、偉大なる人物の思想より、今日の浅薄な脳みその人間がくりだす底の浅い退屈なおしゃべりのほうが、読者と似たもの同士で居心地がよいからだ。
ショーペンハウアー著『読書について』
恐ろしいのは、知性が衰える過程がとても静かで、本人が気づきにくい点だ。
読んでいる量は多いのに、残っているものが何もない。
この状態は、精神が栄養過多で消化不良を起こしているのと同じである。
具体的な行動指針として有効なのは、時間というフィルターを使うことだ。
発売から数年が経ち、なお読まれ続けている本だけを選ぶ。
それだけで、一時的な話題性で作られた本は自然と排除される。
読書とは、選ぶ行為であり、同時に捨てる行為でもある。
古典は精神を回復させる水源である
重要なのは本を読んだ後の行動や思考なのだ。君にしかできない。
ギリシア・ローマの古典作家を読むことほど、精神をリフレッシュしてくれるものはない。古典作家のだれでもよいから、たとえ三十分でも手に取ると、たちまち心はさわやかに、かろやかに、清らかになり、高揚し、強くなる。岩から湧き出る清水を飲んで、元気を回復するのと同じだ。これは古典語とその完璧さのためなのか、それとも、数千年にわたってその作品が損なわれることも弱められることもなく残っている、作者の精神の偉大さのせいなのか。おそらく、双方が相まっているのだろう。
ショーペンハウアー著『読書について』
⇒ 偉大な思考に直接触れることで、精神は甦る。
ショーペンハウアーは、古典を読むことを、岩から湧き出る清水を飲む行為にたとえた。
古典とは、時代や流行を超えて残った思考の結晶である。
数千年にわたり読み継がれてきたという事実そのものが、価値の証明になっている。
重要なのは、解説書や要約ではなく、本人の言葉に直接触れることだ。
現代人による薄められた解釈よりも、偉大な精神が残した原文のほうが、はるかに力を持つ。
古典を読むと、思考の速度は自然と落ちる。
だが、その遅さこそが、視野を広げ、判断を深くする。
実践としては、1日30分だけで十分である。
スマートフォンを遠ざけ、短い時間でも集中して古典に向き合う。
量を増やす必要はない。
同じ箇所を何度読んでもよい。
深く触れた言葉は、確実に思考の骨格を形づくる。
古典は知識を増やすための道具ではなく、思考を整えるための場所である。
思想体系がないと、何事に対しても公正な関心を寄せることができず、そのため本を読んでも、なにも身につかない。なにひとつ記憶にとどめておけないのだ。 「反復は勉学の母である」。重要な本はどれもみな、続けて二度読むべきだ。二度目になると、内容のつながりがいっそうよくわかるし、結末がわかっていれば、出だしをいっそう正しく理解できるからだ。
ショーペンハウアー著『読書について』
以下の参考資料は古典と呼ばれる作品である。
1文でも参考になるものがあるはずである。
是非、要約ではない本文を読んでみよう。

マルクス・アウレリウス著『自省録』
「毎日が忙しく、心の平静を失っていませんか?」
「他人の言葉に振り回されていませんか?」
そんなとき、2000年前のローマ皇帝が残したメッセージが、驚くほど現代にも通じる。というよりも人間の本質はそう変化していないともいえる。
周囲の事情のために強いられて、いわばまったく度を失ってしまったときには、大急ぎで自分の内にたちもどり、必要以上節度から離れないようにせよ。 たえず調和にもどることによって君は一層これを支配することができるようになるであろう。
マルクス・アウレリウス著『自省録』
プラトン著『ソクラテスの弁明』
ソクラテスはこんな調子でアテナイの知識人と問答を繰り返して、わかったことは「『自分は知らない』と自覚するだけマシ」ということだった。
彼らは長年にわたって私を攻撃してきましたが、その中のほとんどは私の前に姿を現すことさえしませんでした。私は彼らの名前すら知りません。ただ、ある喜劇作家が私を風刺したことは知っています。しかし、他の者たちは誰一人、私と正面から議論することなく、私を悪者として仕立て上げたのです。
プラトン著『ソクラテスの弁明』
サミュエル・スマイルズ著『自助論』
「自助論』で強調されている自学、独立独行、誠実、節検などの諸徳はイギリスで反響を呼び、世界各国語に翻訳された。
その思想は近代日本の人々に大きな影響を与えたとされる。
本書には、至るところに深い人生の知恵があふれており、生き方の根本を鋭く説く「不朽の名著」として、世界的なベストセラー&ロングセラーになっている。
「世界に多大なる影響を与えた人間を見ても、……生まれつき聡明で輝かしい素質を備えた人物は数少ない。 むしろ、並の能力にもかかわらず、粘り強く努力と研究を重ねた末に名声を得た者のほうが多い。 いくら才気あふれた人間でも、移り気で忍耐力に欠けていれば、才能に恵まれなくてもひたすら努力する人間には負けてしまう」
サミュエル・スマイルズ著『自助論』
アーノルド・ベネット 著『自分の時間』
アーノルド・ベネットの数ある著書の中でも、世界中で最も読まれる本となったのが、この『自分の時間』である。
最初に発表されたのは、1908年に発行されたともいわれているし、1912年、あるいは1920年と記述されることもある。
およそ100年以上前の時間活用術の名著として知られている。
時間があれば金は稼げるが、金があっても時間は買えない
アーノルド・ベネット 著『自分の時間』
長い時間を経て、生き残っている書籍には本質や真理に近いことが書かれている。
最新の情報や技術に関しては時代遅れかもしれないが、自分自身を理解するには最も有効な手段である。
まとめ
✅ 多読は思考を奪う危険がある。
✅ 読書は考える力があってこそ意味を持つ。
✅ 良書を読む条件は、悪書を読まないことである。
栄養をとりすぎると、胃が悪くなって、そのうち身体全体がだめになるように、精神も栄養分をとりすぎると、詰め込みすぎで窒息するおそれがある。いいかえれば、たくさん読めば読むほど、読んだ内容が精神にその痕跡をとどめなくなってしまう。精神はたくさんの事を次々と重ね書きされた黒板のようになってしまう。そのため反芻し、じっくり嚙みしめることができない。
ショーペンハウアー著『読書について』
⇒ 良書を選び、悪書を捨て、自分の頭で考えることこそが知性を育てる。
知識や見聞は、いずれ力になってくれると教えてくれます。
是非、皆様のより良い人生の選択肢が増えますように!
見ていただきありがとうございました!😆
