- 投稿日:2025/02/17
- 更新日:2025/09/29

はじめに
車の燃費を良くする科学的に正しい方法
それは・・・波動で車を動かすことです!
図1 波動で車を動かす様子
と言われて納得できる方は少ないと思います。
では、こちらならどうでしょうか?
車の燃費を良くする科学的に正しい方法
〇〇というオイルをエンジンに注入する
エネルギーロスが少なくなって
燃費が15%も向上します!(※1)
図2 オイルにより効率を良くする様子
これなら「凄そう」「説得力ありそう」「効果ありそう」
って思う方もいるでしょう。
しかし、ちょっと考えてみてください。
この「科学的に正しい」とは誰が判断しているのでしょうか?
頭のいい人?お金持ち?有名な人?
当然ですが、「科学的に正しい」を接頭語として付属させれば科学的に正しくなるわけではありません(波動で車は動きません)。
本当は科学的に正しくないのに、説得力を持たせるためだけに、適当に「科学的に正しい」という言葉を使ってはダメだよ。ということです。
本記事では科学とは何か?から始まり、真の意味で科学的に正しいと言えるものを判断するための材料を提供していきます。
※1 ありそうな例を挙げてるだけなので、特定の情報や商品を指して
いるわけではない。
簡単な自己紹介(読み飛ばし可)
大学院の修士課程を修了して、ファーストオーサーで査読付きの論文を一つ通しています。
なので、多分ですが、科学についてはマァマァ詳しいほうです(※2)。
あとは趣味で似非科学(※3)を眺めて、可能な限りツッコミを入れるという遊びをしています。似非科学かな?と思った出来事などあれば気軽に聞いてください。可能な範囲でお答えします。
※2 異論は認める。IF〇〇以上ないと認めん!という過激派の方も
お気軽にどうぞ。
※3 「えせかがく」と読む。ニセモノの科学、科学の皮を被った
ナニカ、科学とは似て非なるもの などを意味する。
多くはロクでもない代物で、資産、健康、時間にとって害しかない
ので要注意。
そもそも科学とは?
経験的に正しいとされることを長い年月をかけて、科学者たちが積み重ねてきたものが科学とされています(※4)。
経験的に正しいとされることは個人の判断ではなく、客観的な判断基準で、あらゆる角度から検証されてきたものです。そのため、定義は曖昧なんだけど土台は非常に堅牢でしっかりしたものです。
では、どのようにしてその土台を積み重ねてきたのでしょうか?
キーワードは「再現性」と「反証可能性」です。
それぞれ詳しく解説していきます。
※4 厳密には違うかもしれないが、とりあえずそんなものだと
考えておけばよい。
科学的正しさの要素
再現性
たまに、複数の人の体験談、酷い時には個人の一度きりの体験談を再現性がある方法などと言ったりする人がいますが、それは再現性とは言いません。
科学論文は概ね下記の構成となっています。
1.タイトル
2.要約
3.序論
4.材料・方法
5.結果
6.考察
7.引用文献
8.謝辞
ここの4.材料・方法こそが再現性のキモです。ここには実験や観察の手法が事細かに記載されており、他の科学者が同じ手順を踏めば、同じ結論が得られるということを保証しております。
これは料理で言うならレシピのことです。同じ手順を踏めば、誰が作っても同じ味の料理が出来ますよね。
ちなみに、2014年に起きたスタップ細胞騒動は論文に書かれていた材料・方法の手順を踏んでも、誰も再現が出来ないことが問題となりました。
反証可能性
一般的には科学とは法則や決まり事があり、それは絶対で覆らないと思われいます。しかし、実際には異なります。
前章で「土台は堅牢」であると説明しましたが、これは絶対にひっくり返せないという意味ではなく、今までに「ひっくり返そうとしたけど、未だにひっくり返せていない」という意味です。
この未だにという部分がポイントで、ひっくり返す余地があるというところが科学を科学たらしめています。
例えば「太陽は東から登る」という説は、西から登る太陽を観測することができれば、ひっくり返せます。しかし、今のところ西から登る太陽は観測されていないため、太陽は東から登るという説は科学的であると言えます。
一方で「神がすべての種を創造した(※5)」
と言われてしまうと神以外が種を創造することを証明しなくてはならず、仮に種を創造してしまったヒトがいたら、そのヒトは神となります(※6)
反証可能性がないということは、そうかもしれないし、そうでないかもしれないという、結局何一つわからないという結論に達します。可能性が否定できないから正しいという理論は成立しないのです。
意外に思われるかもしれませんが、科学には常に正しいものは存在しません。あらゆる角度からの反証に「現在」耐えているものに過ぎないので、変化することは多々あります。
よって、常に同じ主張をするのではなく(一貫性がある)、コロコロと言うことが変わる人の方が実は科学的には正しい態度です(※7)。
※5 実は生物分類学は始祖がこの考えに基づいているので、不具合が頻繁
に生じたりする。
※6 超生物創造論のパラドックスという。
※7 もちろん、そこには理由が必要。理由なく言動がコロコロ変わる人は
単純に情緒不安定なだけ。
コラム|理系も文系も存在しない
本章では主に、狭義の科学(science)について説明しています。これは自然科学(化学・数学・物理・生物 等)と呼ばれており、学校教育におけるいわゆる理数系科目です。
一方で俗にいう文系学問と呼ばれるような、言語・社会:経済・法学・哲学等も広義の意味では科学であるため、理数系科目だけが科学的であるというわけではありません。
日本の大学では学部選択の際に分かれているというだけの話です。
実際に文系学問と理系学問でも関連は大いにあるため、体系的に積み上げれば、有機的に繋がっていきます。自由のために必要と言われている、学問「リベラルアーツ」はそんな複数分野の"科学"の集大成だったりします。
科学的に正しくないもの
科学的だと言い張るもの
世の中には科学ではないのに、科学らしさを装って、ロクでもない代物を売りつけてくる商売があります。
それが、似非科学です。
「波動で動く車(燃費抜群)」のようなものを買う人はいないと思います。しかし、世の中には同レベルの商品であふれており、意外と(気づかずに)買っちゃってる人いるなぁという印象です(具体的な商品名あげちゃうと角が立つので、個別に聞いてください)。
では、科学と似非科学はどのように見分けるのでしょうか?
科学と似非科学はハッキリ分けられない
見分け方について説明する前に、ぶっちゃけてしまいますが、そもそも科学と似非科学を白か黒かでに分割することは出来ません。科学の定義からして実は曖昧なので0か1かの世界ではなく、0~100までグラデーションな世界となります。
再現性がなく、反証可能性もないものは科学ではない!と書きました。しかし、現実世界において完璧な再現は不可能です。
(料理のレシピでもその日の気温や湿度、僅かなグラムの差、火に通すわずかな秒数の違いなど、ありますよね)。
反証可能性の観点からいえば、理論と実験がピタリと一致することはなく、わずかなズレが生じた時点で理論を棄却しなくてはなりません。
しかしながら、理論と観測値(実験値)は表裏一体で
観測値の解釈には理論が必要
理論に基づいて観測(実験設定)が必要
と堂々巡りになってしまいます。
つまり、完璧な科学など存在しないのです。
しかし、0~100のグラデーションなので、相当に怪しいものから、かなり科学的なものと判断することは出来ます。
例えば「波動で動く車」も現状では波動が観測されていないだけであって、将来的に発明される可能性は0ではありません。しかし、現状で波動が観測されていない以上、それを実用化した商品などというのは限りなく似非科学寄りの代物なのです。
結局判断は個々でしなければならない
濃淡で区別するとしましたが、判定材料として
✅再現性
✅反証可能性
は非常に有効な切り口となります。完璧であるとは言えませんが、それでも重要な考え方なので、ぜひ活用してみてください。
また別記事で詳細に書いていますが
✅量(程度)の概念
✅比較の有無
も大事です。最終的には個々で総合的に判断することになりますが、判断の材料を増やすことで、騙されにくくなります。
特効薬的な物は存在せずに、地道に積み重ねるしかないという、恒例の凡庸でつまらない結論にたどりつくのです。
科学的に正しい〇〇について
さて、タイトルに話を戻して「科学的に正しい〇〇」についてですが、そんなものはないという結論に至ります。
ここまで読んでいただいた通り、科学とはbestなものではなくbetterなものだからです。
ここからは私の個人的な意見ですが、「科学的に正しい〇〇」などという物言いをしている時点で、「正しくないのでは・・・?」と勘ぐってしまいます。
私自身が大学で研究をしているときに科学的に正しいという文言はあまり聞いたことが無く、「より科学的である」「妥当である」「問題ない」などの言い回しだったと記憶しています。
理由としては科学はグラデーションであること、ひっくり返す余地があること、統計処理による判定は常にエラーの可能性が潜んでいることなど、断言すること自体が間違っているからです。
一応、断言する理由として
・厳密性を犠牲にわかりやすさを優先している
・発信者が科学を理解していない
・発信者が受信者を舐めている
ハンター×ハンター 34巻より
上記3パターンほど考えられますが、ケースバイケースなので難しいところですね。
コラム|非科学的な行動をしちゃった著名人たち
最後によもやま話として、著名人たちのビックリエピソードを紹介します。
科学は歴史と共に良くなっていくこと、どんな人でも似非科学に騙されてしまうことなどを象徴しています。
ヒトにおける学習の重要な点として、「訂正できる力」が挙げられます。過去の他者の間違いや失敗から学びを得て、自身の人生をよりよいものにできるといいですね。
1.ジョージ・ワシントン
アメリカ初代大統領の死因は「瀉血(しゃけつ)」だと言われています。瀉血とは血を抜くという治療法で、過去には長いこと、万能的に「とりあえず瀉血」が行われていたそうです。
ワシントンは多量の瀉血を行ったために、複合的な要因で死亡されたとされています。
個人的にはワシズ麻雀かよ!とツッコミを入れたくなりましたが、当時はそういう時代だったのでしょう。
2.チャールズ・ダーウィン
進化論で有名なダーウィンは体の具合を良くするためにヒ素を飲んでいたようでした。ヒ素は殺鼠剤として使われていますし、和歌山カレー事件でも多くの中毒者が発生した毒物です。
しかし、1800年代半ばには、具合が悪ければヒ素という万能薬的扱いを受けており、多くの人が積極的に摂取していたようでした。
ダーウィンもその一人で、皮膚が浅黒くなっても服用を続けていたようです。
また、ダーウィンは晩年には進化論に優生学的な思想を取り入れたり、後天獲得形質の遺伝についても学説に取り入れていました(現代進化学では否定されている考え方です)。
3.ウィリアム・クルックス
原子番号81の元素「タリウム」の発見者です。クルックス管を発明し、研究を続けていればレントゲンより先にX線を発見できたかもしれない人物であります。
しかし、30代後半からスピリチュアルに傾倒してしまい、本分の科学研究が疎かになったうえに、周囲からは煙たがられます。
暗闇の中で両手両足を縛られたまま「霊能力」で演奏する女性を本物として認めてしまったそうです。
実験方法として、真鍮のハンドルを持たせることで電流の流れをチェックしました。ハンドルから手を離すと電流計の針が動きます。
実際に使ったトリックは縄抜けして、真鍮のハンドルをスカートの中で太ももで挟んで、手で演奏していたそうです。
いわゆるインテリな人たちでも非科学的な行為によって、健康やお金を失ったり、晩節を汚すことは歴史あるあるとなっています。
詐欺と同じで「絶対に騙されない!」「頭がいいから騙されない」ということはなく、いつでも誰でも騙される可能性があるものです。
「ひょっとしたら自分も騙されるかもしれない」という気持ちでいるほうが案外騙されないものなのです。
まとめ
✅再現性(レシピ)が重要
✅反証可能性(説をひっくり返す余地)が重要
✅科学と似非科学は白黒つけられない
✅科学的に正しいものなんてないのでは?
✅常に問い続ける態度が大事
参考資料
参考書籍
菊池 誠 (著), 松永 和紀 (著), 伊勢田 哲治 (著), 平川 秀幸 (著), 飯田 泰之 (著, 編集), SYNODOS (著), SYNODOS (編集)
もうダマされないための「科学」講義
高橋 昌一郎
反オカルト論
千葉 聡
ダーウィンの呪い
山口 周
武器になる哲学
参考動画
科学はすべてを解決する!
文系理系どちらも最強の亜留間次郎先生の言いたいことは・・・【前編】
参考HP
旧科学技術庁HP(現文部科学省)
21世紀の社会と科学技術を考える懇談会
京都大学理学部HP
科学の条件
Wikipedia
反証可能性
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